2010年2月28日日曜日

不思議な石器は何に使ったか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-
<写真>

 1 土堀り器(宮崎)

 2 石斧(カンボジア)

 3 三角石斧(宮崎)

 4 石斧(タイ)

 5 三角柱石器(大阪)

 6 石剣(韓国)

 7 石剣(京都)

 8 方角石斧(タイ)

 9 方角石斧(ビルマ)

 10 石製腕輪(タイ)

 11 石やすり(タイ)

 12 磨製土器 磨き石(タイ)

 13 石斧(ベトナム)

 14 異型石器(タイ)

 15 石剣(南九州)

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書


2010年2月27日土曜日

くちばし水注(さ)しの広がりは?

出典:加治木義博
日本人のルーツ
保育社:カラーブックス

<日本人のルーツ>-その探求の一方法-


 八俣大蛇信仰という、遠く中近東につながる伝承が、日本にいつはいってきたのだろうか?

 右の縄文土器をみると、単にくちばし型の注ぎ口のほかにも突起などの共通点をみつけることができる。

 縄文人たちはすでに、中近東の人々と決して無縁ではなかったといえよう。

<写真>
 
 ●爵(西周時代・中国)

 ●縄文片口土器

 ●水さし(トルコ)

 ●くちばし壺(紀元前10世紀・イラン)

 75ページの<1>は石をたたき割って作った打製石器だが、そんな方法でよくこんなに薄く作れたと思うもの。

 ベトナムのホアビニアン出土のものにごく近い。

 <3>はインドに飛んで全く同じものがある石斧。

 <14>は手のこんだ磨製石器で、中近東や東欧の新石器時代遺跡にもあり、日本の御物石器的なものか。

2010年2月26日金曜日

世界の竜退治伝説は無関係か(

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-



 ギルガメシュを最古に、有名なペルセウスのメヅーサ退治(ギリシャ)や、北欧のシグルト、ドイツのジーク・フリート、キリスト教国のセント・ジョージ、インドのクリシュナ、インドネシアのアジサカ王子など、八俣大蛇退治と共通した話しは、世界に広く分布している。

 その中でも一番広く知られているのが、ペルセウスとアンドロメダ姫の神話なので、こうした伝説の仲間を一括して”ペルセウス・アンドロメダ型神話”と名づけている。

 八俣の大蛇神話が、この型に入ることはイギリスのアストンやハートランドらによって、はやくから指摘され、現在も大林太良氏らの、その伝播コースなど詳しい研究があり、定説の一つとして世界の学界に認められている。

 面白いのはこれらの主人公の名が、互いに方言関係のように、一つの名から訛ってできたことが分かる点である。

<写真>

 ●アジサカ王子と竜王

 ●ペルセウスとアンドロメダ

 ●セント・ジョージ

 ●クリシュナ


『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年2月25日木曜日

八俣大蛇の正体は

出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-




 



 ●ギルガメシュ神像(イラン出土:紀元前1000年) 
    紀元前20世紀ごろの、バビロンの叙事詩に
  登場する英雄ギルガメシュは
  生命の草を奪った怪蛇を退治する

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年2月24日水曜日

巨大人形は日印共通か

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

 
 鹿児島県大隅町に大人(おおびと)弥五郎どん祭りというのがある。

 弥五郎とは熊襲、または武内宿祢だという。

 同じように巨大な人形の祭りはインドにもある。

 インドではラージャ(王)討ちといい、日本では「ダンジー討った!」とかけ声をかける。

 鹿児島方言では<ラ>は<ダ>に変化するから、ラージャはダージャになる。

 これには大者とか大蛇とか当て字されてもおかしくない。

 八俣大蛇退治の伝説もこのラージャ討ちと重なっていることは充分考えられる。

 大者は大人と変わりダンジーになるのは、ステーションをステンショというのと同じである。

<写真>

 ●弥五郎どん祭り(鹿児島県大隅町)

 ●ドウセラの祭り(インド)

『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年2月23日火曜日

鬼瓦のルーツは?


