2012年5月26日土曜日

実在した壮大な欧亜和人国(10)



※出典:加治木義博:言語復原史学会
     KKロングセラーズ ムックの本
     ジンム・プロブレム
     真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
     279頁
 《実在した壮大な欧亜和人国
 「実在した壮大な欧亜和人国

 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:ネパールの店先に並ぶ埴輪

 左・ネパール・カトマンズの壷屋の店先・

 丸や三角の穴の開いた器台土器とゾウの埴輪

 当り前のような顔をして並んでいる。

 死者の霊を慰める供え物。

 上に見えるのは甕棺

 古代日本の葬制がそのまま今も生きている。

 中・器台土器

 大分市大在、浜遺跡出土

 大分県博物館蔵。

 右 特殊器台

 岡山県総社市、宮山遺跡出土。岡山県立樽物館蔵。

 下・を準備するカトマンズの町衆

 縄で組みてられることも、その縛り方も、町衆も、

 今の京都のものと変わらない。

 山鉾が京都に人ったのは平安時代からだといわれてきたが、

 古墳時代の埴輪もまた、このネパール帽をかぶっている。

 《壮大な欧亜和人国の実在
 「壮大な欧亜和人国の実在

 《倭の五王比較対照年表
 「倭の五王比較対照年表
 
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実在した壮大な欧亜和人国(9)



※出典:加治木義博:言語復原史学会
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     真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
     278頁
 《実在した壮大な欧亜和人国
 「実在した壮大な欧亜和人国

 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:レイ・ラインとカルナックの巨大石柱列

 上 レイ・ラインという名は直線上に並ぶポイントの地名に、

 レイとかリーと読める語尾をもつ名が目立つので、

 発見者で研究家の英国アルフレツド・ワトキンスが命名した。

 しかし本当は地名とは無関係に

 山や丘の土盛り(古墳や塚も入る)、立石、池、島、

 古代建築遺跡などがならんでいるのでこの名は不適切。

 私の「遺跡直列」という名の方が正しい。

 下 西フランスのブルターニュ地方モルビアン県の

 小さな海岸の町カルナック(Carnac)にある

 大巨石列(アリニュマン・ド・メニル)も

 やはり「遺跡直列」の一つだがレイという名とは関係ない。

 ブルターニュとブリテン(英国)の関係から、

 製作者は古代ブリテン人だということが分かるから、

 ブリテン直列とでもいったほうがまだマシである。

 それは地上部だけで6m一個300トンを超える巨岩を含む

 2621個の巨大な立石が、

 中央で少し右に方向を変えたブーメラン型に、

 東北東から西南西に延々3kmにわたって並んで

 海に達しているのである。

 その起点と終点には日本にもあるものと共通の卵型をした、

 巨大なストーン・サークルがある。

 《仁徳皇朝を亡ぼした大古墳
 「仁徳皇朝を亡ぼした大古墳

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2012年5月25日金曜日

実在した壮大な欧亜和人国(8)



※出典:加治木義博:言語復原史学会
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     真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
     276頁
 《実在した壮大な欧亜和人国
 「実在した壮大な欧亜和人国

 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:現代語の相互関係(模式図)(加治木原図)
 現代語の相互関係(模式図)(加治木原図)

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実在した壮大な欧亜和人国(7)



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     275頁
 《実在した壮大な欧亜和人国
 「実在した壮大な欧亜和人国

 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:美しい石室をもった埼玉古墳群の代表

 八幡山古墳。埼玉県行田市。

 全長17m、幅5m、神殿説もある。

 左・外観。 右・石室内部。

 図:シルバリー(Silbury)・マウンド(古墳)
 シルバリー・マウンド

 英国ウエールズにある

 レイ・ポイントの一つで明らかに人工の丘。

 欧州青銅器時代。

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実在した壮大な欧亜和人国(6)



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     真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
     272頁
 《実在した壮大な欧亜和人国
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 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:国土測量基点「崇神天皇陵」

