2012年10月31日水曜日

漢字時代別発音表(2)



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会



 「図」漢字時代別発音表(2)
 《漢字時代別発音表
 「漢字時代別発音表

 漢字  漢魏音(上古音) 隋唐音(中古音) 北京音(近世音) 広東音

 柄   piang           piwbng          ping            peng

 渠     gio             giwo            ku              gia  

 兕     dzier           zi              ssu             zia

 不     pwo             puo             pu              pat

 彌(弥)  miar            mjie            mi              nei

 多     ta              ta              to              toh

 模     mag             muo             mu              mo

 投     tu              tau             tou             tau

 那     nar             na              na              a.noh

 利     liad            lji             li              lei

 壹     iet             iet             yi              yat

 升     siang           siang           sheng           shing

 獲     gwak            gwek            huo             wok

 佳     keg             kai             tia             chui

 鞮     dieg            diei            ti              tai

 斯     sieg            sie             ssu             sz

 己     sieg            ki              tu              kei

 百     bak             bbk             po              paak

 郡     giwan           giuan           chun            kwan

 好     xog             xau             hao             ho

 呼     go              guo             hu              foo

 姐     tiet            tiet            chieh           tse

 蘇     so              suo             su              so

 邑     iap             iap             yi              yap

 華     gwa             gwa             hua             wa

 鬼     kui             kwi             guei            kwai

 為     gwia            jwie            wei             wai

 ※カールグレンと加治木による
 ※アクセントは省略

 『大学講義録02』

 1 「位置」捜索と定点設定と確認の方法
 《「位置」捜索と定点設定と確認の方法
 「「位置」捜索と定点設定と確認の方法

 2 不思議の国「邪馬台」
 《不思議の国「邪馬台」
 「不思議の国「邪馬台」

 3 怪物「邪馬臺」はなぜ発生したか?
 《怪物「邪馬臺」はなぜ発生したか?
 「怪物「邪馬臺」はなぜ発生したか?

 4 「ヤマト説」は日本人の恥
 《「ヤマト説」は日本人の恥
 「「ヤマト説」は日本人の恥

 5 「邪馬堆」は愛媛県八幡浜市
 《「邪馬堆」は愛媛県八幡浜市
 「「邪馬堆」は愛媛県八幡浜市

 6 山門説も無駄。やはりヤマト説だから
 《山門説も無駄。やはりヤマト説だから
 「山門説も無駄。やはりヤマト説だから

 7 「伊都国から南へ」で、東ではない
 《「伊都国から南へ」で、東ではない
 「「伊都国から南へ」で、東ではない

 8 間違った地図を呈示する「効果」
 《間違った地図を呈示する「効果」
 「間違った地図を呈示する「効果」

 9 コースと行程が謎を解く
 《コースと行程が謎を解く
 「コースと行程が謎を解く

 10 現存する巨大なザ・メジャー
 《現存する巨大なザ・メジャー
 「現存する巨大なザ・メジャー

 11 狗邪韓国は今の巨済島
 《狗邪韓国は今の巨済島
 「狗邪韓国は今の巨済島

 12 1里は55mの「倭人里」だった
 《1里は55mの「倭人里」だった
 「1里は55mの「倭人里」だった

 13 確認できた多くの「定点」
 《確認できた多くの「定点」
 「確認できた多くの「定点」

 14 ピタゴラスの定理と末盧上陸点
 《ピタゴラスの定理と末盧上陸点
 「ピタゴラスの定理と末盧上陸点

 15 上陸点は明瞭、松浦川の入江奥深く
 《上陸点は明瞭、松浦川の入江奥深く
 「上陸点は明瞭、松浦川の入江奥深く

 16 伊都国の遺跡=文化財「牛津」
 《伊都国の遺跡=文化財「牛津」
 「伊都国の遺跡=文化財「牛津」

 17 「方角メモ」の中の「邪馬壹国」
 《「方角メモ」の中の「邪馬壹国」
 「「方角メモ」の中の「邪馬壹国」

 18 永遠に滅びない「真実の定点」
 《永遠に滅びない「真実の定点」
 「永遠に滅びない「真実の定点」

 19 全ての定点が「南九州」を指す
 《全ての定点が「南九州」を指す
 「全ての定点が「南九州」を指す

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」         
 『言語復原史学会:画像』

 『検索』
 GoogleWeb検索
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 YahooWeb検索
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 翻訳と辞書
 リンクフリー〔UTF-8 対応版〕

