2010年5月28日金曜日

壮大な倭人の測量文化(1)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    149頁


 これらのことで、はっきり意識しておいて戴きたいのは、

 <倭人>は<中国系文明>でなく、

 <インド系文明>の持ち主だったという点である。

 また海を越えて50数km先の距離を湘定する方法

 すなわち<三角法>または<天測法>を

 知っていたということである。

 三角法はギリシャの天文学者ヒッパルコス

 (B.C190~B.C124年)が創始者とされているが、

 これは地球と月の距離や、月の直径、百個の恒星の詳細、

 <地球の歳差運動>などの測定といった驚くべき業績によるもので、

 彼がこれだけの応用をなしとげたどいうことは、

 彼に至るまでに、


 三角法の発達の歴史があったということである。

 だがそれは余談にわたる。

 ここでは<3世紀の倭人>が、

 それを実地に役立てていたという事実が、 

 それ程不思議でもないということを知って戴く参考になれば

 それでいいのである。

 では<倭人>は、どんな器具を使って、

 そんなに精密な測量ができたか。

 現存する遺物ではそれは<鏡>しかない。

 鏡面の反射で、その位置を確認すると同時に、

 その背面にある目盛りを分度器として用いれば

 立派に測量ができる。

 三角法を御存知の読者にはその使い方を

 今さら説明する必要はあるまい。

 だから<倭人>がこのシステムを使うほかに方法のない

 <大土木工事>を、

 実際に行っていたという証拠を簡単に御覧にいれておこう。

 それは卑弥呼の墓を出発点とする古墳の築造である。

 筆者は40年前に、奈良県の古墳が直線上に

 並んでいるという事実を発見して以来、

 これにとり組んできたが、それは図ではっきりお判りのように、

 山脈を越えて正確に配列している。

 それは山間に隠れた広川寺の西行墓や、

 聖徳太子墓などを余すことなく貫いているだけでなく、

 遠く伊勢神宮に及んでいるのである。

 これは鏡による光通信なくしては行い得ない文化所産である。

 また、応神、仁徳などの大陵は、その重要な点と線が、

 すべて他の陵墓や、池中の島などと結合している。

 これも本書ではとうていお話しすることは

 不可能であるからいずれ

 ダイジェストしてご覧に入れることにして、

 小さくて不鮮明だが、略図で御辛抱戴くほかない。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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