2010年6月30日水曜日

『魏書倭人章』登場者の系譜


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    99~100頁


 「断定できる「実在」

 これで第1章は終わるが読者の中には

 『魏書倭人章』と『記・紀』とが一致したというだけで

 『記・紀』の登場人物が実在だといいきれるか?と、

 まだ疑問に思う方がありそうである。

 『記・紀』が『魏書倭人章』をもとに作られたものなら

 一致は当然で、

 何も「実在」の証拠にはならない。

 という気がするかも知れない。

 だが考えてみると、

 たとえ『記・紀』が
 
 『魏書倭人章』を写したものであったとしても、

 『魏書倭人章』の方は、

 日本国民をだまそうという目的で作られた

 「ニセの歴史」などではなく、

 帯方郡使が外国人の眼で

 「客観的に見聞きした事実」の報告書を、

 陳寿が編集しただけに過ぎない。

 郡使は何もウソを書く必要も理由もないから、

 そこに登場する人物は全て、実在者ばかりである。

 それをもとに『記・紀』が書かれたとしても、

 「事実の記録による実在者の歴史」であることには変りはない。

 しかも『記・紀』は『魏書倭人章』をもとに

 書かれたものではない。

 なぜなら『記・紀』は『魏書倭人章』の人物が、

 だれだったか知らない。
 
 ことに『日本書紀』は<卑弥呼>を<神功皇后>だと考えて、

 <卑弥呼>が<難升米>を魏へ派遣したことなどを、

 小文字ではあるが何年にもわたって書き添えている。

 『日本書紀』は天皇たちの治世年数を書いているから、

 その遣使の年から数えると、

 本当の<卑弥呼>である<倭迹迹日百襲姫>は、

 それから320年も前に死んだことになっている。

 これではとても『魏書倭人章』の焼き直しだとはいえない。

 また卑弥呼は女王と書かれ、

 男弟は政治を補佐しているに過ぎないのに、

 その男弟を崇神天皇、

 卑弥呼を単なる天皇の姑と逆に書いている。

 かと思えば

 『魏書倭人章』では分らない卑弥呼の死に方などを

 『記・紀』は詳しく知っている。

 『記・紀』を詳細に分析してみると

 『魏書倭人章』とは関係なく、

 どちらも独立して書かれていることが立証される。
 
 だから事実の記録に一致する

 『記・紀』の登場者は「実在だ」と断定できるのである。

 『魏書倭人章』登場者の系譜


 「『魏書倭人章』登場者の系譜」(主に『日本書紀』により『古事記』で補う)

                 孝霊天皇
   ┌───┬─────┬────┻━━━┯━━━━━━━┓
  稚武彦 彦狭島  彦五十狭芹彦  倭迹迹日百襲姫   孝元天皇
                     (男 弟)    (卑弥呼)
             ┌──────┬────┬────┸─────┐
            武埴安彦   彦太忍信 倭迹迹姫 開化天皇   大彦
          (狗右制卑狗)                         ┃          │
           ┏━━━━━━━┯━━━━━━━━━━┛    武渟川別
          崇神天皇     彦座         彦湯隅    (難升米)
          (男 王)                │
           ┃                 丹波道主
           ┃                  │
     ┌──┬───┼──┐       ┌────┬──┴─┐
      ∧  ∧  ∧∧  ∧       ∧     ∧   ∧
     八掖 彦伊 垂伊卑 豊都      沼奴  歌弟薊弥  日弥
     坂邪 五声 仁支弥 城市      羽佳  凝比瓊馬  葉馬
     入狗 十耆 天馬弓 入牛      田鞮  比売入獲  酢升
     彦∨ 狭∨ 皇∨呼 彦利      入∨  売 媛支  媛∨
        茅    素  ∨      日      ∨     │  
            ┃ ∨         売          │
          ┗━━━━━━━━┳────────────┘
                   ┃
                       ┌──────┻━━━━┓
           倭姫命                 景行天皇
          (壹  與)       (戴斯烏越)



