2010年5月9日日曜日

日の女神と鴨緑のくに


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    異説・日本古代国家
    ㈱田畑書店
    281~284頁

 これまで、全く欠けていた邪馬台以前の日本の記録は、

 三韓の歴史の中に、

 深く埋没していたのである。

 いま私たちは、それを発掘して、

 倭人伝の前に接ぐことができる。

 これまで頭部が欠けていた埴輪像が、頭から足の先まで、

 可なりの精度で復原できることになったのと同じである。

 この成果を曙光に、

 日本だけでなく、

 アジアの古代史は素晴らしい朝を迎えたのである。

 これまで、どうしても一致点を見出せなかった

 史学周辺の足がかりが、

 その輝かしい朝日の中に美事に有機化した姿を見せ、

 それは盤石の礎石となって、

 真実の古代史を、ピラミッドのように築きあげて行きつつある。

 
 「写真:宮城と川内川(川上正治撮影)」

 古史書のままに,今も鴫緑水をはさんで町がある宮之城は、

 太古のおもかげを、そこ、ここに止めている。

 世界に類例のない文字の読み変えと、二千年の歳月という、

 二重の鋼鉄の壁に阻まれていた謎は、

 遂に数ヵ所から突破した私たちの眼の前で解けはじめた。

 さらに

 倭の五王の謎も、

 邪馬台国の謎も、
 
 継体天皇の謎も、

 聖徳太子の謎も、

 すべてはあなたにお眼にかかる日を待ち望んでいる。

 天武天皇も、

 舎人(とねり)親王も、

 太(おお)の安万侶も、

 誰一人知らなかった真相がいま、

 次々に出版される日をまっているのである。

 それは、あなたと私の共通の先祖たち、

 私たちがその分身である所の、

 血のつながった人々が身をもって体験した、

 生きて、子孫を栄えさせてという、

 なまなましい願い。

 よりよい世界を作りたいという切実な願いから生れた、

 試行錯誤だらけの、

 しかし遂には成功した努力の姿なのである。

 次著では、彼等がどういう経験で、いわゆる建国に到達したか、

 という巨大な「国とり」を御覧に入れる。

 それは、たしかに凄惨なものである。

 しかし、それから眼をそむけてはならない。

 なぜなら人類が進化しようとして辿った道を、

 そのまま見きわめることこそが、

 私たちの行為や未来への計画について、

 何が正しく何が間違っているかを、

 どんな賢聖の名言にも、長広舌にも増して、

 強い力で教えてくれるからである。

 この大きな目的のほかに、さらに精密な謎ときも期待できる。

 たとえば本書でもふれた、

 わが国沿海帯に広く分布する隼人系地名が、

 何を物語るか、という問題である。

 和歌山県に例をとると、

 海南市には日方(ヒガタ)という中心地名がある。

 これは一般に想像されるような単なる

 干潟(ヒガタ)が語源ではなく、

 加茂大神の別名で大田田根子の祖である

 「奇(クシ)日方、天日方、武、茅淳(チヌ)、祇(ツミ)」と

 いう神名と、国生みの段に登場する吉備児島の別名

 「建日方別」に重大な関連があり、

 それが太古のビデオテープの役割を果して、

 私たちを古代和歌山へのタイムマシンに乗せてくれるのである。

 こうして私たちの名詞復原によって呪縛をとかれた数々の地名は、

 魔の眠りから眼ざめた

 「眠りの森」の人々のように、一斉に昔話を始める。

 そして、これまで恥かしい空白であった世界最大の謎は、

 すでに、詳細な記録をもった

 「歴史」に変身し始めたのである。

 これまで単なるコレクションに過ぎなかった発掘物が、

 一つ一つ正確な主(あるじ)の

 ラベルをつけて、その見開きした歴史のひと幕を、

 細大洩らさず報告してくれるのである。

 これまで黙々と、ただ発掘を続けていた考古家の努力が、

 大きな実を結ぶ時がやつて来たのだ。

 「写真:神話の川の水源(出水,鉾立山附近)(川上正治撮影)」

 その意味でも今や鹿児島県は一瞬にして

 巨大な「王家の谷」と化した。

 それは高松塚古墳の壁画よりもはるかに古く、

 はるかに壮大な遺跡である。

 戦後28年、ようやく生活にゆとりを生じた私たちは、

 経済大国というだけでは何の尊敬も

 得られないことを、海外からの反響で身をもって味わっている。

 人々は金にはおじぎしても、金持には軽蔑しか抱かない。

 金はなくても教養には尊敬に価いする力がある。

 私たちは教養においてこそ、

 世界の人々と共に語るに足るものをもたねばならない。
 
 そしていま、必須の古代史が欠けているという

 コムプレックスから遂に解放される時を迎えた。

 鹿児島の方々は、この千載一遇の機会を、充分な英知で生かし、

 心のふるさとを預かる重責を痛感して戴きたい。

 その未開発が、

 実は古代を保存するという天意であったことを思い、

 さらに復原に努力して戴きたい。

 「太陽と緑のくに」というキャッチフレーズは奇しくもそのまま

 「日の女神と、鴨緑のくに」で、あったのだから。

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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