2012年9月23日日曜日
大化改新の真相は大阪大戦だった(5)
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
KKロングセラーズ ムックの本
ジンム・プロブレム
真説:日本誕生 虚構の大化改新と日本政権誕生:239頁
《大化改新の真相は大阪大戦だった》
「大化改新の真相は大阪大戦だった」
《虚構の大化改新と日本政権誕生》
「虚構の大化改新と日本政権誕生」
「図」饒速日の移動コース
『先代旧事本紀』は蘇我と物部を詳しく書いていて、
敗者・倭国側の文書であることがはっきりわかる。
その中の第五巻『天孫本紀』によると饒速日とは、
天照大神の孫、ニニギのミコトと同一人ということになる。
この写真の部分はその第2頁で、
彼が天の磐船に乗って河内の国へ天降ったあと、
「イカルガ」峯をとおって、
大倭国の鳥見白庭山へ行ったとあり、
『日本書紀』では神武天皇が言ったことになっている
「虚空見つ日本国」とは、
この天の磐船から見たということだと書いてある。
この「磐船」は枚方から奈良へ行く街道の名で、
「イカルガ」は「斑鳩」という文字で有名な
生駒山の東、法隆寺あたりの地名、
そして鳥見を現在の奈良市富雄地区とすると、
これは枚方での敗戦の後に、
饒速日とその一族(持続天皇当時の十八氏)が、
奈良高原に逃げこんだコースとしてみるとピッタリである。
天神御祖詔、授天璽瑞寶十種、謂、是也。
天神御祖教詔曰、
「若有痛處者、令茲十寶謂『一二三四五六七八九十』而布瑠部。
由良由良止布瑠部 。如此爲之者、死人反生矣。」
是則所謂布瑠之言本矣 。
高皇産靈尊勅曰、
「若有葦原中國之敵拒神人而待戰者、能爲方便誘欺防拒」
而、令治平。
令三十二人並爲防衛、天降供奉矣。
饒速日尊禀天神御祖詔、乘天磐船而、天降坐於河内國河上哮峯。
則遷坐大倭國鳥見白庭山。
所謂乘天磐船而、翔行於大虚空、巡睨是郷而、天降坐矣。
即謂虚空見日本國是歟。
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