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年10月30日火曜日

漢字時代別発音表(1)



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会



 「図」漢字時代別発音表(1)
 《漢字時代別発音表
 「漢字時代別発音表

 漢字  漢魏音(上古音) 隋唐音(中古音) 北京音(近世音) 広東音

 卑   pieg            pjie            pi              pei

 奴     no              nuo             nu              no

 母     mag             mau             mu              mo

 離     lia             ljie            li              lei

 一     iet             iet             yi              yat

 大     dad             d'ai            ta              taai

 末     mwat            muat            mo              moot              

 盧     lio             liwo            lu              lui  

 伊     ier             i               yi              i

 都     to              tuo             tu              to

 爾     niar            nzie            erh             i

 支     tieg            tsie            chieh           chi

 泄     ziad            iai             hsieh           sit

 謨     mag             muo             mu              mo     

 觚     kwo             kuo             ku              ko

 ※カールグレンと加治木による
 ※アクセントは省略

 『大学講義録01』

 1 言語復原史学の趣旨
 《言語復原史学の趣旨
 「言語復原史学の趣旨

 2 言語復原史学入門通信講座
 《言語復原史学入門通信講座
 「言語復原史学入門通信講座

 3 『魏書倭人章』文献の絶対性
 《『魏書倭人章』文献の絶対性
 「『魏書倭人章』文献の絶対性

 4 『魏書倭人章』文献の一字一句ゆるがせにしない
 《『魏書倭人章』文献の一字一句ゆるがせにしない
 「『魏書倭人章』文献の一字一句ゆるがせにしない

 5 「加治木義博」が始めて紹介したカールグレン
 《「加治木義博」が始めて紹介したカールグレン
 「「加治木義博」が始めて紹介したカールグレン」 

 6 アンドレー・ミラーの日本の学界批判
 《アンドレー・ミラーの日本の学界批判
 「アンドレー・ミラーの日本の学界批判

 7 漢字の発音は時代で異なる
 《漢字の発音は時代で異なる
 「漢字の発音は時代で異なる

 8 三つの時代に大別できる漢字音の変化
 《三つの時代に大別できる漢字音の変化
 「三つの時代に大別できる漢字音の変化

 9 なぜ?発音が変わったのか?・同じことは日本の方言にもある
 《なぜ?発音が変わったのか?・同じことは日本の方言にもある
 「なぜ?発音が変わったのか?・同じことは日本の方言にもある

 10 名詞の正しい発音が全ての基礎、証拠
 《名詞の正しい発音が全ての基礎、証拠
 「名詞の正しい発音が全ての基礎、証拠

 11 この講座は私(加治木義博)の秘伝書
 《この講座は私(加治木義博)の秘伝書
 「この講座は私(加治木義博)の秘伝書

 12 『魏書倭人章』とは?
 《『魏書倭人章』とは?
 「『魏書倭人章』とは?

 13 『魏書倭人章』の原文を書いたのは二人の帯方郡使
 《『魏書倭人章』の原文を書いたのは二人の帯方郡使
 「『魏書倭人章』の原文を書いたのは二人の帯方郡使

 14 「倭」は果たして「国名」か?
 《「倭」は果たして「国名」か?
 「「倭」は果たして「国名」か?

 15 ウワイは何を意味するか?
 《ウワイは何を意味するか?
 「ウワイは何を意味するか?

 16 倭人はミャンマーの「ワ人」か?
 《倭人はミャンマーの「ワ人」か?
 「倭人はミャンマーの「ワ人」か?