 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月29日火曜日

4官名が揃う垂仁天皇朝


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    77~78頁


 これまでみてきた候補者たちのうち誰々が、

 『魏書倭人章』に記録された<邪馬壹国の4人>なのであろうか。

 それを見分けるカギは第一に4人が揃っていること、

 第二に4人が地位の順に並んでいること、

 第三に政権担当者に相応(ふさわ)しい人物であること、

 といった条件である。

 第一の条件に合うのは崇神天皇朝と垂仁天皇朝であるが、

 崇神朝で筆頭官の伊支馬に当たる名をもつ人物は、

 皆子供ばかりで、

 地位順という第二の条件に合わない。

 同じことは景行天皇朝についてもいえる。

 <伊支馬>にあたる<倭建命>は皇子で、

 天皇より上位ということはありえない。

 このことは第三の条件にも合わない。

 では一つだけ残った垂仁天皇朝はどうか、

 も少し許しく検討してみることにしよう。

 筆頭の<伊支馬>は垂仁天皇自身。

 これは合格である。

 次の<弥馬升>は<日葉酢姫皇后>でこれも合格。

 第三の<弥馬獲支>は妃の<円野阿邪美妹歌凝比売>でこれも合格。

 第四の<奴佳鞮>もやはり妃の<沼羽田入比売>でこれも合格。

 4人が揃い、4人が地位の順に並び、

 4人とも政権担当者に相応しい人物であることという、

 三つの条件が完全に揃っている。

 さらにもう一つ絶対に忘れてはならない条件がある。

 それは『記・紀』の記事内容の年代が、

 『魏志倭人章』の邪馬台国の年代と、

 かけ違っていては何にもならないということである。

 ほぼ年代が確実とされているのは、

 「倭の五王」時代に合う点の多い仁徳系皇朝であるが、

 この4~5世紀の記事の前に、

 適当な間隔を置いて配置された垂仁天皇朝の記事は、

 3世紀半ばの実在である邪馬台国の年代と、

 よく合っていて何も問題は残らない。

 これほどよく一致することは、どんなに偶然が重なったとしても、
 絶対にありえない。

 ほんの少しの偶然が重なることもごく希なのに、

 これを大量の偶然が重なった奇跡とする者がいれば、

 それは余りにも非科学的で、

 良識に欠けるとしかいいようがない。


      官名
          <卑弥呼> <伊支馬> <弥馬升> <弥馬獲支> <奴佳鞮>

   皇朝

  3 安寧                            ※   

  5 孝昭                 ※           ※

  7 孝霊      子

  10 崇神      ※     子      ※      ※     ※ 

  11 垂仁          ※      ※      ※      ※        ※

  12 景行            子             ※     子

  14 仲哀                                           ※

 これを見ると<伊支馬>、<弥馬升>、<弥馬獲支>、<奴佳鞮>の

 四官名が揃っているのは、明らかに垂仁朝だけである。

 『魏書倭人章』の<邪馬壹国>は、

 『記・紀』の垂仁政権以外にありえない。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月28日月曜日

同じ名の捜査システム

 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    69~70頁


 『魏書倭人章』と『記・紀』との官名・人名には、

 互いに方言差があることがお分り戴けたと思う。

 そのことを頭において双方を比較して見ていくと、

 かなりの精度で元は一同じ名前だったと分るものを

 見つけることができる。

 母音が多少ちがっていても、

 子音がほぼ同じ順序で並んでいるものを、

 捜せばいいのである。

 「ほぼ」というわけは、『記・紀』の中の名前には、

 いろいろな助詞(「ノ」とか「ヌ」とか「ツ」とか「ガ」

 といった「…の…」に当たるもの)が、

 間に付け加えられたものがあるから、

 その分だけ原名と、合わなくなっているからである。

 例えば「伊声耆」に合う官名は、

 「五十狭芹彦」と「五十狭茅」など幾つもあるが、

 前者は<イサキンヒコ>。後者は<イサチ>と別の名のように見える。

 しかし沖縄方言で「キ」は「チ」と

 発音されることを知っていると、

 「イサキ=イサチ」で、この部分までは同じであることが分る。

 間題はその次の「ン」である。

 これは助詞の「ノ」を南九州方言で「ン」と発音するので、

 その助詞である可能性が高い。

 そこで他にも同じ例がないか調ペてみる。

 あれば助詞であるから本名とは無関係な、

 任意に挟まれた「余分な音」として無視してよく、

 なければ固有のものとして、前者と後者を厳密に区別して、

 この二つの名は全然別物で無関係だということになる。

 この官名の場合は同じものが沢山見つかる。

 「天日矛」は「あめ・ノ・ひほこ」と

 <ノ>をいれて発音するが同じ例は多数ある。

 「武埴安彦」は分析すると「

 安彦」は「兄彦」を意味していることが確定する。

 兄は古音「ア・エ」で、

 助詞の「ノ」の方言「ン・ヌ・ニ」がついて

 「アン・エヌ・アニ」と変化したものである。

 だから彦の前の「ン」は助詞である。

 これも「○○<ノ>命」のように称号の前に

 助詞をつける習慣の方言化で、決して例外ではない。

『魏書東夷傳倭人章』

 官名・人名発音比較リスト:Bernhard Karlgren 氏中古音

 日本の『記・紀』万葉時代の古音:『記・紀』の該当者名

  (原名)      (B・K氏中古音)      (日本の8世紀音) (『記・紀』の該当者)

