2012年12月17日月曜日
佐賀県牛津から大分県中津
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
大学院講義録 26 20頁
「図」佐賀県牛津から大分県中津
《佐賀県牛津から大分県中津》
「佐賀県牛津から大分県中津」
『卑弥呼時代の国譲り地域』
これは『古事記』による定義だが、
『日本書紀』ではどうなるだろう?。
こちらは大己貴に国譲りを迫ったのは、
経津(フツ)主と熯速日神で、
経津(フツ)は賦都=フト・フツは
布屠で仏であることまではお話しした。
このフトを名乗りにもつ天皇がある。
孝霊天皇である。
「賦斗邇(フトニ)命・太瓊(フトニ)の天皇」である。
この天皇は倭迹迹日百襲姫=卑弥呼の父である。
太瓊の瓊はタマで、
玉依姫は「魂寄り姫」だから、
フトタマは「仏の心=仏教精神」の持ち主を意味する。
彼が熯速日と共に大己貴に要求したのは、葦原中国だった。
熯はヒ。
日向から火の国(火の国は肥の国)=
熊本県から佐賀県・長崎県へと拡大していった国である、
そこに聳える世界最大のカルデラが阿蘇火山・アソカ山。
「ヒの国のソナカ=熯速日」が、
仏教の巨人・アソカ王になぞらえて、
命名したとするのが一番妥当である。
彼等が次の領土として要求したのは、
その行動範囲が示す九州の中、
それも南は自領だから北九州だったはずで、
取っても何のメリットもなく、
往来にエネルギーを浪費する遠隔地の出雲であったはずがない。
するとこれまで繰り返しお話しした、
卑弥呼の死後そこに新たに生まれた
新「奴国」が浮かび上がってくる。
それは下の付図でご覧のとおり「筑後」として実に奇妙な位置に、
実に不自然こ「割り込んで」いるのである。
「地図」
日向の国:薩摩・大隈・日向
火(熯=肥)の国:肥後・肥前(牛津(1))
豊の国:豊後・豊前(中津(2))
筑紫の国:筑後・筑前
新奴国:筑後
『大己貴は「倭国(オオナ)持ち」で難升米=綏靖天皇』
『魏書倭人章』は、
その東にも「不弥国」が生まれたことを記録していた。
それは明かに
豊前・フーミーで、
豊・ホウ、前・マエを
「フーミー」と
発音する沖縄・大隅語の名である。
この2国を書く起点になったのは伊都国。
これは「倭・イの都だから、都=ツ・ト」国とみると、
「イ=葦、都=原」で、中ツ国=中津国。
ちょうど牛津(1)から中津(2)(大分県)が
「葦原中国」と書かれた地域にピッタリ合う。
そこは間違いなく卑弥呼政権が崩壊した後、
壹與たちが本拠を構えた香椎
(カシー=愛。仲哀・神功を合祀した香椎廟がある)のある、
のちの「白日別の国」で、
壹與を初代の王・赫居世とする「新羅」の国だ。
経津主と熯速日が大己貴に要求したのは、
この白日別地域で、
大己貴は「倭国(オオナ)持ち」という代名詞だったのである。
それは在来の学者が考えていたような
一個人の名でも名乗りでもなかった。
壹與当時のそこの支配者は、難升米以外にはない。
彼は神渟浮名川耳(ナンセンミ)尊=綏靖天皇である。
彼の跡を継いだのは安寧天皇。
この天皇は「大間宿祢の娘・糸井姫」を皇后にしている。
「地図」「葦原中国」:牛津(1)から中津(2)
日向の国:薩摩・大隈・日向
筑紫の国:筑前・筑後
火(熯=肥)の国:肥前・肥後
豊の国:豊前・豊後
『武甕(みか)槌(武御雷(ミカヅチ))は一人ではない』
オオマは倭国(オオマ)・大国(オオマ)への当て字。
糸井・イトイは伊都王(イ)である。
この皇后の正式の名乗り「渟名底仲姫」は
ヌナソコナカツヒメ=奴・娜・襲・高・中津女王である。
奴国・娜・蘇奴国と牛(ソ)津・高良=高麗の所有者で・中津に
都する女王という名乗りである。
この部分の大己貴は、
北九州王の難升米・ナのツミ・娜の津見=大間宿祢以外にはない。
これだけ完全に揃えば、この部分が、
先に見た『隋書』中の俀国の記事とは
全く別物だということは直ぐわかる。
『隋書』のそれは7世紀の四国での事件だった。
こちらは3世紀の北九州の事件なのである。
四国のほうは、
熯速日神の子が武甕(みか)槌の神(武御雷(ミカヅチ)男神)は
泉蓋蘇文(イリガスミ)=入鹿に殺された「建武王」だが、
『日本書紀』の登場者では蘇我馬子に殺された崇峻天皇に当たる。
それは四国の西部、
いまの愛媛県八幡浜市での事件だったのである。
北九州の方は、それより 350年前の人物である。
経津主は「賦斗邇命・太瓊の天皇=孝霊」で卑弥呼の父である。
卑弥呼の弟でタケのつく皇子は、稚武彦一人だけである。
彼は高句麗山上王・位宮だから、
タケヒコというのは、高彦=高句麗王のことだとわかる。
すると稚・ワカはワケ・別で、
ベツ→ビチ→日木(チ)→ヒコ→日向。
稚武彦とは、
「日向から高句麗までを持つ日子」
(卑狗=ピク=土地の測量単位=その支配者=領主)という
名乗りだとわかる。
『大学院講義録14』
1 生き返った『記・紀』と『魏書倭人章』
《生き返った『記・紀』と『魏書倭人章』》
「生き返った『記・紀』と『魏書倭人章』」
2 『記・紀』の実体は史実、政治用作文ではない
《『記・紀』の実体は史実、政治用作文ではない》
「『記・紀』の実体は史実、政治用作文ではない」
3 仁徳天皇の偉大さを記録した霊ラインの実在
《仁徳天皇の偉大さを記録した霊ラインの実在》
「仁徳天皇の偉大さを記録した霊ラインの実在」
4 研究すれば細部まで続み解ける『魏書倭人章』
《研究すれば細部まで続み解ける『魏書倭人章』》
「研究すれば細部まで続み解ける『魏書倭人章』」
5 岩屋から伊勢の皇大神宮まで165kmの霊ライン
《岩屋から伊勢の皇大神宮まで165kmの霊ライン》
「岩屋から伊勢の皇大神宮まで165kmの霊ライン」
6 陰帝国から陽の式場を拝む
《陰帝国から陽の式場を拝む》
「陰帝国から陽の式場を拝む」
7 天皇を超える最高位名だったイザナギの総括
《天皇を超える最高位名だったイザナギの総括》
「天皇を超える最高位名だったイザナギの総括」
8 イザナギの真意は「御所の陛下」
《イザナギの真意は「御所の陛下」》
「イザナギの真意は「御所の陛下」」
9 神武天皇の名乗りの当て字が語る『記・紀』の暗闘
《神武天皇の名乗りの当て字が語る『記・紀』の暗闘》
「神武天皇の名乗りの当て字が語る『記・紀』の暗闘」
10 『記・紀』は立派な歴史書に生まれ変わった!!