 17 ウワイをめぐる言語学的背景
 《ウワイをめぐる言語学的背景
 「ウワイをめぐる言語学的背景

 18 「倭というたった一字」のもつ真価
 《「倭というたった一字」のもつ真価
 「「倭というたった一字」のもつ真価

 19 漢字時代別発音表(1)
 《漢字時代別発音表
 「漢字時代別発音表

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2012年10月29日月曜日

「和人」の遠い故郷「バビロン」



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 『魏書倭人章』詳解4 邪馬壹国大移動 123頁



 「図」
 《「和人」の遠い故郷「バビロン」
 「「和人」の遠い故郷「バビロン」

 バビロン第1王朝の弟6代ハンムラビ王

 「ハンムラビ法典」によって知られているが、

 彼はペルシャ湾岸のヤムトバル

 エウフラテス川中流のマリ。

 ティグリス川上流のアッシュールなどを統一して

 「アムル族」王朝を確立した。

 しかし彼の死後シュメル人、カツシート人が

 相次いで第2、第3王朝を作り

 カルデア(バビロニア)人は国を失って流亡し始めたのである。

 カスピ海
 ウルミア湖

 アッシリア(ティグリス川)
  ・ニネヴェ・アッシュール

 バビロニア(エウフラテス川)
  ・マリ・バビロン・ウルク・ラルサ
  ・ウル

 ルリスタン
  ・スーサ・ヤムトバル

 『「和人史」総括年表』

 これまでみてきたことを分りやすく総括して

 年代順に整理しながら、

 新たに考古学データなどをつけ加えてみよう。

 1 紀元前18世紀。

   バビロニア第一王朝滅びる。

   カレン人の放浪生活、始まる。

 2 紀元前1523年。

   中国に商(シャン)=後の殷(イン)帝国起こる。

   その繁栄は宝貝によって支えられていた。

   カレン人は沖縄海域で宝貝産業に従事。

   沖縄の貝塚からは宝貝の貝塚出ない。

 3 弥生時代。

   種子ガ島の広田遺跡付近に「山」という漢字や、

   古代中国の文様を彫った

   装飾品をもった人々がいた。

   その付近は今も水稲や「赤米」を祭祀用に栽培している。

   古代辰韓。

 4 紀元前。

   高句麗、北朝鮮に建国。

   その国名は宝貝を意味する。

   地名、数詞は日本語。

   沖縄から九州本土西部を北上した痕跡

   『三国史記』「高句麗本紀」の地名、王名に残っている。

 5 3世紀。

   朝鮮に馬韓・辰韓・弁辰の古三韓あり。

   三国とも日本語名の小国で構成されている。

 6 244年。

   高句麗・山上王位宮、北朝鮮より敗走、行方不明になる。

 7 244年。

   新羅始祖・赫居世(のちの倭女王「壹與」と諸条件が一致)、
 
   沖縄・与那原で即位。

 8 246年。

   辰韓の「臣濆沽」国主、帯方郡の崎離宮を攻めて太守を殺し、

   臣濆沽国、滅亡。

 9 247年。

   狗奴国男王・卑弥弓呼素、邪馬臺国を攻撃。

   卑弥呼死ぬ。

   大冢を作る。

   古墳時代の始まりか?。

 10 247年。

   2代目卑弥呼・御間城姫、立つが、

   夫・崇神天皇の自立で内乱起こり、

   邪馬臺国消える。

 11 247年。

   3代目卑弥呼・壹與、立つ。

   邪馬壹国起こる。

   筆頭官「伊支馬」は山上王位宮=垂仁天皇。

 12 247年?。

   鹿児島県知覧に古代新羅「鶏林」が都する。

   福岡が白日別と呼ばれ新羅「斯盧」時代に一致する。

 13 425年頃。

   倭王・珍の名乗りに始めて新羅・百済の名がある。

   このころ朝鮮に始めて古墳ができる。

