2012年4月27日金曜日
「上古・倭韓大帝国」の実在(2)
※出典:加治木義博:言語復原史学会
KKロングセラーズ ムックの本
ジンム・プロブレム
真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
183頁
《「上古・倭韓大帝国」の実在》
「「上古・倭韓大帝国」の実在」
《誰が巨大古墳を造ったのか》
「誰が巨大古墳を造ったのか
《大国『百済』が上古大阪に実在した》
「大国『百済』が上古大阪に実在した」
「水底にあった難波」
(梶山彦太郎・市原実共著「大阪平野の発達史」/1972年12月)
地質学論集第7号による) (加治木原図)
5世紀の大阪市城はほとんどが水底にあり、
わずかに大阪城附近まで伸びた高台が半島を形成、
それから北方へ次第に砂州が発達しつつあった。
後世の百済と住吉の一部(現在の東住吉)があるばかりで
東成、西成はまだ生まれていない。
中心は明らかに百済であり、
百済大寺とは四天王寺の前身だということになる。
守口・梅田・東成・城・西成・(百済)・住吉・東住吉・八尾市・堺市・松原市・柏原市・生駒
○現在の百済の位置四天王寺の位置
「器台須恵器」
左・韓国新羅時代。
5世紀後半~6世紀。
出土地不明。(韓国国立中央博物館蔵)
右・大阪府大東市寺川堂山一号墳出土。
5世紀(大阪府教育委員会蔵)
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