《『記・紀』は立派な歴史書に生まれ変わった!!》
「『記・紀』は立派な歴史書に生まれ変わった!!」
11 五瀬の命は古墳時代人だという証拠
《五瀬の命は古墳時代人だという証拠》
「五瀬の命は古墳時代人だという証拠」
12 5世紀のものと確認させた血沼の地名説話
《5世紀のものと確認させた血沼の地名説話》
「5世紀のものと確認させた血沼の地名説話」
13 血沼の語源説話はコジつけでも、語源は倭王・珍
《血沼の語源説話はコジつけでも、語源は倭王・珍》
「血沼の語源説話はコジつけでも、語源は倭王・珍」
14 允恭(いんぎょう)天皇が倭の五王に入らない理由
《允恭(いんぎょう)天皇が倭の五王に入らない理由》
「允恭(いんぎょう)天皇が倭の五王に入らない理由」
15 全員、南九州の名乗りをもつ允恭天皇の一族
《全員、南九州の名乗りをもつ允恭天皇の一族》
「全員、南九州の名乗りをもつ允恭天皇の一族」
16 近畿の地名の当て字に変えた『日本書紀』
《近畿の地名の当て字に変えた『日本書紀』》
「近畿の地名の当て字に変えた『日本書紀』」
17 疑問の余地ない、允恭・雄略両天皇の全て
《疑問の余地ない、允恭・雄略両天皇の全て》
「疑問の余地ない、允恭・雄略両天皇の全て」
18 万世一糸と允恭問題。允恭の名乗りは難升米
《万世一糸と允恭問題。允恭の名乗りは難升米》
「万世一糸と允恭問題。允恭の名乗りは難升米」
19 金波鎮漢紀武のナゾは八咫烏が解く
《金波鎮漢紀武のナゾは八咫烏が解く》
「金波鎮漢紀武のナゾは八咫烏が解く」
20 五瀬命の複数のモデル実在が語るもの
《五瀬命の複数のモデル実在が語るもの》
「五瀬命の複数のモデル実在が語るもの」
21 御所、橿原、桜井の地名が語る史実
《御所、橿原、桜井の地名が語る史実》
「御所、橿原、桜井の地名が語る史実」
22 新支配者の固有名が新領土名になった
《新支配者の固有名が新領土名になった》
「新支配者の固有名が新領土名になった」
23 国土と名乗りの世襲と新領土の行方
《国土と名乗りの世襲と新領土の行方》
「国土と名乗りの世襲と新領土の行方」
24 百済は台湾のギリシャ人国名への当て字
《百済は台湾のギリシャ人国名への当て字》
「百済は台湾のギリシャ人国名への当て字」
25 百済人をポセイドンと読んだのは南九州人
《百済人をポセイドンと読んだのは南九州人》
「百済人をポセイドンと読んだのは南九州人」
26 大隅と出水に進出した百済人(ポセイドン)のその後
《大隅と出水に進出した百済人(ポセイドン)のその後》
「大隅と出水に進出した百済人(ポセイドン)のその後」
27 建国史の解明になぜギリシャ神話知識が不可欠か?
《建国史の解明になぜギリシャ神話知識が不可欠か?》
「建国史の解明になぜギリシャ神話知識が不可欠か?」
28 紀元前660年の建国は真実だった
《紀元前660年の建国は真実だった》
「紀元前660年の建国は真実だった」
29 『萬葉集』にも色濃く残るギリシャ系王国の名残り
《『萬葉集』にも色濃く残るギリシャ系王国の名残り》
「『萬葉集』にも色濃く残るギリシャ系王国の名残り」
30 日本人の死活を分ける国史教育大転換
《日本人の死活を分ける国史教育大転換》
「日本人の死活を分ける国史教育大転換」
《古代オリエント》
「古代オリエント」
《古代メソポタミア》
「古代メソポタミア」
《シュメール・シュメル》
「シュメール・シュメル」
《ウバイド》
「ウバイド」
《倭人(ウワイト)》
「倭人(ウワイト)」
《魏書倭人章》
「魏書倭人章」
《日本書紀・古事記》
「日本書紀・古事記」
《三国史記・三国遺事》
「三国史記・三国遺事」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『言語復原史学会:画像』
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
装飾古墳
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