 卑狗     ピーコー        ピコ       日子・比古・彦

 卑奴母離   ビーノモーリー     ピナモリ     夷守

 爾支     ジーチ         ジチ       直(ジキ)・日子(ジツ)木(チ)

 泄謨觚      ヤィモークォ      ヤリボコ     (槍矛=八千矛)

 柄渠觚   ピューコクォ      ピホコ      天の日矛

 兕馬觚   ヂマクォ        ジマカ(ン)    田道間守

 多模        タモー         タモ       田裳見宿弥(見=耳)

 弥弥    ミェミェ        メメ       遠津年魚眼眼妙媛

 弥弥那利  ミェミェナリー     ミミダリ     耳垂

 伊支馬      イチーマ        イキマ      活目入彦五十狭茅
 弥馬升   ミェマシャング     ビバス      日葉酢姫

 弥馬獲支    ミェマクァッチー    メマクワシ    遠津年魚眼眼妙媛

 奴佳鞮   ヌカディー       ヌハダイー    沼羽田入比売

 狗右智卑狗 コウチーピーコー    コウチヒコ    武殖安彦

 大倭        ダイワ         オホヤマト    大日本

 卑弥呼   ピーミェクォ      ピーメヲ     倭迹迹日百襲姫(姫王)

 難升米      ナンシャングミー    ヌンシェンビーチ 武渟川別 

 都市牛利  トヂギャーンリー    トチギイリ    豊城入彦

 伊声耆   イシャンギー      イッサンキン   五十狭芹彦     

 掖邪狗      ヤヂャカウ       ヤジャク     八坂王(八尺入彦)

 卑弥弓呼素  ピーミェキウンクォソ  ピメキウーンカソ (姫木王の父)

 載斯烏越  ツァイシゥオジューブツ タアシオジロベツ 大足彦忍代別

 壹与     イェチゥオー      イチヲー     倭姫命(市王) 


 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月27日日曜日

沖縄方言型の官名・人名

 

 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    67~68頁


 『魏書東夷傳倭人章』の官名・人名を、『記・紀』の

 それと比較すると、

 よく似てはいるが、

 どうもどこか、しっくり行かない点が多いことに、

 お気付きになったと思う。

 彦・日子は<ヒコ>という発音が正しいのに、

 <ヒク>になっているし、

 田裳は<タモ>なのに、<タム>になっている。

 これをアルファベットで書いてみると、

 hiko=hiku

 tamo=tamu  

 と、語尾の母音が、

 そろってになっているのがわかる。

 こうした母音の違いは、方言による違いなのである。

 沖縄方言では標準語のと発音する。

 この<ヒク・タム>という発音の仕方は、

 沖縄方言と全く同じである。

 御刀姫(ミバカシ姫)=眼眼妙媛で、

 眼に当たる発音は<ミ>である。

 沖縄方言では眼、目など<メ>の音を<ミ>と発音する。

 これもまた沖縄方言と同じだ。

 さらに目立つのは<ナ>と<ヌ>の逆転である。

 渟名は<ヌナ>なのに

 『魏書倭人章』の方は<ナヌ>になっている。

 <イサナキ>も<イサヌキ>になっている。

 沖縄方言では汝(ナンジ=あなた、君)を<ヌージ>という。

 <ナ>と<ヌ>の逆転が明瞭にみられる。

 <伊支馬>も<万葉ガナ>では<イキマ>になるが、

 漢字の上古音では<イチマ>に近い。

 沖縄方言では<キ>を<チ>と発音する。

 君は<チミ>、菊は<チク>である。

 沖縄方言は母音がの三つしかない。


 だから沖縄方言は三母音語に属し、

 すぐ見分けることが出来るのである。

 こうしてみて行くと、

 『魏書倭人伝』の官名・人名の特徴は、

 沖縄方言型のものが実に多いことがわかる。

 帯方郡使が当て字で記録して置いてくれた名前は、

 倭国の人々の内に沖縄方言を話す人たちがいたことを、

 はっきりと証言しているのである。
 

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月26日土曜日

官名・人名発音比較リスト


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    57~60頁
 『魏書東夷傳倭人章』


 官名・人名発音比較リスト:Bernhard Karlgren氏上古音

     日本の『記・紀』万葉時代の古音:『記・紀』の該当者名

  (原名)      (B・K氏上古音)     (日本の8世紀音) (『記・紀』の該当者)

 卑狗     ピェグク       ピク       日子・比古・彦

 卑奴母離   ピェグノマグリァ   ヒナモリ     夷守

 爾支     ニャチェグ      ニチ       根子(日子(ニチグァ))

 泄謨觚      ヂャッマグクォ    ヂマコ      島子

 柄渠觚   ピャンギョクォ    ピポコ      天の日矛

 兕馬觚   ヂェマクォ      ジマカ      田道間守(タ・ジマカン)