 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-


 右の鬼瓦を、左のナーガダンサーの面と比べてみると、頭の三つの毛束と、三つ頭の蛇、突出した眼、誇張した大きな耳、牙などが、もとは同じものだったことを示している。

 またバナスパティの顔は、この二つのちょうど中間の特徴を備えており、地理的にもスリランカ→ジャワ→日本と、瓦の来たコースに一致する。

 三つ頭の蛇はここにあげたように、タイや中近東にも信仰の輪が広がっていて、貴重な遺物が残っている。

<写真>

 ●伏見桃山城鬼瓦(京都:寛保3年(1743))

 ●三頭蛇聖瓶(タイ:15世紀)

 ●バナスパティ(ジャワ:13世紀)
  インドネシア国立博物館蔵

 ●ナーガダンサー人形(蛇神踊り手)スリランカ・現代


『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年2月22日月曜日

ヒンドゥの神々が先か

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-
一見、竜王護仏像とよく似ているが、よく見るとお釈迦様にはない余分な手や、武器をもっている。

 これらはすべてヒンドゥ教の神々である。

 その竜王が仏教徒とヒンドゥ教のどちらのものであったかは、釈迦が紀元前5~6世紀の人であるのに対して、殷の人面盉は紀元前12、13世紀のもので、明らかに仏教以前の神である。

 仏教は古い形のヒンドゥ教の神々の信仰をとり入れたのである。

 67ページのナーガ仏はスリランカのもので眼にはルビーがはめてある。

 日本の鰹節やコンニャクなどはスリランカ原産である。

 それらは日本建国以前から作られていた。

 八俣の大蛇と共にやってきていたのである。
 
<写真>

 ●ヒンドゥ教の神々(タイ)

 ●ヒンドゥ教の神々(インド)

 ●ヒンドゥ教の神々(ネパール)

 ●宝石象嵌銅製竜王護仏像
   (ナーガ仏・12世紀スリランカ)

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年2月21日日曜日

観世音菩薩鏡の作者は?

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-


 観音像に対する知識が深まると、従来二神二獣鏡と呼ばれてきたこの鏡について、それが上の北魏仏と同型の右手をもつ事や結髪の様式その他によって、観音像であること、青竜、白虎の特徴はインドネシアのものに近いことなどが判明している。

<写真>

 ●金銅菩薩像(中国北魏時代)

 ●観世音菩薩鏡の一部拡大(長野県)

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書


2010年2月20日土曜日

光背はなぜ生まれたか


出典:加治木義博
日本人のルーツ
保育社:カラーブックス

<日本人のルーツ>-その探求の一方法-

 八俣の大蛇の原型であった多頭の竜は次第に独立した光背になって行く。

 その過渡型にナタラージャと呼ばれるシバ神像がある。

 大蛇は髪の毛のように広がり、もう一つ複合して、日輪をとり巻く火焔にもなっている。

 それは光背が、もと何であったかをはっきりと表現している。

<写真>
 
 ●八俣大蛇型の光背(タイ)

 ●ナタラージャ(踊るシバ・インド)

 ●仏像と分離している光背(チベット)

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年2月19日金曜日

千手観音は太陽神だろうか


出典:加治木義博
日本人のルーツ
保育社:カラーブックス

<日本人のルーツ>-その探求の一方法-




手がどんどん増え、頭も11からさらに増えると、こうなる。

その極限が63ページの千手千眼観世音菩薩である。

それは一見してわかるように、光と熱を大空から注ぐ太陽を象徴している。

竜王の頭は発展して、ついに太陽の神を生み出したのである。

日本の神話では天照大神が太陽神とされ、八俣大蛇退治があり、ともにスサノオミコトとに関連している点に注意してみる必要がある。

<写真>

●49面観世音菩薩(ネパール)

●千手千眼観世音菩薩(チベット)

