出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
152頁
畏友<鳥越憲三郎>氏はその著書「伊勢神宮の原像」
(講談社=162頁)に
筆者の鏡に関する研究を一部援用されたが、
これは幾度かの雑談によるもので、
論文からのように正確なものではないから誤解もある。
<鈕>(チュウ)に棒を通して
その日影で日時を知る役にも立てたとあるのはその一例で、
正しくは写真の通りか、垂直に鏡をさげた紐の影を用いる。
鈕に棒を通すのは方位盤としての用法であって、
これも図で御理解戴きたい。
これが単なる想像の産物でないことは、
鈕孔をもたず方位棒をもっている
筆者所蔵鏡の一面が充分証明してくれる。
次頁の写真をよく御覧戴きたい。
ついでに少し触れておきたいのは<鏡を測量に使うこと>は、
倭人だけの特技ではなかったということである。
これは中国でも古くから使われたという動かせない証拠がある。
それは鏡という文字である。
金へんは金属製であるから当然として
<竟>の字は何を意味するか。
これは<境>が<サカイ>であり国境が国と国の境を意味し、
<境内が聖域を示す>のと同じ<サカイ>の意味をもっている。
<鏡>という字は「境界のための金属製品」という
構造をもっているのである。
これがもし顔面を写すものなら、金へんに彦か、
面をくっつけるべきであったことは
少し考えればわかることである。
「写真:日時計鏡(ひどけいきょう)」
鈕のまわりに<十二支>が文字と絵で書かれている。
<子>の方角(真北)に向って、<子>の字が
真っぐ読めるように置く
(写真の通り<子>の字が手前にくる)と、
鈕の影が時間を示す。
写真では<午>(正午)と<未>(ヒツジ、1時)との
中間をさしているから
12時半であることがわかる。
(古鏡でも鈕に結んだ垂直のヒモを使えば同じことができる)
中国清代のもの。(筆者所蔵)
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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