 14 663年。

   新羅王・金春秋、百済を滅ぼす。

   こののち天智天皇即位。

   「神武東征」革命で倭国滅ぶ。

 15 670年。

   倭国、国号を「日本国」に変える。

 『総括年表補足』

 年表をもう少し補足しておこう。

 先ず


 <1>のカレン人だが、

 古代バビロニアは「カルデア人」の国である。

 この「カル」と「カレン」や「カリエン」の「カレ」「カリ」は、
 
 方言ていどの違いでしかない。

 沖縄・南九州万言は「ラ行」を「ダ行」で発音することは、

 前章で説明したが、

 大坂の河内方言では「ウドン」を「ウロン」と

 発音したこともよく知られている。

 仮に河内方言で「カルデア」を読むと「カルレア」。

 それに「人」を意味する語尾の「アン」または、

 南九州助詞の「ン」をつけると、

 「カルレアアン」または「カルレアン」になる。

 これが縮まって「カリ工ン」「カレン」に

 なっても不思議ではない。

 「カレン」の語源は「カルデア人」であった可能性が濃厚である。

 宝貝の「カウレイ」は「カルレアン」が「カウレアン」と

 訛った場所・時代があって、

 そこで「カウレ人の商品」という意味で

 「カウレ・イ」と命名されたように見える。

 彼等がバビロニアで宝貝を取っていたとは考えられないから、

 それは放浪中に始めた仕事だったはずである。

 貝の名の方があとで生まれたことは間違いない。

 それが移動先でさらに次々と発音が訛って

 「コーリー」や「コグレー」と変化したのである。


 <2>の中国古代帝国「商(シャン)」の名もまた、

 ビルマからタイヘかけての山岳地方に住む民族の総称として

 有名な「シャン民族」の名と一致する。

 ビルマにはシャン・高原にシャン州が、

 カレン・カレンニの二州とならんで実在しており、

 それらの地方からタイに移動した民族の名前をとって、

 かってタイ国がシャムと呼ばれていたことを

 ご存じの方も多いと思う。


 <3>の赤米は

 今も私たちがお祝いに食べる赤飯の古い姿だというのが定説である。
 年表には書けなかったが、

 北部九州が銅剣・銅鉾をもっていた弥生時代に、

 南九州からはそうした銅器が全然出てこないので、

 南九州は文化が低かったのだとされていた。

 しかし戦後、同じ弥生時代の遺跡から銅器の変りに

 鉄器が次々に出てきて、

 南九州が一と足さきに鉄器時代に入っていたことが

 明らかになった。

 そこで「なぜ北九州の方が遅れていたのか謎」とされていたが、

 読者にはもう、その理由がよくお分りだと思う。


 <4>地名は日本語。

 『三国史記』「地理」にある朝鮮の古地名が

 日本語であることは

 私(加治木義博)著『異説・日本古代国家』(前出)で

 説明済みなので、もと高句麗領地名を選んで少し例を挙げておく。

 それがどうして日本語だと分るかというと、

 地名は全然別のものに変えてしまうと不便極まりないから、

 どうしても元の地名に近い発音をもった当て字に変えるしかない。

 <十谷城>という地名を新羅王が鎮湍県に変えているのをみると

 「ジウタンキ」という名を「ジンタンケン」に

 変えたとみるほかない。

 十谷城を<ジウタンキ>と発音するのは

 日本語の・南九州方言しかないということが分るのである。

 また<烏斯含達>は「ウシガンダ」か

 「オシガンダ」としか読みようがないが、

 それは牛神田か押神田という日本式地名である。

 以下、説明ぬきで並べてみよう。

 沙熱伊=サネツイ=実洋井。

 古斯馬=コシマ=小島。

 伊伐支=イバルキ=茨城。

 加支達=カシダ=加世田。

 河西羅(または何瑟羅)=カシラ(またはカヒラ)。

 千珍=ウチヌ。

 数詞は日本語。

 高句麗の数詞を日本語か?