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
歴史研究家「小嶋 秋彦」

2010年2月18日木曜日

「神話による推理」八俣の大蛇は何を意味するか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-


神話である。

 頭の数は一つ違うが、縄文以来のインド系信仰の実在をみると、この神話もその影響で生まれたとみていいであろう。

 大蛇の形はその信仰の段階を教えてくれる。

 殷や縄文の一つ頭でなく、観音様に発展してからのものでもなく、東南アジアに広く見られる「竜王護仏」型の時代のものである。

 それが退治られるということは、信仰上の争いか、異なった2信仰をもった人々の衝突を、たとえ話化したもの、ということになる。

 その大蛇は観音様からさらに太陽神にまで発展して行く。


<漫画>

 ●八俣の大蛇

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  
歴史研究家「小嶋 秋彦」

2010年2月17日水曜日

11面観音は何が変型したのか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-



 観音像は手の次に冠も大きくなり、それが多くの頭として造形されて行く。

 これはもとの蛇体時代は頭の数が多かったという記憶が、再び芽生えたものである。
 
 ネパールの11面観音像は11面が極端に大きく、日本で見なれたものとはだいぶ違う。

 日本に多い像との中間型は右の北魏仏で、11面はかなり、そびえ立ちはじめている。

 しかし、いずれも、周囲に突き出た腕とともに、初めの7つの突起のあとをとどめている。

<写真>

 ●アワローキテシュワラ(ネパール・カトマンズ)

 ●11面観世音菩薩(北魏仏)

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  
歴史研究家「小嶋 秋彦」


2010年2月16日火曜日

7つの頭をもつ蛇とは何か

出典:加治木義博
日本人のルーツ
保育社:カラーブックス

<日本人のルーツ>-その探求の一方法-




57ページの像を前からみると、7つにわかれた頭をもった蛇が、どぐろを巻いた上に座っている仏様の像である。

これはお釈迦様が苦行をしていると、竜王がその頭を笠のようにさしかけて、雨露から守った、というので「竜王護仏像」といわれるもので、東南アジアで広くみられる仏像である。

よく見て戴くとわかるように、蛇の7つの頭が、次第に変形して木の葉になったり、ピンと立った衣紋や冠のさきになったりしてしまったものがある。

しかし、7つの突起が数えられるので、もとは同じものだったことが証明される。

時と所によって変化して行ったのである。

<写真>

  ●竜王護仏(タイ)

  ●竜王護仏(タイ)

  ●如来(ビルマ)

[竜王が観音様に変わるか]


その7つの突起はさらに発達してタイのものでは、まるで太陽の光のように放射しており、ネパールのターラ菩薩では肩を飾る大きな花びらに変わり、さらに進んで左端の観音像の手と冠になってしまう。

他の像と見比べて戴くとよくわかるが、仏のもとの手のほかに6本の手が増えたのは、竜王の頭のせいである。

手は左右対称になっているから、真ん中の頭は手にすることができないので、突出した冠に変えられたのである。

沢山手のある仏像は、一見不思議なものであるが、それはいきなり考え出されたものではなく、こんな風に少しずつ変形し、解釈が変わっていったものなのである。



●如来(ラオス)

●竜王護仏(タイ)

●ターラ菩薩(ネパール)

●観世音菩薩(ネパール)
『参考』



小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  

歴史研究家「小嶋 秋彦」

2010年2月15日月曜日

縄文人の宗教は

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-


 こうした神道のもとになった信仰は、いつ日本へ入って来たのだろう?。

 カギは47ページの殷の人面盉の背面に秘められている。

 よくみるとそれは蛇体が取り巻いた姿をしているのである(右はし)。

 これと全く同じデザインの像が、インドを出発点に東南アジア各地に分布している。

 右に並べたものがその一部である。

 これでわかることは、人面盉は殷の人の遺したもので、右に並んだものはインドの宗教の産物。

 共に「イン」という民族の信仰の表現であるという事実である。

 山鉾などが立証する神道と同系の信仰対象であることはいうまでもない。

 ということはインドすなわちシンドウの信仰は、福田貝塚の人面注口器が製作される以前、すなわち縄文晩期までに日本へはいっていたことを意味する。

 その古さは福田貝塚のものが人面盉と同じく注口器で、後世の次ページの像と異なる点でも立証される。

<写真>

 ●中国(殷の人面盉の背面)

 ●タイ(蛇体)

 ●タイ(蛇体)

 ●カンボジア(蛇体)

 ●タイ(蛇体)

 ●タイ(蛇体)

 ●カンボジア(蛇体)

 ●タイ(蛇体)

