※出典:加治木義博:言語復原史学会
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ジンム・プロブレム
真説:日本誕生 建国前夜の巨大連邦発見:236頁
《北上し東進した壮大な「五彩圏」大移動》
「北上し東進した壮大な「五彩圏」大移動」
《建国前夜の巨大連邦発見》
「建国前夜の巨大連邦発見」
「図」奈良朝までの国名地図
1 大隅
2 薩摩
3 日向
4 肥後
5 豊後
6 筑後
7 肥前
8 豊前
9 筑前
10 土佐
11 伊予
12 周防
13 長門
14 阿波
15 讃岐
16 安芸
17 石見
18 備後
19 備中
20 備前
21 出雲
22 紀伊
23 淡路
24 播磨
25 美作
26 因幡
27 伯耆
28 大和
29 和泉
30 河内
31 摂津
32 丹波
33 但馬
34 丹後
35 伊勢
36 伊賀
37 近江
38 山城
紀元前(BCE) (※BCE=共通紀元以前。「BC=キリスト以前」は学術上は不適当)
18世紀 バビロニア第一王朝滅びる。カリエン人(和人)の大移住始まる。
1523 中国に殷人の商帝国興る。その繁栄は宝貝貨幣によって支えられていた。
10世紀 中国。殷・商帝国滅亡。周帝国に変わる。伝説では老子はこのころの人とされる。
770 東周建国する。
7世紀後半北インドに第1次マガダ国ほか16大王国生まれる。
660 日本書紀』はこの年を神武天皇の即位年とするが、それはこのマガダ国の誕生と
重なるから、なんらかの記録があったものと考えられる。
440 マガダ国、ガンジス河流域統一。
322 チャンドラグプタ、新・マガダ国建国(マウルヤ王朝)。
268 マガダ国アショカ王即位。
244 アショカ王による仏典結集。東西南北へ仏教宣布団を派遣。東はソナカ宣布団が
開拓して、ミャンマーから、後にインド・シナ半島、インドネシア各島に及び、
台湾から沖縄、そして九州に達した。このころ日本列島に水稲、弥生土器が作ら
れ始め、本州西部に銅鐸文化が広がる。インド以北はミジマ宣布団が開拓する。
221 秦の始皇帝、中国を統一、即位。
219 徐福、ホーライ島へ出発。このころ台湾がホーライと呼ばれている。
210 徐福、またホーライへ出発。秦の始皇帝、死ぬ。
160 地中海人種の月氏(ユェチ)、シヤケ族の国土を占領、シヤケ族の移動始まる。
150 シヤケ人、インド北部、ネパールへ侵入。
145 司馬遷(シマセン)生まれる。
140 地中海人種の烏孫(ウーソン)」人、月氏の国土を占領、月氏の移動始まる。
漢の武帝即位。
121 漢の武帝、金人を手に入れて大神とする。
86 司馬遷死ぬ。
70 月氏、烏孫の敦煌周辺を占領、仏教圏生まれる。烏孫の移動始まる。
烏孫人の一部は長江を下って、旧[呉]地域などに移住。
53 烏孫国大乱。
40 この年までに高句麗建国。
紀元後(CE)(※CE=共通紀元)
26 後漢の建武二年。委奴(いな)国、後漢・光武帝に朝賀し印綬を受ける。
45 後漢の伏波将軍・馬援(マエン)、烏丸(ウカン)を攻めて敗走。
49 烏丸の81君長ら漢に帰化、周辺守備につく。
57 後漢の建武中元二年、委奴国、後漢・孝明帝・荘に朝賀。
109 後漢の永初三年。烏丸、鮮卑と漢を攻めて敗け、親漢都尉にされる。
168 後漢の孝桓帝死に、孝霊帝即位。このころ初代卑弥呼、連邦女王に共立される。
これが『記・紀』の神功皇后の初期の記事に一致し、葛城襲津彦も登場する。
このころが佐賀県基肄(きい)地方が黄色の国で伊都(いつ)国が都だった時代。
