2013年3月4日月曜日

古代史21世紀の研究課題:文明の伝播(弥生期の建築・家屋文鏡)



 ※出典:
 加治木義博
 言語復原史学会



 「写真」家屋文鏡

  《家屋文鏡
  「家屋文鏡

 考古学知識で比較に便利な文明は、

 弥生期の建築である。

 これにはその時代の建築物図鑑が現存しているから、

 他のどんな史料にも勝るのである。

 奈良県北葛城郡河合村から出土した

 高名な家屋文鏡には当時の4種類の建築が、

 その様式と材料を充分に物語る精度で描写されている。

 これは静岡の登呂その他の弥生期住居址等と総合することによって、
 
 当時の建築がどんなものであったかを復原してみせてくれる。
 
 それらをみると、

 ① 一般民衆の竪穴(たてあな)住居から

 ② 柱をもった<平屋建築>、

 ③ さらに高い床(ゆか)をもつ<高倉>らしいもの、

 ④ その上にさらに柱をもった

  二階建建造物ともいうべき<宮殿>までが、

 同時に存在していたことを物語っている。

 高度のものと低度のものが共存するのは、

 現代でも同じであって、
 
 一方に西欧式ビルが立ならぶ大都会に、
 
 他方では江戸時代と余り変らぬ

 <瓦茸木造建築>が軒をつらねているのである。

 こうした建築技術もまたたしかに教育という手段によって、

 民族とは関係なく借用することができる。

 しかし、稲作の伝播の場合のように、一人だけ、というわけには行かない。

 なぜなら、これらの太柱を使用した建築は、金属製の道具を使用して穴をあけ、

 切りこみをして始めて組み立てることのできるもので、

 石器では容易に作ることのできない構造になっている。


 ということは、

 少なくとも金属文明が先行するか、

 あるいは同時に移住するかしない限り、

 生れ得なかった建築物だということになる。

 ここには高度の文明がはいってきているが、

 それは同時に、

 かなりの量の移民を伴なう必要があり、単に文書や1~2人の人間が、

 伝播した借物ではなかったということになる。

 このことは実は稲作その他の技術についてもいえる。

 なぜなら、それは単に、モミをもって来て蒔けば収穫できる、

 という単純なものではなく、必らず幾通りもの器具を必要とするからである。

 一人の漂着者が、すべての器具を自作し、それを伝えたとしても、
 
 それには時代というものがからんでくる。

 漂着者がもっている知識は固定しているのに対し、

 彼の故郷では多くの人々が日夜工夫を続けて、

 より新らしい器具と技術を生み出す。

 忽ちのうちに隔差ができて、

 両者が共通である期間はごく短時間に過ぎなくなる。

 これを裏返して考えてみると、

 短期間に様々な文明の段階が見られるというのは、

 決して少数の人間がいたのではなく、

 多数の技術者と、それに幾倍する家族、

 住民がいた証拠なのである。

 家屋文鏡が証言するのは、その文明の持主が少数でなく、

 かなりの人口を擁して、日本列島に住んでいたという事実である。

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 《参考》

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