 崇神陵は、

 東西南北両線の交点の標識

 「国土の大ききを計る」という目的には重要な位置にある。

 倭の五王の名乗りと重ね合わせてみると、

 それは、和泉、河内の領土の延長線上にあり、

 奈良に入った後の国土測量用のものであることが、

 その位置開係でわかる。

 順序は仁徳、応神よりもあとなのだ。

 この東西線が、

 当時の領地区画上の重要線だったことは間違いないから、

 武の領地は、この線より南だったということになる。

 これがそこに高市、高田、鷹取、葛城

 といった大きな地域名をのこす理由だ。

 《崇神陵は仁徳陵以後の造営
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実在した壮大な欧亜和人国(5)



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269頁
実在した壮大な欧亜和人国
実在した壮大な欧亜和人国

誰が巨大古墳を造ったのか
誰が巨大古墳を造ったのか



図:倭の五王時代の領土拡大

① 讃(仁徳)

② 珍(履中)

③ 済(反正)

④ 興(允恭・安康)

⑤ 武(雄略)

図:古墳にオリエント文字
大阪府南河内郡太子町と河南町にまたがる
須賀古墳群のA-9号墳
(6世紀後半-7世紀初頭)天井石の一部。

歴史言語学者で著書も多い川崎眞治氏が、

1983年9月にそこに彫られている

古代オリエント文字を発見、

ホワイトをいれて撮影した写真である。

ヘビの象形文字はエジプト起源のNの字。

WはSだから、VをUとみると、

小さい方のヘビから下は「NUSUNU」と読める。

これは『記・紀』では「道の大人=ミチノウシ」

当て字されているから、

ヘビの前の文字をミチと読むと

この墓の主が道の大人ということになる。

聖書の物語で悪王にされた雄略天皇
聖書の物語で悪王にされた雄略天皇

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実在した壮大な欧亜和人国(4)



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     真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
     265頁
 《実在した壮大な欧亜和人国
 「実在した壮大な欧亜和人国

 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:ラガシュ王グデアの石像(紀元前2170年)
 膝から下に、ぎっしりシュメル文字で、
 この像の由来と、ジグラットの建設について書かれ、
 膝上の設計図にクビトの目盛が彫りこんである。
 (現、フランス国立ルーブル美術館所蔵

 《古墳時代の「謎のメートル法」の正体
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 《日本の古語とシュメル語
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 《権力の象徴は度量衡!?

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実在した壮大な欧亜和人国(3)



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     261頁
 《実在した壮大な欧亜和人国
 「実在した壮大な欧亜和人国

 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:前方後円墳と須弥山図

 瓢塚古墳
 兵庫県姫路市丁(よろ)。
 4世紀。(『日本の古代遺跡・兵庫南部』保育社より)

 『仏典須弥世界図』インド古写本より。
 インドや周辺各地のスツーパ
 この須弥山を表現しようとしたもの。

  アショカ法勅柱と8万4千のアショカ王塔
 北インド、サールナート寺院(釋迦当時の鹿野苑精舎)跡出土の
 アショカ王法勅柱
 頭部の獅子像。発見当時の写真。

 東インド、ラウリヤ・マンガンダラに立つ、
 高さ10mの研磨した砂岩の柱。
 下部に法勅が彫刻してある。

 アショカ王は世界に8万4千のスツーパを

 建立することを悲願としていた。

 その命を受けたソナカらとその後継者や

 信者「倭人」は、それを実行していったはずである。

 その子孫である「倭の五王」天皇たちが、

 日本列島と朝鮮半島に築いていったのは、

 その悲願のスツーパに当たるものだった。

 《前方後円墳は仏教的建造物だった
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実在した壮大な欧亜和人国(2)



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     真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
     255頁
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 「実在した壮大な欧亜和人国

