2010年5月30日日曜日

壮大な倭人の測量文化(3)

典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    152頁

 
 「図:応神陵の構成要素と各陵墓の関連性」(加治木原図)

 ① <1>安閑皇后陵 <2>正北 <3>安閑皇后陵

   <4>古室山古墳 <5>安閑天皇陵 

   <6>仲津姫皇后陵 <7>敏達天皇陵を経て藤原武智磨墓

 ② <9>日本武尊陵 <10>允恭天皇陵 <11>聖徳太子墓

   <12>城山古墳 <13>日本武尊陵

   <14>千塚 <15>推古天皇陵 <16>城山古墳

   <17>応神天皇陪塚を経て清寧天皇陵

 ③ <18>古室山古墳 <19>孝徳天皇陵 <20>城山古墳

   <21>応神天皇陪塚 <22>吉備内親王墓

   <23>松塚 <24>河内大塚 <25>黒姫塚 <26>孝霊天皇陵

   <27>大津皇子墓 <28>雄略天皇陵 <29>野中寺伽藍跡

   <30>文珠院西古墳 <31>河内大塚

   <32>仁徳陵円頂部中心 <33>東首舌鳥古墳

   <34>島の山古墳 <35>顕宗天皇陵

   <36>河内大塚 <37>大座間池中之島を経て野尻古墳跡

 ④ <38>孝霊天皇陵 <39>牧野古墳 <40>仲哀天皇陵

   <41>大座間池を経て平岡古墳

 ⑤ <42>孝霊天皇陵 <43>来目皇子墓 <44>吉備内親王墓

  (実際はこの二倍以上の線が関連しているが、

  本章の証明にはこれで充分であり、

  繁雑で専門的に過ぎるので省略した)

 「写真:直線上の古墳」(加治木原図)

 空から見ると古墳が直線上にならぶことが

 一と目でわかるものもある。

 相互の距離と大きさが

 写其のピントの合う範囲にあるものは少ないが。

 (これは山の辺陵墓群のうちの手前かち景行陵。

  崇神陵。手白香墓(衾田陵=継体皇后墓)。

  乙木社の森。)前々図の7、S、6参照。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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