 多模        タマグ        タマグ(之)    玉櫛比古(姓氏録)

 弥弥    ミャミャ       メメ       遠津年魚眼眼妙媛

 弥弥那利  ミャミャナリア    ミミダリ     耳垂(耳成山)

 伊支馬      ヤチェグマ      イキマ      活目入彦五十狭茅

 弥馬升   ミャマシェング    ビバス      日葉酢姫

 弥馬獲支    ミャマグァッチェグ  メマクワシ    遠津年魚眼眼妙媛

 奴佳鞮   ノケグディェグ    ヌハダイー    沼羽田入比売

 狗右智卑狗 クウチェグピェグク  コウチヒコ    武殖安彦

 大倭        ダッワル       オホヤマト    大日本

 卑弥呼   ピェグミャゴ     ピメゴ      倭迹迹日百襲姫(姫御)

 難升米      ナンシェングミャ   ヌンシェンビーチ 武渟川別 
 都市牛利  トヂャギュウグリャ  トチギイリ    豊城入彦

 伊声耆   ヤシェンギャ     イサンキ     五十狭芹彦     

 掖邪狗      ヂャクヂオク     ヤジャク     八尺入彦

 卑弥弓呼素  ピェグミャキュンゴソ ピメキウーンゴソ (姫木王の御祖)

 載斯烏越  ツァグシェグオギワツ タアシオジロワク 大足彦忍代別

 壹与     イェッヂョ      イチジョオー   倭姫命(市女王) 



 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月25日金曜日

名詞漢字発音リスト2


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    65頁

『魏書東夷傳倭人章』

 名詞漢字発音リスト:日本の『記・紀』万葉時代の古音

 「当時の使用例が不明のものは近似した文字を

  『 』内に挙げ

  それもないのは、

  参考音(ひらがな)だけを挙げて置く」

 多 タ             

 不 フ

 対  (たい・つい)        

 柄 (ひ・へい)

 大  タ・ダ・(だい)            

 米 メ・(べい・まい)

 臺 (だい・と)         

 母 モ・(ぼ)

 智 チ                 

 謨 ム・モ・(ぼ)

 持 (ぢ)            

 末 マ・(まつ)

 鞮 『提(テ・ディ・(でい))』  

  弥 ビ・ミ・メ・(や)

 都 ツ・ト             

  模 ム・(も)

 投 (とう)             

  掖 (えき)『夜(ヤ)・(よ)』

 奴 ド・ヌ・ノ        

 耶 サ・ヤ             

 那 ナ               

 邑 オ・(ゆう)      

 難 ナ・(なん)        

  与 ヨ・ヲ

 爾 ジ・『尓(ニ)』          

 離 (り)

 巴 ハ                

  利 ト・リ

 馬 マ・メ・(ば)         

  率 (りつ・そつ)

 卑 ヒ            

 盧 ル・ロ

 百 ホ・モモ・(ひゃく・はく)

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月24日木曜日

名詞漢字発音リスト1


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    64頁

 
 『魏書東夷傳倭人章』

 名詞漢字発音リスト:日本の『記・紀』万葉時代の古音

 「当時の使用例が不明のものは近似した文字を

  『 』内に挙げ

  それもないのは、

  参考音(ひらがな)だけを挙げて置く」

 伊 イ                     

 呼 ヲ             

  倭 ワ・『委(イ)』

 古 コ          

  惟  (い)             

 已  イ・ヨ            

  為 イ・シ            

 拘 (句(ク))              

  一  イ・イチ・(ひ)            

 好  (こう)          

  壹  イ・イチ               

 載 (さい)         
 
 烏  ウ・ヲ(からす)          

 市 チ・(いち)           

  越  ヲ・(こし・しろ)         

 支 キ         

  佳 (か)             

 斯 シ          

  華 (くわ)・『渦(ワ)・和(ワ)』    

 升 (す・つ・しょう)        

  獲 ワ・(くわく)             

 臣 オミ(しん・じん)         

  鬼 マ・(き)               

 兕 (じ)           

  耆 キ                  

 邪 ザ          

  牛 (ぎゅう・ご)            

 衰 (すい)        

  弓 (きゅう)              

 声 (せい)        

  躬 (きゅう)              

 制 セ         

  渠 コ・ホ・(きょ)            

 泄 (せつ)・『世(セ)・(よ)』         

  郡 ク・(ぐに・こほり)         

 蘇 ソ

  狗 (句(ク))                 

 素 ス・ソ・(しろ)

  觚 (くわ)                

 姐 (ソ)・(ちぇ)