 と指摘したのは『大辞苑」の新村出氏である。

 「三・七・十」に当たるものに

 「蜜(ミツ)・難(ナヌ)・徳(卜)」という

 当て字が使ってあるのを発見したからであった。

 これはその後、

 私(加治木義博)が後の数詞全部を見つけだして

 日本語だったことを立証できた。

 詳細は次編で説明の予定。


 <10>邪馬臺国は鹿児島からどこへ移動したのか?。

 崇神天皇系の人々が兵庫県に移住した事実が

 「天の日矛」伝承として記録されているが、

 邪馬臺国の名は「宇治山田」型の地名として

 京都、奈良、伊勢に分布している。

 この地域は弥生後期、銅鐸文化が栄えたが

 3世紀末頃に奇妙な滅び方をしている。

 これは先住民が新しい勢力に征服されたかたちに見える。

 そして代って古墳文化が栄え始める。

 その古墳は卑弥呼の死にともなって作られた「大冢」が、

 記録に残る「古墳らしいもの」の最初である。

 こう考えてくると

 3世紀の近畿地方の大変動は

 邪馬臺国の人々の移動によるものであった可能性がもっとも強い。


 <13>「倭の五王」をその頃の近畿の支配者と考えるのが

 これまでの常識だったが、

 最後の「武」の上表文を分析してみるとそれは間違っている。

 ここでも思いがけない真相が隠されていた。

 次編をお楽しみに…。

 『なぜ日本は新羅だったか?』

 以上で天智天皇の「日本」とは何であったかが、

 出発点に遡って一と通り分った。

 『魏書倭人章』に関連していえば、

 日本は壹與女王と卑弥呼弓呼素に始まった、

 あの『垂仁天皇の邪馬壹国』だったのである。

 それがどうして「日本」でなく「新羅」になっていたのか?。

 日本と熊襲・出雲・八俣・ヤマトが

 もとは同じ名から派生したこと。

 熊襲梟師(クマソタケル)が垂仁天皇であったことなどは

 昭和48年の『異説・日本古代国家』以来、

 繰返しお話してきたから簡単に説明しよう。

 垂仁に敗れた卑弥呼の太子・景行天皇(戴斯烏越)は、

 のちに垂仁朝を倒す。

 それが『記・紀』の「熊襲退治」である。

 そして皇子は

 「熊襲=クマソ=肥素=ヒノモト=日本」の名乗りを継ぐ、

 それが「日本武尊=倭建命」である。

 これをみると邪馬臺国が「日の本」を国名にしていたのである。

 邪馬壹国は姫木を中心とする大隈にあったから、

 そこを追われた人々は薩摩半島に移って

 山間の知覧に新しい国を作った「日国=ヒラ=シラ」である。
 
 これを鹿児島方言では「シラ・ン・国」と発音する。

 「知覧」という当て字は「シラン=知らん=知覧」

 という発想で生まれたとみていい。

 「始林」は「シラン」に対する当て字である。

 しかし「チラン」と発音されるようになったため

 「鶏林」という当て字に変えられた。

 それを『三国史記』「新羅本紀」は

 「鶏が鳴いて金閼智が見付かったから」

 という説話で脚色してしまった。

 「鶏林」は「知林」と同じ発音「チリン」だが

 鹿児島方言では「チィン」である。

 これは沖縄方言の「金(チィン)と同じである。

 「鶏林」で拾った子供が「金」という姓をつけられたのは、

 そのためである。

 後世、

 「日本国」を再興した天智天皇の本名「金春秋」の金は、

 「知覧」と同じものであり、

 そのルーツは沖縄以来いろいろに変型しながらも

 本質的には変らなかった

 「チヌ=シン=ヒノ」に結びつくものだったのである。

 「シラ」は「斯盧国」と変ったとき

 「シラグイ」と鹿児島方言で発音され、

 文字が「新羅」に変っても日本では

 「シラグイ=シラギ」と読まれた。

 すべての名は人為的でなく

 自然に生まれ育って歴史を記録していたのだ。

 『「名」の背後にある実体』

 私たちの祖国「日本」。

 その国号の歴史は、

 大方の読者にとっては意外なものだったと思う。

 私(加治木義博)自身、

 半世紀の研究中、

 意外な展開に幾度、疑問をもったか数えきれない。

 その度に別の角度から研究をやり直し、またやり直して、
 
出た答を整理に整理を重ねて、

 やっと皆さんに御覧戴く日を迎えたのである。

 これで本当の「日本」の建国者、

 勝利者「天智天皇」とはだれであったかが分った。

