2013年3月1日金曜日

古代史21世紀の研究課題:ムー大陸(諸説)



 出典:超古代文明



 「写真」与那国島の海底遺跡

 《ムー大陸の諸説

 「金子史郎説

 ムー文明圏というべきものが太平洋諸島にあったとし、

 洪水伝説は後氷河期の海面上昇や付近の火山活動など

 島々が襲われたからとしている。 (ムー大陸の謎)

 「竹内均説

 専門的知識と多方面に渡る教養を持つ、

 雑誌「ニュートン」の編集長・竹内均元東京大学教授は、

 金子氏と同様にムー大陸はなかったがムー文明は存在していたとしているが、

 金子氏と違ってムー文明の源流を大陸に含めている。

 「ムー大陸から来た日本人

 「木村政昭説

 数々の地震を予知したことで知られる海洋地質学専攻の

 木村政昭・琉球大学教授は、基本的に竹内氏の路線を推し進め、

 環太平洋文化圏(ムー文明)の中で実際に陥没した陸地があり、

 その幻のムー大陸そのものにあてはまるのが琉球古陸だとしている。

 「ムー大陸は琉球にあった/a>」

 なお、

 木村教授はチャーチワードが指摘した場所には一万二千年前にはないとし、

 その前提の上に

 「では、いっそのこと、これまでの検証をもとに、その周辺に比定地を探し、

  それ自体がムーとなりうるかどうか検証してみてはどうだろう。

  海洋地質のことはひとまずおくとして、

  チャーチワードのムー文化、

  とくにシンボルについてはかなりの真理を含むとみられるところから、

  太平洋の国々のどこかにその源があるとしていいようである」とし、

 沖縄で発見されている線刻石版を、

 チャーチワードのムーのシンボルの考え方に当てはめて

 解読することができたことから、沖縄をその比定地とし、

 「しんかい2000」で調査した結果、水没した海岸を発見している。

 さらにその後の研究で教授は、

 沖縄の海底に沈んでいる巨大な石造遺跡を発見しているが、

 現在はそれをムーの遺跡とはしていない。

 日本がムー文化圏であることは

 すでにチャーチワード自身が語っているが、

 晩年、彼はムーの最も有力な証拠は日本にあるはずだと語っている。

 最後のムー大陸「日本」 神衣志奉より

  《ムー大陸

 近年発達した深海底の調査活動によると「ムー大陸沈没説」はともかくとして、

 その一部とも考えられる陸地が、

 一万数千年前まで九州と台湾との間の相当広い範囲に渡って存在しており、

 それが海底深く沈没し、

 その後に海面上に残ったものとして

 薩南諸島が現れているということが科学的に実証されているのである。

 近年、伊豆半島の三原山噴火を予言していたことで知られている

 琉球大学の木村政昭助教授らの海底調査によると、

 屋久島と奄美大島の間のトカラ列島の水域の海面下1200メートルの海底では

 珊瑚礁から変成した石灰岩が発見されているし、

 沖縄本島のすぐ南にーの慶良間列島の沖の600メートルの海底からは

 象と思われる陸上動物の骨も見つかっているし、

 地上の洞窟の奥には大洪水---

 それは陸地の沈没によって引き起こされる

 大津波---のために流されて溜まったと思われる

 動物の遺骸も多数発見されている。

 こうしたことから、このあたりの水域はかつて陸地であって、

 それが深海に沈んだことは今や疑いのないものと判定されている。

 しかし、

 このような重大な事実が一般マスコミには大きく取り上げられていないことは

 遺憾なことと言うべきであろう。

 なお、1967年に那須市に近い具志頭村で発見された港川人の人骨は

 今から1万8千年のものであるとされている。

 そして、沖縄各地には7000箇所もの洞窟があるが、

 その一部からは、

 その地に現在はいない種類のものを含め多くの陸上動物の骨が

 塊って発見されている。

 これは、チャーチワードが言うような大陸の沈没がこの近海で起こり、

 その際に発生した大津波により1カ所に集められたものと推定される。

 与那国島近海で発見されたこの神殿遺跡こそ

 日本列島の巨石文化の中でまさしく極めつけのものと言うべきであろう。

 もし、それが縄文時代に相当する時期のものであるとすれば、

 従来の歴史像は完全に否定されるだけでなく、

 この一帯にはチャーチワードの「ムー大陸沈没説」が唱えるような

 太古文明をもつ陸地があったことになり、

 今回の発見はそれに科学的な証明を与えたものと言わざるえない。

 こうして、

 これまで唱えられてきた日本列島の文化の形成論や世界の四大文明発祥説は

 根底から覆されたことになる。

 その意味で、この発見はまさに革命的なものとされなくてはならないだろう。

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 《参考》

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