2010年5月12日水曜日

発掘考古学の限界(2)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    20頁

 
 これまでの考古学は「物」的証拠を集めることが仕事であって、

 それですぐ結論を出せる種類の学問ではない。

 ことに邪馬臺国問題は、

 文献自体がまだ正しく読めないのだから、

 その段階で幾ら物的証拠らしいものを並べてみても

 誰も納得しない。

 邪馬臺国とはどういう国で、

 卑弥呼が死んだ当時は、

 どこにあり、どういう人種の、

 どういう部族であったから、

 どういう形の塚を築かせ、

 そこにはどういうものを副葬し、

 殉死者はなぜ殉死し、

 どう葬むったか等を前もって明確にした上で、

 この塚には、

 それらの条件がこのように揃っているから、

 これが卑弥呼の塚である。

 というのでなければ何にもならない。

 それが不明のままで考古学者をせめるのは無理である。

 もちろん文字や日附のある木簡などが出土したりする場合は

 別である。

 それが貴重な時間的座標になって

 同時出土品の時代決定などに役立つ。

 殷(商)の歴史は多数の甲骨文と銅器によつて証明された。

 そこに彫りつけられた文字が、

 当時の人や出来事を記録していたからである。

 楔型文字をもった粘土板や遺石が

 オリエントの古代を明らかにしたことも今さら云うまでもない。

 ナポレオン軍の一兵士がエジプトのロゼッタ河口の近くで

 壕を掘っていて見つけた黒い欠け石が、

 エジプト7000年の歴史を明らかにする上で

 大きな働きをしたことも事実である。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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