 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月23日水曜日

官名・人名の万葉ガナ読み


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬

壹国
    63~65頁


 『魏書倭人章』の主な官名・人名を<万葉ガナ>読みすると、

 大体つぎのようになる。

 (<万葉ガナ>にない文字は、他の同系の文字によって発音を推定し、
 
 また先にみた升が<ス>、<ツ>という半音だけでなく、

 <ジョウ>という複音としても使われていることや、

 中国音の使用も考えにいれて、

 『記・紀』の官名・人名と比較しやすくしてある。)

 卑弥呼(ピメヲ・ピメゴ)

 伊支馬(イキマ)

 弥馬升(ミマス・ミマツ・ミマジョウ)

 弥馬獲支(ミマカキ・メマクワシ)

 奴佳鞮(ヌハダイ・ヌカティ)  

 都市牛利(トチギウリ・ツチゴリ)

 伊声耆(イサキ・イセヌキ)

 掖邪狗(ヤザク)

 壹與(イチヨ・イヨ)

 狗右制卑狗(クウチアィピク)

 爾支(ジキ)

 難升米(ナンジョウメ・ナヌシェンベ) 

 弥弥(メメ・ミミ・ビビ) 卑狗(ピク)

 弥弥那利(メメナリ・ミミナリ・ビビナリ)

  卑奴母離(ピノモリ・ピヌモリ・ピドモリ)

 (この読みと合う『記・紀』の中の名前を、次ぎに挙げてみる。) 

 イキマ(活目)

 ミマツ(観松・御真津)

 ミマジョウ(御間城)

 ミマカキ(御間城) 

 メマクワシ(眼々妙・目目微)

 ヌハダイ(沼羽田入) 

 トチギウリ(豊城入)

 トチニウリ(十市瓊入)

 イサキ(五十狭芹彦)

 ヤザク(八尺入)

 ピク(彦・日子)

 ビビ(大日日) 

 ミミ(耳) 

 メメ(目目)

 ヒヌモリ(夷守) 

 (母音の発音差は方言差=次の章で詳しく説明する。)

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

原名と変型の証明


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    62頁


 『魏書倭人章』と『記・紀』との

 官名・人名を比較するためには、本来、

 <中国の古音>で書かれていた名前を、『記・紀』編者らが

 (1) どう変型させてしまったか?。

 (2) なぜ変型させてしまったか?。

    徹底的に研究する事が最重要課題である。

    だが変型してしまったものを、

 (3) どうして元の名前が変型したものだと、

    判定することができるか?それが先ず

    大きな問題である。それには

 (4) 「原型と変型との間に共通する」ものを

    見つけ出すことが必要である。

 原型はカールグレンの古音が教えてくれる。

 卑弥呼は ピェグ ミャ ゴ

 伊支馬は ヤル チェ グマ  であるから、

 原型のままではとても『記・紀』のなかには

 見つかりそうにもないが、

 『記・紀』万葉が書かれた8世紀前後の日本で、

 盛んに使われていた<万葉ガナ>で読んでみると、

 伊支馬=イキマ=活目。

 弥馬升=ミマツ=観松。

 弥馬獲支=ミマカキ=御間城。

 といった調子にうまく合うことは、

 先にすでにみたとおりである。

 このことから分かったことは、

 『記・紀』の編者たちは、

 天皇たちの名を耳で聞き伝えて知っていたのではなかった、

 という重大な事実である。

 彼等はそれらの名を

 『魏書倭人章』と同じ当て字の「文字」で知った。

 だからそれを当時の知識で、

 <万葉ガナ>で読んでしまったとすれば、

 これで4つの謎はすべて答が出たことになる。

 (1) <万葉ガナ>読みに発音を変型させて、

    それに合う別の文字を当て字した。

 (2) <万葉ガナ>読みしたために、変型させてしまった。

 (3) 原名を万葉読みしたものと同じ読み方ができるから、

    同じ原名から蛮型したものだ、

    と判定できるので

 (4) の「共通するもの」は、<万葉ガナ>式発音だ、

    ということになる。


 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月21日月曜日

変化した『記・紀』万葉音


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
61頁

    
 しかしこれで、すぐ『記・紀』の人名と、

 比較できると思うのは早トチリである。

 なぜなら、これで出た答は3世紀当時の中国の発音であって、

 8世紀か、それ以後に書かれた『記・紀』の発音は、

 これとは随分ちがったものだからだ。

 さきに見た弥馬升を<ミマツ>と読んだり、

 <ミマジョウ>と涜んだりしている事実は、

 もうすでに3世紀の発音が分らなかったことを、

 はっきり示しているのである。

 『記・紀』の人名、官名のもとになった記録を、

 『記・紀』の筆者は自己流の読み方をして、

 いい加減に当て字していたことが、はっきり見て取れる。

 そうしたものがどれ位い違っているか、

 次ぎの一覧表でよくみていただきたい。

(言語学で使う専門的な表音記号は、

 多くの読者にはわかりにくいので、カナ書きを採用した。)

