2012年12月21日金曜日
シュメル人の都市国家
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
大学院講義録 28 12頁
「図」
《シュメル人の都市国家》
「シュメル人の都市国家」
『ヤマトバル陥落以外にない東方大移住の出発点』
沖縄は自称を「ウルマ」と言う。
ウル国(マ)であり、漆島=ウル之国(シマ)の姓もある。
アムールも隼人町に天降(アモリ)川があり、
中国ロシア国境にアムール河がある。
その東方移動は間違いないという証拠が、
このほかにもびっしりと残っている。
リム・シンは<エラム>の<ヤマトバル>を都にした。
この地名が我が国の古代の都・<ヤマト>の語源だから、
我が国まで来た人たちは、
この<ヤマトバル出身者>だと判る。
すると<永良部>が
我が国統一の最古代の重要地だったことか理解できるのである。
では何故?
そんなに遠隔のイラクなどから絶海の孤島といいたい
日本列島まで移住してきたのか?
という疑問にも、これまで見てきた言語の一致などから、
このヤマトバルの陥落が契機になって、
移動が始まったと判断できるし、
何故?本拠を海中の国・沖縄に置いたのか?という疑問も、
4頁.の地図でご覧の通り、
当時はペルシャ湾が北に深く伸びていて海に面していたので、
<ヤマトバル>もスーサもウルもすべて、
そこの住民たちは海洋人だったからである。
戦いが不利とみると彼等は、敵の支配下で暮すのを嫌って、
すぐ海に乗り出した。
そして東に進んで転々としながら沖縄海域にやってきて定着した。
そこで<稲敷>から中国へ移住した<殷人>と出会い、
互いに助けあって、
宝貝貨幣産業の黄金時代を築いたのだと推理できる。
それをこれから、さらに正確に跡づけてみよう。
『「初代・スサノオ=スサの王」登場』
<ヤマトバル>で<リム・シン>を捕虜にしたのは
バビロン第1王朝のハンムラビ王だった。
この名もバビロンは
<バ>=<馬>=<マ>、<ビ>=<美>=<ミ>で馬見(まみ)の丘陵、
狸穴(まみあな)などの<マミ>。
<ロ>=<末盧>の<ロ>=<国>。<ン>=助詞。
<ハンムラビ>も<ビ>=<ミ>で
磐叢耳(ハンムラミン)尊と書ける名だし、半村姓もある。
彼はハンムラビ法典を制定したことで有名だが、
それは、
今はイラン領に入っている古代エラムの都市国家・スサで1901年に、
法文を彫った石碑が見つかった。
<バビロン>に侵入した<スサ>の王が戦利品として持ち帰ったものであった。
我が国に関係のある「スサの王=スサノオ」の名乗りは、
やはりエラム人のものだったのだ。
だから<スサノオ>と<永良部>は共に高天原のあった九州の南の海上にあって、
当時、<都>を意味した「原」は、九州語では「バル」と発音する。
それらも皆、<シュメル>の都市・<ヤマトバル>と
一緒にやって来た
「渡来人訛り」だったのである。
地図でおわかりの通り、<ヤマトバル>と<スサ>は近接して、
前面に海をひかえている。
だから山人(やまと)は本来は山の民ではない。
それが山地の奈良に都を置いたのは、
倭の五王時代に九州を出発して近畿へ移動し、
倭王・<武>が奈良の高市へ入ったからなのである。
卑弥呼の時代には位宮が沖縄・種子島・屋久島にいて、
まさに海幸そのものだったし、
それを迎え討った卑弥呼は姫木(ひめこ)山にいて、
山幸そのものだったが、
<五王は海幸側の壹與の子孫>で山人ではない。
『古式大嘗祭と一致するバビロニヤ王の即位儀礼』
また、バビロニヤの王は古来、毎年、年頭に厳粛な儀式を行なった。
それは王衣を脱いで神の前にひれ伏し、
改めて遵法を誓った後、衣冠をっけて、
王位に復してから儀式にはいる独特の復活儀礼で、
それを毎年繰り返した。
これは我が国で毎年行なわれた
古式の大嘗祭で神前に高く真床が敷かれ、
天皇は位冠を全て脱いで、
板枕をして真床に横たわり、
追衾(おうふすま)を被って物忌みの後、
改めて現(あき)っ神として起き出られてから、
冤服(べんぷく)をつけて高御座(みくら)に登り、
百官の拝謁を受けられた儀式と、
その信仰も形式もまったく同じである。
この世界にも希な表現方式をもつ2つの儀式が、
思想と信仰の一致で、
天皇が<シュメル文明>の後継者であり、
そこに強力な都市国家<スサ>が実在したのだから
<スサノオ>とは<スサの王>だった史実を、
物(もの)の見事に幾重にも立証しているのである。
「地図:シュメル人の都市国家」
「チグリス川(エラム)」
アッカード・ウンマ・スサ・ラガッシュ・ヤマトバル
「<ユーフラテス川(バビロニア)」
キシュ・バビロン・イシン・ウルク・ラルサ・ウル・エリドゥ
『大学院講義録18』
1 まだある我が国の古代大政治圏内=「干支圏」
《まだある我が国の古代大政治圏内=「干支圏」》
「まだある我が国の古代大政治圏内=「干支圏」」
2 総崩れになった「根の国=冥途」の定説
《総崩れになった「根の国=冥途」の定説》
「総崩れになった「根の国=冥途」の定説」
3 古代天皇たちは高句麗を領有していたか?
