2012年12月6日木曜日
[立神岩]の分布は何を復元するか?
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
大学院講義録 11 24頁
「図」[立神岩]の分布は何を復元するか?
《[立神岩]の分布は何を復元するか?》
「[立神岩]の分布は何を復元するか?」
こう見てくると、
与那国から出発したギリシャ人勢力が、
イナと方言化して呼ばれながらも、
山陰から岐阜県にまで達していたことが跡付けられた。
しかしそのコースは四国~淡路島経由ではない。
明らかに山陰経由である。
これはギリシャ人の東漸といっても、それは単純ではなく、
複数のグループがあったという証拠である。
山陰経由のものは浦島伝承をもっているから
明らかに位宮・垂仁系だが、
淡路島の倭の五王系はそれを持たないグループだ。
こちらは本当に与那国系なんだろうか?…。
それに明確に答えるのが、右の写真である。
これは沖縄の石垣市が作った
『八重山の旅』という観光案内書に掲載された与那国島の
「立神岩」の写真である。
これは確かに九州を経て淡路島まで達している。
「写真」
与那国島の[立神岩]
『位宮系を立証した山陰経由のギリシャ勢力』
しかし、浦島神社まで建てて集るというのは、
血縁関係があるからである。
またこの蓬莱の語源がギリシャ神話のホーライであり、
台湾が今もホーライと呼ばれていることも、
よくご存じの通りでその血縁は
他の地名にも及んでいるはずである。
そこで宮津市の地名を見て見ると、
まずこの「日置」が鹿児島県では、
郡になっている建国史上重要な地名である。
また丹後という国名そのものが、
タニ=種、ゴ=子で種子島からの移住を
記録していることもすでに検討ずみであるから、
種子島の海人王・ビチヌウシン(亀)の娘を
亀比売と呼ぶことも決しておかしくない。
むしろ、非常に詳しい知識をもっているというべきだ。
こうみてくると、
与那国人は浦島伝説とペアになることで分布先を明示している。
だからそれらの地名は、
単に発音が共通しているというだけでなく、
それが地域による発音変化で、その移住・拡大は、
疑う余地がないと、
はっきり証明していると断言できるのである。
また丹後から真南に南下したコースには、
兵庫県最東部の猪名川と、
大坂府北部の箕面市から兵庫県宝塚市にまたがる
稲(いな)地方がある。
その宝塚市には蓬莱峡と呼ばれる名勝があるが、
浦島伝説ま今では忘れられて僅かに地名だけが残っている。
この稲が、百人一首の
「イナの笹原、小夜更けて」のイナであり、
孝徳天皇朝の豊日の国の母体になった地域なのである。
『大学院講義録04』
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《「弥」をヤと発音する和訓の歴史》
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《卑弥呼の遣使は景初2年か3年か?》
「卑弥呼の遣使は景初2年か3年か?」
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《『魏書東夷』全体を通続、時間帯で整理する》
「『魏書東夷』全体を通続、時間帯で整理する」
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《卑弥呼らの情報収集力と行動力の高さ》
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《魏書倭人章》
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《日本書紀・古事記》
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《三国史記・三国遺事》
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『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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