2011年4月30日土曜日

『魏書倭人章』が生まれたとき

 ※出典:加治木義博:言語復原史学会
     日本国誕生の秘密 40~41頁
     ㈱徳間書店



その直後に中国では後漢が滅びて三つの超大国「魏・呉・蜀」に分裂し、我こそ漢帝国の後釜になろうと三国が戦いに明け暮れる、あの三国時代に入りました。

その時には遼東は独立して小国「燕(エン)」になり、その王は太守の息子・公孫淵(コウソンエン)でしたが、彼はなかなかの野心家で、中国の動乱を利用してもっと国土を広げようと、魏の向こうにある呉と同盟を結んで、魏を挟み撃ちしようとしていました。

ところが魏の軍隊を西に釘づけにしていた蜀の名将・諸葛孔明(ショカツコウミョウ)が病死してしまったので、魏が先手を打って「燕を挟み撃ちにしよう」と高句麗に申し込んできたのです。

時代がそんな時代でしたから高句麗も、魏のいう通りにしなければ魏は超大国ですからひどい目に遭うに決まっています。

位宮も軍隊を率いて出陣しました。

だが腹黒い魏は前もって、公孫氏が領有していた朝鮮半島中部に軍隊を侵入させて占領し、逃げ道をふさがれた公孫淵が気がついたときには、もう勝敗は決まっていました。

ところがこの公孫氏は卑弥呼らの強力な同盟国だったので、それが滅びては卑弥呼らの倭人連邦も危機にさらされます。卑弥呼は公孫氏の滅亡を知るとただちに、魏が占領地につくった帯方郡に使節を派遣しました。

それに続いて魏の政府が対応した際の記録を、陳寿が編集したものが、いま私たちが仮に『魏書倭人章』と呼んでいる有名な文書なのです。


 「図:高句麗の武将」

伊宮時代の高句麗は騎馬戦の先進国、呉の孫権にも大量の馬を贈った。

「駒」を「コマ」と発音するのは、「高麗の獣」という意味。

高句麗が馬の産地だったことを記録している。

また頭にかぶっているのは平安時代以後の絵こ見られる日本の「折れ烏帽子=おれえぽし」と同じもので、これは新羅や加羅の武士もすべて共通してかぶっていて、朝鮮半島を支配した者が、この特殊な烏帽子に象徴された同族だったことがわかる。

魏書倭人章
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2011年4月29日金曜日

高句麗王位をめぐる相続争い




※出典:加治木義博:言語復原史学会
㈱徳間書店
日本国誕生の秘密 38~39頁





ところがそれまで高句麗王だった二番めの兄・故国川王=クマガワオウが死んだとき、国民が大騒ぎするのを心配した王妃が、王の死を秘密にしたままで、夜、そっと長男の羽月(ハツキ)王に「あなたが次の王になるべきだ」と勧めようと思って行ったのですが、気の小さい長男は義妹が不倫のために夜ひそかに忍んできたと誤解して怒って、王妃を罵倒(ばとう)して追い返してしまいましたので、恥じて怒った王妃は、新しい相談相手に三男の位宮(イキウ)を選びました。

位宮は長兄とちがって急いで礼服に着かえて出迎えるほどの人物でしたから、王妃は彼を次の高句麗王と決めました。

後でそれを知った羽月王は自分の家来に王妃と位宮のいる王宮を囲ませましたが、考え深い位宮は門を固く閉めて相手になりません。

すると国民も兵士も羽月王を見くびって命令をきかなくなりましたので、羽月王は居たたまれなくなって、妻子を連れて行方不明になってしまいました。

そして羽月王は遠く高句麗の西隣にある漢の遼東(リョウトウ)郡に現れたのでした。

彼はそこから高句麗を攻めて、武力で我がものにしようと考えて、その郡の大守の公孫度(コウソンド)に自分の都合のいいように訴えて、3万人の軍隊を借して欲しいと申し込みました。

大守は高句麗に内乱が起こればしめたものだと思って、3万人の軍隊を貸してやりました。

しかしそのとき高句麗にいた末の弟は、漢の力を借りて祖国に刃向かうという長兄のやり方に激怒して、漢軍を激しく迎え討ちましたので、その猛烈な反撃に、最初から迷惑に思っていた借りものの軍隊は散々に負けて、羽月王はついに自殺してしまいました。


「地図」位宮と卑弥呼当時(240年代)の国名・地名

北から

挹婁・夫余
丸都城
高句麗
楽浪・帯方
辰韓・弁韓・馬韓
遼東
対馬・ 一大
委奴・八尾・ 毛
毛人
倭・<隼人>
大隈(ウースン)
種子島・ 狗奴
大国・六合・大天国
琉球
ヨナ国(イオニア))
ホーライ・タイナロン
呉(ウースン)・六合

高句麗
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