弥生時代後期。南鮮に馬韓・辰韓・弁辰の古三韓あり。三国とも日本語名の小国で 構成。
234 諸葛孔明、死ぬ。
237 魏の景初元年、烏丸の冠婁敦(カフロウドン)、魏の幽州刺史、
毌丘倹(カンキュウケン)に降伏。
238 呉の赤烏元年。(赤烏の年号が入った三角縁神獣鏡が出土している)
239 魏の景初三年、倭人連邦女王・卑弥呼、魏の帯方郡に使者・難升米らを派遣。
この年号が入った三角縁神獣鏡(大阪府和泉市の黄金山古墳から出土)がある。
240 魏の正始元年、帯方郡使・建中校尉・梯儁、卑弥呼に合い、鏡などを届ける。
244 魏の正始五年、魏の幽州刺史・毌丘倹は高句麗を攻め、首都の[丸都]陥落。
高句麗山上王位宮は北鮮より敗走、行方不明になる。このころ粛真(シュクシン)国 がある。
新羅始祖・赫居世(邪馬壹国女王[壹與]と諸条件が一致)、沖縄で即位。
247 魏の正始八年、狗奴国男王・卑称弓呼素、邪馬臺を攻撃。老卑弥呼死ぬ。
これが神武天皇の東征記事の一部になる。
247 壹與(次の卑弥呼・日葉酢媛)を立てて内乱治まる。邪馬臺政権消え、
邪馬壹国誕生。
筆頭官「伊支馬」は山上王位宮で『記・紀』の神武天皇と垂仁天皇に一致。
鹿児島県川辺郡(灌奴部(かんなべ))の知覧に古代新羅「鶏林(ちりん)」が都する。
その後、福岡が白日別(しらひわけ)と呼ばれ、『三国史記』[新羅本紀]の
「斯盧(しろ)」時代に一致する。
304 前趙・成漢、建国。これより439年までを五胡十六国時代という。
366 敦煌(トンコウ)の莫高窟(モコウク)を作り始める。
407 大夏、建国。
413 東晋・義熊(ギギ)九年。倭王・賛あり。
438 倭王・讃死に弟・珎立つ。
443 倭王・済、宋に遣使。
449 柔然(ジュジン)、北魏と戦い大敗して大移動する。
451 倭王・興、宋に遣使。
452 蠕蠕王・吐賀真、北魏に敗れて逃亡する。
465 和平五年。蠕蠕王・吐賀真死ぬ。
465 ?倭王・興死に、弟・武立つ。
478 倭王・武、宋に遣使、上表する。
502 梁の高祖即位し、倭王・武を征東将軍にする。
520 蠕蠕の醜奴(シュウド)可干、母に殺される。
6世紀の中ごろ、柔然(蠕蠕)のアヴアール族、ドイツ北部を支配する。
581 隋、建国。
608 隋・大業三年、隋の文林郎・斐清、俀国へくる。日本の推古一六年。
628 隋滅び、唐建国。
645 三蔵法師、インドから唐へ帰国。
645 大化改新。
660 阿倍比羅夫、粛真を討つ。唐と新羅の連合軍、百済を攻める。
663 白村江の敗戦で百済滅ぶ。
670 倭国、国号を「日本国」に変える。
672 壬申の乱。弘文天皇殺され、天武天皇即位。
681 浄御原令(きょみはらりょう)=律令制定。このとき陰陽寮を設置したとされる。
764 淡海三船、天皇の漢風諡号を作る。
950 このころから陰陽博士をおき、安倍と賀茂の二家をこれに当てる。
1271 中国・元、建国。
1368 中国・元滅び、明、建国。
1441 島津忠国、琉球を所領に加えられるが統治せず放置しておく。
1500 琉球・八重山の英雄ウヤキ・アカハチ、琉球王朝に反抗して死ぬ。
1609 島津氏、徳川家康が対明貿易の拠点にするため、督促されて琉球統治開始。
1616 女真のヌルハチ、中国・満州地区に金(後金)国を建国。
1636 後金国、清シン(チン)と改名する。
1661 中国・明、清に滅ぼされて、清朝始まる。
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