 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:縄文、弥生、古墳と時代区分の崩壊

 西から東へ、

 古墳人が移動するにつれて、先住民は東へ、北へと移動した。

 これは弥生人と縄文人との間でも同じである。

 地域によっては、古墳人がいる同じ時代に、

 他の地域には、弥生人も縄文人も住んでいた。

 時代によって土器文化が変ったのではなく、

 先住民の去ったあとに後住民が住みついただけなのである。

 土器によって日本列島全域を

 「時代区分」することは間違っている。

 それは過去の遅れていた学問の遺物にすぎない。

 卑弥呼247年~西都原7世紀

    珍438年~武478年
    弥生時代=5世紀後半まで
         ↓
       弥生人
         ↓
        縄文人

 5世紀後半~6世紀
         ↓
       弥生人
         ↓
        縄文人

    縄文時代 7世紀まで

 《国力を生み出す巨大古墳の謎
 「国力を生み出す巨大古墳の謎

 《古代大阪は豊かな工業国家だった
 「古代大阪は豊かな工業国家だった

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2012年5月24日木曜日

実在した壮大な欧亜和人国(1)



 ※出典:加治木義博:言語復原史学会
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     真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
     253頁

 《実在した壮大な欧亜和人国
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 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:
  《百済・斯麻王の顔を隠した曲玉
  「百済・斯麻王の顔を隠した曲玉

  斯麻王陵から見つかった曲玉にかぶせる金の帽子。

  それを被せた状態の曲玉で、

  ご覧のとおり曲玉であることが分らなくなる。

  ただしそれが分かる右端のものだけは新羅

 (5-6世紀・出土地不明=韓国国立中央博物館蔵)のもの。

  これは曲玉がシンドウ系の象徴であることから、

  仏教系の百済小王・斯麻が
 
  苦肉の策として考えた方法だったものとみると理解できる。

  (6世紀初頭=韓国公州・斯麻王陵出土品=韓国国立公州博物館蔵)


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奈良「東征」は6世紀、都はまだなかった(3)



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     真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
     247頁

 《奈良「東征」は6世紀、都はまだなかった
 「奈良「東征」は6世紀、都はまだなかった

 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか



 図:
  《武人埴輪
  「武人埴輪

 『貢納・貯貝器』の武士と同じ型式の衝角つき兜を被り、

  左はそれと近い型甲の鎧を着ている。

  紀元前1世紀の雲南の人々と、

  古墳時代人が非常に近いことを証明する埴輪である。

 《初めて奈良県に入った雄略天皇
 「初めて奈良県に入った雄略天皇

 《行方不明の安康、雄略天皇陵
 「行方不明の安康、雄略天皇陵

 《関東にあるのか? 雄略天皇陵
 「関東にあるのか? 雄略天皇陵

 《古墳人は一種類ではない
 「古墳人は一種類ではない

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奈良「東征」は6世紀、都はまだなかった(2)



 ※出典:加治木義博:言語復原史学会
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     真説:日本誕生 誰が巨大古墳を造ったのか
     246頁

 《奈良「東征」は6世紀、都はまだなかった
 「奈良「東征」は6世紀、都はまだなかった

 《誰が巨大古墳を造ったのか
 「誰が巨大古墳を造ったのか

 《五王はどこに都していたか?
 「五王はどこに都していたか?



 図:《古墳人のスタイル
   「古墳人のスタイル

   革小礼鎧の北魏武士
   灰陶製の俑。(中国の埴輪5世紀末。

   伽耶琴をひくサニワ。
   群馬県前橋市朝倉出土。6世紀。
   眼のあいだが開いたアーリア系の人物。(相川考古館蔵

   東京国立博物館蔵チベット鎧
   中国の西部からチベットにかけて住むロッパ人などが、
   これと同じ革礼(こざね)の甲冑を現代でももっている。
   一名チベット鎧。埼玉県熊谷市出土。
   5~6世紀。(東京国立博物館蔵)

   『貢納・貯貝器』
   第三章扉の『貢納・貯貝器』の群像の一人。
   頭に衝角つきの兜を被り、
   左の出土品の鎧と同じものを着ている。
   ズボンは埴輪のものよりも
   さらに後世の日本の武士のものに近い。

   野中古墳出土
   肩甲と頸甲と短甲。
   大阪府藤井寺市、野中古墳出土。
   古墳時代中期。(大阪大学蔵)


 《仁徳天皇は四国から外へ出ない
 「仁徳天皇は四国から外へ出ない

 《チンが占領した大阪百済
 「チンが占領した大阪百済

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