2010年5月31日月曜日

王者の利器『鏡』(1)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    152頁

  畏友<鳥越憲三郎>氏はその著書「伊勢神宮の原像」

 (講談社=162頁)に

 筆者の鏡に関する研究を一部援用されたが、

 これは幾度かの雑談によるもので、

 論文からのように正確なものではないから誤解もある。

 <鈕>(チュウ)に棒を通して

 その日影で日時を知る役にも立てたとあるのはその一例で、

 正しくは写真の通りか、垂直に鏡をさげた紐の影を用いる。

 鈕に棒を通すのは方位盤としての用法であって、

 これも図で御理解戴きたい。

 これが単なる想像の産物でないことは、

 鈕孔をもたず方位棒をもっている

 筆者所蔵鏡の一面が充分証明してくれる。

 次頁の写真をよく御覧戴きたい。

 ついでに少し触れておきたいのは<鏡を測量に使うこと>は、

 倭人だけの特技ではなかったということである。

 これは中国でも古くから使われたという動かせない証拠がある。

 それは鏡という文字である。

 金へんは金属製であるから当然として

 <竟>の字は何を意味するか。

 これは<境>が<サカイ>であり国境が国と国の境を意味し、

 <境内が聖域を示す>のと同じ<サカイ>の意味をもっている。

 <鏡>という字は「境界のための金属製品」という

 構造をもっているのである。

 これがもし顔面を写すものなら、金へんに彦か、

 面をくっつけるべきであったことは

 少し考えればわかることである。

 「写真:日時計鏡(ひどけいきょう)」

 鈕のまわりに<十二支>が文字と絵で書かれている。

 <子>の方角(真北)に向って、<子>の字が

 真っぐ読めるように置く

 (写真の通り<子>の字が手前にくる)と、

 鈕の影が時間を示す。

 写真では<午>(正午)と<未>(ヒツジ、1時)との

 中間をさしているから

 12時半であることがわかる。

 (古鏡でも鈕に結んだ垂直のヒモを使えば同じことができる)

 中国清代のもの。(筆者所蔵)

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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