『参考』



小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  





歴史研究家「小嶋 秋彦」


2010年2月14日日曜日

インドの山鉾


 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-


 インド南東部オリッサ州の山鉾巡行風景。

 高くヤグラを組み、ホロをかけ、屋上に柱を立てて縁起物を結び、高い舞台で祇園バヤシを演奏しながら、大勢の町衆が引きまわす。

 その巨大な車輪や舞台の手すりなど、日本人に親しみ深い形のものが多い。

 神事の手順や日程、お旅所があることなど、まさに日本の祭りそのものである。

<写真>

 ●インドの山鉾巡行

<写真>

 ●京都祇園祭の山鉾巡行

『参考』



小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  





歴史研究家「小嶋 秋彦」

2010年2月13日土曜日

山鉾の来た道はどこから


 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

 京都祇園祭の山鉾や日本各地の山車(だし)が、ヒンドゥ教(印度教)の祭りと同じものであって、とくにインド・オリッサ州プーリーのジャガンノート祭りが、山鉾巡行に最も近いことは、筆者が毎日新聞(52.7.19号)に書いて以来、広く知られるようになったが、このことが重要な意味をもつのは、山鉾や山車は神社の祭りであって、仏教のものではなく、仏教が伝来する前の日本人がもっていた信仰である神道とは、何であったかを立証する点である。

 こう見てくると山鉾、山車、山笠の山はシバ神の別名のヤマを意味することが明らかになる。

 祇園社はスサノオノミコトすなわち牛頭天王=シバ神=ヤマ神を祭る。

 この山の神をヤマン神と発音したものへの当て字が「八幡神」だということもわかる。

<写真>

 ●京都祇園祭の山鉾巡行

『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  
歴史研究家「小嶋 秋彦」

2010年2月12日金曜日

ネパールの山鉾


出典:加治木義博
日本人のルーツ
保育社:カラーブックス

<日本人のルーツ>-その探求の一方法-

日本の祭りにつきものの「山」は、インドを中心に東南アジア各地で広く見られる。

ネパールと京都の山鉾の一致点をみてほしい。

<写真>

●上3枚 ネパール・カトマンズの鉾立て

●京都の山鉾の縄組み。
どちらも釘類はいっさい使わない。

『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
歴史研究家「小嶋 秋彦」


2010年2月11日木曜日

甗(ゲン)は中国渡来人のものか

 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-

 この道具は古代の蒸し器である。

 当時の中国ではこうしたものは王侯だけが使ったもので、宝器中の宝器であった。

 最近内面に銘文が見つかり、その字型の特徴によって、これは春秋初期の「除」の国のものだったことが明らかになった。
 除の字は古代日韓では<ソ>と発音され、日向の襲(そ)の国名と同音である。

 この甗はその襲地方に太古から伝世してきたもので、襲人のルーツをこの銅器が証言している。

 朝鮮語では牛もまた<ソ>と発音する。
 牛頭天王信仰のもち主と<ソ>を国名とした襲人は多くの点で一致する。

<写真>

 ●天慧(てんえ)甗と、その銘文
   (中国・紀元前6~7世紀内壁に写真のような
   銘文14字が彫られている)
   高さ62cm


『参考』



小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  





歴史研究家「小嶋 秋彦」

2010年2月10日水曜日

神聖な牛

 出典:加治木義博

    日本人のルーツ

    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-


  牛への崇拝はインドよりも古イランで始まっていた。


 そこでは数多くの牛の像が出土している。

 日本では天神社と牛像は切ってもきれないが、天神すなわちシバ神であって、そこに牛像が祀られていたのは当然である。

 菅原道真の車を引いた牛だという考え方はいかがなものであろうか。

<写真>

 1 黄金牛(福島県)

 2 ナンデイ(インド):15世紀

 3 ナンデイ(インド)

 4 牛頭天王(ネパール)

 5 牛頭天王(ネパール)

 6 聖牛像(イラン出土):紀元前1000年

 7 スンコロクの牛(タイ):14世紀

 8 天神社の牛(日本)

 9 牛型聖酒器(ネパール)

 10 牛型聖酒器(チベット)

『参考』

『歴史の画像』
翻訳と辞書 [無料] 
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  
シュメル-人類最古の文明
歴史徒然
ウワイト(倭人)ウバイド
歴史回廊(遷都)
古代史の画像 