    カールグレン氏の上古音と『記・紀』万葉時代音の比較

   カ氏   記・紀  

 伊 セル   イ    

 都 ト    ト・ツ

 烏 オ    ウ・ヲ  

 奴 ノ    ド・ヌ・ノ

 呼 ゴ    ヲ    

 那 ナル   ナ

 越 ギワッ  ヲ    

 卑 ピェグ  ピ

 支 チェグ  キ    

 弥 ミャル  ビ・ミ

 耆 ギャル  キ    

 馬 マ    マ・メ・バ

 古 コ    コ    

 模 マグ   ム・モ

 渠 ギョ   コ・ホ  

 謨 マ    ム・モ・ボ

 斯 シェグ  シ    

 母 マ    モ・ボ

 爾 ニャル  ジ    

 柄 ピヤング ヒ

 多 タ    タ    

 与 ジョ   ヨ・ヲ

 智 チェグ  チ    

 利 リャ   ト・リ

 市 ヂヤ   チ


 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月20日日曜日

人名・官名の正しい発音(3)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    57~60頁

 

    (上古音)(中古音)      (上古音)(中古音)    

 多 ta      ta     不 pwo     puo

 対  twad    tuai        柄 piang   piwbng

 大  dad     dai         米 miar    miei

 臺 dag     dai         母 mag     mau

 智 tieg    tie         謨 mag     muo

 持 diag    zi          末 mwat    muat

 鞮 dieg    diei        弥 miar    mjie

 都 to      tuo         模 mag     muo

 投 tu      tau         掖 ziak    ia

 奴 no      nuo         耶 

 那 nar     na          邑 iap     iap

 難 nan     nan         与 zio     iwo

 爾 niar    nzie        離 lia     ljie

 巴 pag     pa          利 liad    lji

 馬 ma      ma          率 sliwat  siuet

 卑 pieg    pjie    盧 lio     liwo

 百 pak     pbk

 言語学上の音表文字や四声の符号などは専門家以外は読みづらく、

 かえつて理解をさまたげるので普遺のアルファベットに直し、

 符号は糾した

 厳密にはXの音を一部、に変えたものがあるが、

 大きな違いはない。

 『魏書倭人章』官名・人名・原発音リスト:
  カールグレン上古音による

 卑 pieg   狗 ku                     ピェグク 
 卑 pieg   奴 no   母 mag   離 lia        ピェグノマグリァ
 爾 niar   支 tieg                   ニャチェグ
  泄 ziad   謨 mag   觚 kwo                         ヂャッマグクォ
 柄 piang  渠 gio     觚 kwo             ピャンギョクォ
 兕 dzier  馬 ma   觚 kwo             ヂェマクォ
 多 ta    模 mag                                     タマグ
 弥 miar   弥 miar                   ミャミャ
 弥 miar   弥 miar   那 nar   利 liad      ミャミャナリア
 伊 iar   支 tieg  馬 ma                   ヤチェグマ
 弥 miar   馬 ma      升 sieng            ミャマシェング
 弥 miar   馬 ma   獲 gwak  支 tieg           ミャマグァッチェグ
 奴 no    佳 keg     鞮 dieg            ノケグディェグ
 狗 ku    右 u 智 tieg  卑 pieg   狗 ku    クウチェグピェグク
 大  dad   倭 war                                     ダッワル
 卑 pieg   弥 miar  呼 go             ピェグミャゴ
 難 nan   升 sieng  米 miar                        ナンシェングミャ
 都 to     市 diag 牛 ngiug 利 liad        トヂャギュウグリャ
 伊 iar   声 sieng  耆 giar            ヤシェンギャ
 掖 ziak   邪 dzxia   狗 ku                          ヂャクヂオク
 卑 pieg    弥 miar  弓 kiung 呼 go 素 so    ピェグミャキュンゴソ
 載 tsag   斯 sieg 烏  o  越  giwat         ツァグシェグオギワツ
 壹  iet   与 zio                   イェッヂョ


 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月19日土曜日

人名・官名の正しい発音(2)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    57~60頁

   『魏書倭人章』名詞漢字発音リスト:Bernhard Karlgrenによる

    (上古音)(中古音)      (上古音)(中古音)      