《古代天皇たちは高句麗を領有していたか?》
「古代天皇たちは高句麗を領有していたか?」
4 孝のつく4帝はすべて高句麗の領有者
《孝のつく4帝はすべて高句麗の領有者》
「孝のつく4帝はすべて高句麗の領有者」
5 実在していた「干支圏」
《実在していた「干支圏」》
「実在していた「干支圏」」
6 実在していた「干支圏」図表
《実在していた「干支圏」図表》
「実在していた「干支圏」図表」
7 干支は古代中国「殷」の文化
《干支は古代中国「殷」の文化》
「干支は古代中国「殷」の文化」
8 「商」を「あきない」と読ませたもの
《「商」を「あきない」と読ませたもの》
「「商」を「あきない」と読ませたもの」
9 壮大な帝国が実在していた豊富な痕跡!
《壮大な帝国が実在していた豊富な痕跡!》
「壮大な帝国が実在していた豊富な痕跡!」
10 西はウラルまで伸びていた絶文時代の『干支圏』
《西はウラルまで伸びていた絶文時代の『干支圏』》
「西はウラルまで伸びていた絶文時代の『干支圏』」
11 現行の「天皇家5世紀建国説」を否定する『干支圏』
《現行の「天皇家5世紀建国説」を否定する『干支圏』》
「現行の「天皇家5世紀建国説」を否定する『干支圏』」
12 シベリヤ東部に並ぶ『干支圏』の遺跡
《シベリヤ東部に並ぶ『干支圏』の遺跡》
「シベリヤ東部に並ぶ『干支圏』の遺跡」
13 地名語尾の「ia」は「ヤ」でないといけない
《地名語尾の「ia」は「ヤ」でないといけない》
「地名語尾の「ia」は「ヤ」でないといけない」
14 地名の発音に深い意味を見出だす知性を
《地名の発音に深い意味を見出だす知性を》
「地名の発音に深い意味を見出だす知性を」
15 「宿」に一致するシベリヤの都市名語尾
《「宿」に一致するシベリヤの都市名語尾》
「「宿」に一致するシベリヤの都市名語尾」
16 全部日本帯地名!が、シベリヤ『干支圏』実在証明
《全部日本帯地名!が、シベリヤ『干支圏』実在証明》
「全部日本帯地名!が、シベリヤ『干支圏』実在証明」
17 日本語で容易に読めるシベリヤ南部の地名群
《日本語で容易に読めるシベリヤ南部の地名群》
「日本語で容易に読めるシベリヤ南部の地名群」
18 卑弥呼時代に直結するシベリヤ干支圏の地名
《卑弥呼時代に直結するシベリヤ干支圏の地名》
「卑弥呼時代に直結するシベリヤ干支圏の地名」
19 ゴビ砂漠は大『干支圏』が生んだ名詞
《ゴビ砂漠は大『干支圏』が生んだ名詞》
「ゴビ砂漠は大『干支圏』が生んだ名詞」
20 天皇をスメラギと呼ぶ歴史の深奥さ
《天皇をスメラギと呼ぶ歴史の深奥さ》
「天皇をスメラギと呼ぶ歴史の深奥さ」
21 日本語は「北方騎馬民族」がもってきたのか?
《日本語は「北方騎馬民族」がもってきたのか?》
「日本語は「北方騎馬民族」がもってきたのか?」
22 この大『干支圏』を立証する発掘考古学の成果
《この大『干支圏』を立証する発掘考古学の成果》
「この大『干支圏』を立証する発掘考古学の成果」
23 史実を曲げ続けてきた「渡来説」の元凶たち
《史実を曲げ続けてきた「渡来説」の元凶たち》
「史実を曲げ続けてきた「渡来説」の元凶たち」
24 どこが間違っていたか?過去の古代史と日本人観
《どこが間違っていたか?過去の古代史と日本人観》
「どこが間違っていたか?過去の古代史と日本人観」
25 成果測定段階に人った本講座とご寄稿のお願い
《成果測定段階に人った本講座とご寄稿のお願い》
「成果測定段階に人った本講座とご寄稿のお願い」
26 『古事記』成立は『日本書紀』より後 隅田慎也
《『古事記』成立は『日本書紀』より後 隅田慎也》
「『古事記』成立は『日本書紀』より後 隅田慎也」
27 『古事記』序文の文章と『日本書紀』にある原典
《『古事記』序文の文章と『日本書紀』にある原典》
「『古事記』序文の文章と『日本書紀』にある原典」
28 どう見ても『日本書紀』を続んだ後のもの
《どう見ても『日本書紀』を続んだ後のもの》
「どう見ても『日本書紀』を続んだ後のもの」
29 この『古事記』序文の真相を補足する別の視点
《この『古事記』序文の真相を補足する別の視点》
「この『古事記』序文の真相を補足する別の視点」
30 「執筆者X」とは誰か?、次回寄稿にご期待を
《「執筆者X」とは誰か?、次回寄稿にご期待を》
「「執筆者X」とは誰か?、次回寄稿にご期待を」
《古代オリエント》
「古代オリエント」
《古代メソポタミア》
「古代メソポタミア」
《シュメール・シュメル》
「シュメール・シュメル」
《ウバイド》
「ウバイド」
《倭人(ウワイト)》
「倭人(ウワイト)」
《魏書倭人章》
「魏書倭人章」
《日本書紀・古事記》
「日本書紀・古事記」
《三国史記・三国遺事》
「三国史記・三国遺事」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
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《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
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