2012年12月22日土曜日

スーサに遺るスサノオの子孫の風貌



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学院講義録 28 13頁



 「図」スーサに遺るスサノオの子孫の風貌
 《スーサに遺るスサノオの子孫の風貌
 「スーサに遺るスサノオの子孫の風貌

 「コラム:その名も不滅隊」

 スーサ出土の釉薬煉瓦の色美しい壁画に、

 静かに歩を進める大王の親兵たち、

 ペルシアの王は、ペルシア人の間から、

 特にすぐれた1万人を選抜して一軍を編成し、

 その後は、絶えず補充することによって

 常に1万人の数の欠けることのない、

 不滅隊とよばれる精鋭を率いていたといわれる。

 図の<えびら>を負い、長槍を手にした、

 りっぱないでたちの兵士たちは、

 確かに輝かしい不滅隊の一員であったに違いあるまい。

 「コラム:たくましい雄ウシの柱頭

 ダレイオスが建て、

 その5代の孫であるアルタクセルクセス・ムネモンが

 復活したスーサの王宮大広間は、

 約6000平方mの広さをもっていたといわれているが、

 この壮大な建築をささえた柱には、

 それにふさわしい雄ウシの柱頭がついていた。

 雄ウシのは2頭が背なか合わせについており、

 この上に、十字に組み合わされて梁が載っていた。

 雄うしは灰色大理石でつくられている。

 現在、ルーヴル博物館蔵。

 『国号『日本』のルーツはシュメル語の太陽と神殿名』

 <シュメル>では<太陽神>を<シャマシュ>と呼ぶ。

 南九州語では<焼酎>を<ソツ>と発音するように、

 <シャ>、<シュ>、<ショ>は<サ>、<ス>、<ソ>と発音する。

 <薩摩>は<サツマ>ではなく<サッマ>と発音する。

 ご存知の通り薩摩は開聞(ヒラキキ)・枚聞(ヒラキキ)を

 首都にした<ヒラ>=日国(ヒラ)=日本=新羅の中心であって、

 天智天皇は<シャマ主(シュ)>だったが、発音は<サッマ主>で。

 <薩摩>はそれに当てた当て字だ。

 <太(シ)陽(ヤ)国(マ)>で、

 だがそれをマレー語の<1>=<サツ>だとした人たちが、

 <壱国>と当て字したのが<邪馬壹国>なのだった。

 <日>を<ニッ>と発音するのも南九州語で、 

 日本は神殿名<ニップル>が<ニップヌ>になったものへの当て字である。

 シュメル語の国名は<アッカド>、

 <アッシュル>などと<サッマ>と同形の撥(は)ね方をする。

 <レイライン>以下多くの共通文化が、

 『日本』という国号は<シュメル>に<ルーツ>があったことを立証している。

 <シュメル>を<スメル>と発音する地域も南九州以外にはない。

 五彩圏当時の<倭>=<沖縄>から中国東北区までを調査しても、

 焼酎を「ソツ」と発音する特異な言語をもった土地もない。

 天皇を<スメラ王(ギ)と発音する限り、

 神武天皇が奈良の橿原で即位した時を紀元とする

 邪馬台国大和説などは根底から崩れて消滅する。

 日本国は7世紀後半まで鹿児島県にあったことを

 『唐書』が詳細に記録しているし、

 その『日本という国号』は、

 今から4000年前の

 「シャマシュ大神」と「ヤマトバル」と「ニップル神殿」から

 始まっているからである。

 『謎の36度線レイラインとスメラギの真相

 沖縄の人たちは、

 <鹿児島人>を<倭人>と区別して<ヤマトンチュウ>と呼んだのであって、
 それはイコー=<薩摩人>ということであった。

 その実体は太陽神<シャマシュ>を

 崇める都市国家「ヤマトバルの国民」だったのである。

 それは唐代には『日本国』を名乗っていた。

 しかしそれは今から4000年前に実在していた

 <シュメル文明>を継承した名前だった。

 それは茨城県地域が<日立の国>と呼ばれて、

 殷商帝国からみれば「日の本(もと)つ国」だったのである。

 <稲敷>と<殷の都>とを結ぶ36度線の謎の<レイライン>は、

 <シュメル文明>を持って来た人たちが計測したものだったのである。

 <スメラギ>という代名詞は、

 <殷商帝国>が生まれる以前に我が国で生まれた日本語である。

 それは

 「スメラ+吾(あぎ)君」=「我が君・天皇」=「スメラギ」

 2語の混血だからである。

 同じことは<スサノオの名>でも見られる。

 「スサ+の王・男」=「スサノオ」だ。

 これで<スサノオの幾人>かは、

 今から4000年前の実在者だったことが理解できたと思う。

 ただしそれは向こうでの呼び名=人称代名詞であって、

 我が国の出雲とは無関係である。

 共通点は彼が天国(エデン)を追われて、

 野蛮人の住む下界に降(くだ)って来て、

 <琉球>という「竜」を退治て、

 さらに東の太陽神・<シヤマシュの国>・<薩摩>にまで着いたことである。

 しかしそこに出雲の語源・<ポセイドン人>がやって来たのは、

 それから千年以上も後のことなのだ。

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 《魏書倭人章
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 《日本書紀・古事記
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 《三国史記・三国遺事
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 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
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 ウワイト(倭人)大学院講義録 
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
 装飾古墳

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