歴史研究家「小嶋 秋彦」
歴史学講座『創世』うらわ塾 

2010年2月9日火曜日

牛頭天王とはどんな神か(神話の背景)

 出典:加治木義博

    日本人のルーツ

    保育社:カラーブックス
    
<日本人のルーツ>-その探求の一方法-

  牛の頭をもった姿で表現される神。

 牛はインドで非常に役立ち、

 人間は牛によって大きな幸福を与えられているという気持ちがもとになって、

 尊敬から信仰が生まれ、シバ神の乗物とされたが、

 やがてシバ神そのものの変身と見られるようになり、

 シバ神が牛の頭をもった姿として表現された。

 日本では古来、スサノオノミコトが牛頭天王だとされ、

 韓国にも牛頭山(ソシモリ)の旧跡が遣っていたし、

 各地に牛頭の地名が現存する。

 これはシバ信仰がミコトたちの宗教であったことを反映したもので、

 祭る者が死後、祭られる者になる仏教と同じく、インド型の宗教の特徴を示している。

 シバ神は天地の主(あるじ)とされ、また嵐の神ともされる。

 スサノオもまた嵐神である。

 日本神話に多くのインド要素があり、神々に共通点が多いことは

  本人のルーツ探しの重要な手がかりになるのである。

『参考』

『歴史の画像』

翻訳と辞書 [無料] 

リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』 
シュメル-人類最古の文明


歴史徒然

ウワイト(倭人)ウバイド

歴史回廊(遷都)

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歴史研究家「小嶋 秋彦」
歴史学講座『創世』うらわ塾 

2010年2月8日月曜日

先太(さきぶと)の角(つの)はなくなったのか


 出典:加治木義博
    日本人のルーツ
    保育社:カラーブックス

    <日本人のルーツ>-その探求の一方法-


 47ページの人面盉がもっていた先太の奇妙な角は、<E>にもみられる。

 <E>は古墳時代の埴輪であるから、縄文時代の信仰が殷のものと同じであったことを補足すると同時に、その信仰が古墳時代でも滅びずに続いていたことを示している。

 <H>もまたよく見ると先太の角の変型であることがわかる。

 そればかりでなく、<F>もやはり先太の角の一型である。

 この兜の前立ては近世までやはり神聖な威力の象徴として生き続けていたのである。

 <G>は中国西南部甘粛省の、チョニの牛頭天王面の角で、<H>の角と同じくスペード型をしている。

 この風変わりな角はやはり信仰に結びついて今なお生きていたのである。

<写真>

 ●<E>笑顔埴輪

 ●<F>大鍬形の前立て

 ●<G>ツァム舞楽面の角

 ●<H>金銅冠

『参考』



小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  





歴史研究家「小嶋 秋彦」




2010年2月7日日曜日

古代信仰はルーツと無関係か


出典:加治木義博

日本人のルーツ

保育社:カラーブックス

<日本人のルーツ>-その探求の一方法-


その共通点は日中間だけでなく、<D>のイランの注口器でも多くみつけることができる。

こうしたことは決して不思議でも謎でもなく、76ページなどでお話しするように

メソポタミア文化は6000年前に中国東部に達しており、

当然殷文明と縄文文化に影響を与えたのである。

これらの出土品がもつ数多い共通点は、オリエントと日本列島とを結ぶ、

人の動きが縄文時代にもあったことの証拠である。

それは後世にも同じ信仰を残すと同時に、

途中の経路の各地にもいろいろな証拠を残しており、

それが日本人の古代信仰が何であったかを物語り、

日本人のルーツの一つを、はっきりと教えてくれるのである。

<写真>

●<A>辰馬注口器(復原レプリカ)

●<B>青銅人面盉(中国殷墟出土):
ワシントン・フリア美術館臓

●<C>押型文双耳注口器(茨城県福田貝塚出土)

:縄文後期・東京大学蔵
●<D>人面注口器(イラン・ギラーン州出土)
:紀元前11世紀


『参考』



小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書 『メソポタミア世界』  





歴史研究家「小嶋 秋彦」