 伊 iar      I          呼 go      guo             

  倭 war      ua          古 ko      kuo          

  惟  diwar    jwi         已  iag     I            

  為 gwia     jwie        拘 kue     kau              

  一  iet      iet         好  hog     hau          

  壹  iet      iet         載 tsag    tsai         

  烏  o        uo          市 diag    zi           

  越  giwat    jiwbt       支 tieg    tsie         

  佳 keg      kai         斯 sieg    sie          

  華 gwa      hwa         升 sieng   siang        

  獲 gwak     hwak        臣 dien    zien         

  鬼 kiweg    kiwi        兕 dzier   zi           

  耆 giar     gji         邪 dzxia   zia          

  牛 ngiug    ngjian      衰 tsiwar  tswie        

  弓 kiung    kiung       声 sieng   siang        

  躬 kiung    kiung       制 tiag    tiai         

  渠 gio      giwo        泄 ziad    iai          

  郡 giwan    giwan       蘇 so      suo

  狗 ku       kau         素 so      suo

  觚 kwo      kuo         姐 tsiet   tsiet

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月18日金曜日

人名・官名の正しい発音(1)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    57~60頁

 
 では郡使たちは、どんな発音で当て字をしたのであろうか。

 これはそれほど難しい問題ではない。

 なぜなら彼等役人たちは、どんな地方の出身であろうと、

 当時の中国の標準語による文学の試験をうけて、

 採用されたのである。

 もちろん郡使の報告書は3世紀当時の標準語で書かれている。

 そうでないと中央官庁の人々が読んでも、

 何という名前なのか分らないからである。

 こうした中国の古代標準語が、

 どんな発音だったかを、非常に詳しく研究した学者がある。

 スエーデンの中国研究家<カールグレン>である。

 氏は古代の『詩経』を現代の中国語で読むと、

 詩の生命である韻が、

 無茶苦茶になってしまうことに気づいて、

 それは古代の発音が現代のそれと、

 違っていたためではないかと考えた。

 そこで各時代の標準語の辞書などをもとに、

 「時代による発音の違い」を永年かけて調べ上げたのである。

 氏はそれによって、漢字の発音は大別して漢の時代以前と、

 それ以後、明(ミン)の時代までと、

 清(シン)の時代以後との、

 三とおりの異なった発音があることを明らかにした。

 同じ文字でも時代によって、かなり発音に差があったのである。

 その後この研究は中国の学者に引継がれて

 「羅常培」氏らはさらに6期に細分している。

 なぜそんな変化が生じたのであろうか。

 それは中国が多民族国家で、

 中央政権の言語が革命のたびに変ったからである。

 新しい中央政権は、

 自分たちの言葉を全国民に押付けて標準語にする。

 だから発音は変らないわけに行かない。

 『魏書倭人章』が書かれた当時は漢の時代のあとで、

 まだ魏晋音が生れ始めたごく初期に当たっているから、

 その人名官名は<カールグレン>の分類による上古音で読めば、

 ほぼ本名に近い発音で聞取れることになる。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

2010年6月17日木曜日

伊支馬はシバ王、薩摩王

1

 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    195~197頁

 ここで問題があるのは、同じ倭人章にある<邪>字の発音である。

 <狗邪韓>は従来<クヤカン>とよまれてきたが、

 これはあり得ないとすれば<クディァカラ>となる。

 これは<ディァ>を日本流に<ダ>と発音すると<クダ>。

 <カラ>の<カ>を助詞の<ヶ>とすればクダヶ国。

 すなわち<クダラ>という国名に対する当て字ということになり、

 意味不明のクヤカソの誤りを証明することになるし、

 謎が一つとけたことにもなるのである。

 さらに検算を続けると、

 <掖邪狗>は<八坂>に対する当て字であったことはすでに見た。

 これは<ヤザカ>とよんだ結果だが、

 さらに<邪>を<ヂウォ>におきかえて見ると<ヤヂウォコ>となる。

 これもまた『記紀』に大国主の別名として記録されている

 八千矛に合う。

 さらに様々な発音の多民族が混住していたことと、

 すべての濁音を清音化し、

 短音化するという習慣が今に尾をひいている

 事実とを考え合せると、

 <ヂァ>は<ザ>に変って座摩(座間)という神名や地名を生み、

 さらに<サ>に変ったことも凝う余地がない。

 それは<八坂>が<ヤザカ>と<ヤサカ>の

 二た通りに発音されている事実とともに、

 国造本紀などに、武蔵の国に対して旡邪志国と

 当て字している例がある。

 <邪>は<サ>として使われている。

 これは邪馬臺国があったと同じ地域が、

 後世薩摩と書かれていることに結びつく。

 薩摩と書いて中国ではサモア島を意妹する。

 だからサマという発音に変ったものが、

 <サ>の国という形の<サ>津<マ>と助詞を挟んで

 <サツマ>となったと証明できるのである。

 こうしたことは為政者や居住者の勢力の消長を反映して起る。

 私たちにとっては重要な研究課題であることが

 おわかり戴けたと思う。

 「コラム:石体神社の由緒」(加治木原図)

