2010年5月3日月曜日

動かぬ証拠の見つけかた(2)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    234~239頁
だが本題の方は<スイ>と<ソ>と<ショウ>では、

 まだ不充分である。

 これは私たちが使っている音は本来の漢音でなく、

 主として六朝音(リクチョウオン)、

 従として呉(ゴ)音であるためで、

 本来の漢音で書かれていたはずの後漢書の発音とは

 違っているためと考えられる。

 そこで漢文の帥升と朝鮮文献の松譲とを共に漢音

 (今の北京音に近い)で読んでみると、

 帥升王はスイサヌオウ。

 松譲王はスンジャヌ王。スサノオの当て字としては

 どちらも遠くない。

 むしろ私たちのスサノオが当て字としてどうかを

 見てみる必要がある。

 『日本書紀』では素戔鳴(スサヌオ)命となっている。

 この三つの名が、
 
 ピッタリの物語りの主人公の名だということは、

 本来一つの名が三つに見えるように転訛したものであり、

 物語りも同じ一つのものが変型したのだと断言できる。

 「地図:日本語に関係をもつ南方諸語の分布(加治木原図)」

 西はアフリカ、マダガスカルにまで達している。

 チャロモ、沖縄、ファボラン、イロカノ、

 イゴロット、タガロク、ビサヤ、サンギール、

 ダヤク、ブギ、セラム、マカッサル、マドウラ、

 スンダ、ジャワ、アチエー、ガヨー、

 ミナンカバウ、セマン、セノイ、

 セタン、ラダイ、安南、チャム、

 アンダマン、ニコバル、

 サカラバ、マダガスカル、アンタンカラ、

 アンタイシャカ、アンタンドルイ、ヴェズバラ

 ということは、

 この三つのうちの帥升王は実際にその足で歩いて、

 後漢へ行き、

 安帝に会見を申しいれた生きた人物だったのであるから、

 九州での出来事がのちに説話化したとしか考えようがない。

 逆に、インドネシアの説話から、

 生きた帥升が構成されるということは、

 人間の肉体の構造上、

 不可能だからである。

 これでアジサカ伝説は日本から逆輸出されたものであること、

 それはかなり古い時代であったという二点が

 完全に証明されたのである。

 如何であろう。

 答えだけを教えるのと、

 その答えを出す筋道を教えるのとが、どれくらい違うか、

 記憶力がどんなによくても、

 こうした答えを出すことができるかどうか、

 よくお判り戴けたであろうか?。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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