2011年4月29日金曜日

高句麗王位をめぐる相続争い




※出典:加治木義博:言語復原史学会
㈱徳間書店
日本国誕生の秘密 38~39頁





ところがそれまで高句麗王だった二番めの兄・故国川王=クマガワオウが死んだとき、国民が大騒ぎするのを心配した王妃が、王の死を秘密にしたままで、夜、そっと長男の羽月(ハツキ)王に「あなたが次の王になるべきだ」と勧めようと思って行ったのですが、気の小さい長男は義妹が不倫のために夜ひそかに忍んできたと誤解して怒って、王妃を罵倒(ばとう)して追い返してしまいましたので、恥じて怒った王妃は、新しい相談相手に三男の位宮(イキウ)を選びました。

位宮は長兄とちがって急いで礼服に着かえて出迎えるほどの人物でしたから、王妃は彼を次の高句麗王と決めました。

後でそれを知った羽月王は自分の家来に王妃と位宮のいる王宮を囲ませましたが、考え深い位宮は門を固く閉めて相手になりません。

すると国民も兵士も羽月王を見くびって命令をきかなくなりましたので、羽月王は居たたまれなくなって、妻子を連れて行方不明になってしまいました。

そして羽月王は遠く高句麗の西隣にある漢の遼東(リョウトウ)郡に現れたのでした。

彼はそこから高句麗を攻めて、武力で我がものにしようと考えて、その郡の大守の公孫度(コウソンド)に自分の都合のいいように訴えて、3万人の軍隊を借して欲しいと申し込みました。

大守は高句麗に内乱が起こればしめたものだと思って、3万人の軍隊を貸してやりました。

しかしそのとき高句麗にいた末の弟は、漢の力を借りて祖国に刃向かうという長兄のやり方に激怒して、漢軍を激しく迎え討ちましたので、その猛烈な反撃に、最初から迷惑に思っていた借りものの軍隊は散々に負けて、羽月王はついに自殺してしまいました。


「地図」位宮と卑弥呼当時(240年代)の国名・地名

北から

挹婁・夫余
丸都城
高句麗
楽浪・帯方
辰韓・弁韓・馬韓
遼東
対馬・ 一大
委奴・八尾・ 毛
毛人
倭・<隼人>
大隈(ウースン)
種子島・ 狗奴
大国・六合・大天国
琉球
ヨナ国(イオニア))
ホーライ・タイナロン
呉(ウースン)・六合

高句麗
高句麗


言語復原史学会
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1 件のコメント:

  1. 加治木先生の本、読ませていただきました。実は、父の本籍が姫城なのですが、石原というところに、七社大明神と天満大自在天神があり、明治時代に祓戸と永野田に合祀したそうです。新七の城跡は、祖母方が所有しています。故、本田潔氏(親族)が石仏調査したようですが、、、由緒書きは、水害で無くなったそうです。桂姫については、敷根というところに住んでいたそうですね。祓戸神社の蔡神は瀬織津姫で、七社神社も八十狂津日神(瀬織津姫)ですが、、、加治木っ先生の説に賛同です。

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