 「彦火火出見尊のさだめられた高千穂宮のあとで、

 鹿児島神宮の旧鎮座地であります。

 {水鏡}や{今昔物語}などに応神天皇の生誕地としるされ、

  石神の信仰は古代より続いています。

  海幸、山幸にあやかる
 
  潮満の玉、

  潮干の玉、

  神功皇后の干満二玉もよく知られています。

  ここの小石は安産護符です。」とある。

 さらに角度を変えて<邪>の字のもつ意味を見てみると、

 『詩経』では「其虚其邪」とあって<徐>と同じ意味に用い。

 『史記』では「帰邪於終」と<余>と

 同じ語として使っている例がある。

 この<徐>はすでに見た通り韓国の首都の名に

 今も残る鹿児島弁の<徐伐><ソフル>の<徐>で、

 <襲>や<囎唹>に当るものであった。

 また<余>は、<磐余>、または<石余>と書いて<イハレ>と読み、

 <石禮>の<イハレ>と同一の地を指す。

 その石禮に当る<石體神社>のある位置が、

 <ヒルコ>を祭る<鹿児島神宮>の本当の社のあとで、

 <彦日日出見尊>の<高千穂の宮の旧跡>>であり、

 神功皇后の<磐余稚桜>の宮と同名であった。

 こう見てくると、

 <稚桜>の<チワウも、<徐>の<ヂョ>も、

 <襲>も<囎唹>も<千穂>もすべて<邪>と

 同じもの「ヂウォ」であり、結局<シバ>を意味するもので、

 それがまた<薩摩>の語源でもあり、

 <邪馬>という当て字で魏志に写されたものの

 正体だったことがわかるのである。

 その同じものが、<諏訪>や<周防>と

 写されていたこともすでに見た。

 <千穂>が<ヂウォ>であるなら、

 <千葉>もまた<シバ>の変音であることは明らかである。

 また<シバ>が<斯馬>や<斯麼>と写されて<シマ>と

 発音されたことは、

 <マ>と<バ>が常に混乱する日本語の幾つかの方言によって

 疑がう余地がない。

 ということは<邪馬>は<サマ>であると同時に<サバ>であり、

 景行紀などに登場する

 周芳の<娑麼>は<邪馬>でもあったことになる。

 こう見てくると<シバ>、<チバ>または<チマ>と

 読める<支馬>の文字をもった

 <伊支馬>の正体もまた明らかになる。

 マレー語では接頭辞の<イ>は<王>を意味する。

 <伊支馬>とは<シバの王>という名であったのである。

 それは同時に<薩摩の王>でもあり、

 <千穂の王>でもあり、<襲の王>でもあり、

 初期の<新羅王>でもあり一々あげるのが、

 わずらわしい程の多くのものと結びつく。

 ここまで来ると3世紀の発音は別として、

 <邪馬臺>は<隼人>とどういう関係があるか?

 という疑問が一つ残る。

 これを解決しないと読者はモヤモヤしたもので

 欲求不満に陥いられる恐れなしとしない。

 本書のしめくくりとして、

 それを明快に片づけて終ることにしよう。

 なぜ<邪馬臺>がいま<隼人>と書かれ<ハヤト>と

 発音されることになったのか。

 ということから話す必要がある。

 この<隼>という字は<ハヤブサ>という鳥の名であるから、

 これが当て字であることは明白で、

 その前半の音を利用したものである。

 『記・紀』を見ると、

 この地域には<速>という国名や名乗りが沢山見られる。

 これは間違いなく、

 私たちが「速い」と用いる<ハヤ>でスピードを意味する。

 これとパーリ語との関係を調べてみると、

 <速い>という語は<ジャバ>という。

 これはピッタリ<邪馬>と一致する。

 とすれば、

 ここは邪馬の都のあった土地であるから、

 <ト>は<都>の字の音であったと考えられる。

 <邪馬臺>がこの地から移動したか消えて無くなったかは

 次著に譲るが、少くとも、

 やがてここが都でなくなったことは事実であるから、

 <邪馬臺>でも<邪馬都>でも不都合になったことは

 疑がう余地がない。

 そこで改名者は<邪馬>の字音を<ジャバ>とし、

 これを意訳して<速>という文字を与えたとすると、

 <ハヤト>という地名の起源が非常にピッタリと説明できる。

 もちろん<都>の字も同音の人という和音字に変えられ、

 さらに<速>も後に<隼>という字に変えられて

 <隼人>という地名が固定したということになる。

 また<石>の古い音には<シワ>があり、

 <石神>とは<シバ>に他ならない。

            磐=石 =シワ(シバ)=石
           /
 邪馬=ジャバ=速=隼\
            余=禮

 臺 =都  =徒=人→   都  = 臺   体

 <ハヤト>という地名は、さきに<イワレ>とも

 不離の関係にあることを話したが、

 それらはいずれも邪馬臺そのものの

 変型したものであったのである。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書