 歴史では単なる名前は何一つ物語らない。

 それは幾ら有名でも

 「卑弥呼」だけでは謎のままだったことでよく分る。

 そして今では卑弥呼は数人もいたことが分って、

 よけい単に卑弥呼といっても、どの卑弥呼か分らなくなった。

 「天智天皇は天智天皇じゃないか!」といった単純なものではない。
 その人物の別名、地位、経歴はもちろん、

 彼がどういった民族の、どういった時代の、どういった歴史の、

 後継者であり、またどういう子孫につながるのか?。

 そこまで分らなくては、

 とても「天智天皇」とは何者かということを、

 いい表わしたことにはならない。

 それと全く同じ意味で、

 『魏書倭人章』の解説も「邪馬壹国とはなにか?」を

 説明するには、ここまでの解明が必要だったのである。

 それは「邪馬台国は○○にあつたのだ」とか

 「邪馬[壹]国が正しい」といった

 低俗な「謎々遊び」ではいけない。

 少なくとも「歴史」を論じる以上は、

 対象の実体が歴史的に明らかになるまで追及して

 公表すべきだと思うが読者はどうお考えであろうか。

 その意味では、

 こうした書物の型式は研究のごく一部しかお目にかけられない。

 余り詳しすぎて膨大でも読んでもらえない。

 かといって証明と説明が少なくても信用してもらえない。

 最小限これまでお読み戴いただけのことは必要だったと思う。

 これでともかく「日本」とは何であったかは分った。

 それは一たんは老卑弥呼らの邪馬臺政権を倒して

 新しい邪馬壹国を樹立した垂仁天皇政権であった。

 しかしそのまま

 7世紀の大和政権「日本国」になったのではなかった。

 邪馬壹国は朝鮮半島へ大回りしたのち大和へ入った。

 では天智天皇に倒された倭国は一体、

 何ものだったのであろうか。

 次編は巨大古墳を作った

 倭国の人々の正体と歴史を詳しくお話しよう。

 地図:神武×長髄彦の戦った土地
 《神武×長髄彦の戦った土地
 「神武×長髄彦の戦った土地

 地図:長柄豊碕地形復元図
 《長柄豊碕地形復元図
 「長柄豊碕地形復元図

 地図:「和人」の遠い故郷バビロン  
 《「和人」の遠い故郷バビロン
 「「和人」の遠い故郷バビロン

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
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2012年10月28日日曜日

漂到琉球人国記・挿絵



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 『魏書倭人章』詳解4 邪馬壹国大移動 71頁



 「図」漂到琉球人国記・挿絵
 《漂到琉球人国記
 「漂到琉球人国記

 実に多くのことを物語る貴重な記録

 13世紀の商人が残した

 素晴らしい写生は本文の書かない部分を補って、

 日本人のルーツのうち最も重要な一つをはっきり立証した。

 まだ弥生時代の姿をもち続けた当時の沖縄風俗。

 68 「馬韓」の国名は日本語
 《「馬韓」の国名は日本語
 「「馬韓」の国名は日本語」    

 69 「辰韓弁辰」国名発音リスト
 《「辰韓弁辰」国名発音リスト
 「「辰韓弁辰」国名発音リスト」    

 70 「辰・弁辰」国名も日本語
 《「辰・弁辰」国名も日本語
 「「辰・弁辰」国名も日本語」    

 71 朝鮮経由で大和へ移動したグループ
 《朝鮮経由で大和へ移動したグループ
 「朝鮮経由で大和へ移動したグループ」    

 72 民族は自分の物尺(倭人里)を使う
 《民族は自分の物尺(倭人里)を使う
 「民族は自分の物尺(倭人里)を使う」    

 73 天の日矛と臣漬沽国
 《天の日矛と臣漬沽国
 「天の日矛と臣漬沽国」   

 74 崇神天皇の正体
 《崇神天皇の正体
 「崇神天皇の正体」  

 75 架空の「任那」国名説話
 《架空の「任那」国名説話
 「架空の「任那」国名説話

 76 邪馬臺動乱のあらすじ
 《邪馬臺動乱のあらすじ
 「邪馬臺動乱のあらすじ」  

 77 垂仁と高句麗王「位宮」
 《垂仁と高句麗王「位宮」
 「垂仁と高句麗王「位宮」

 78 伊支馬は山上王位宮か?
 《伊支馬は山上王位宮か?
 「伊支馬は山上王位宮か?

 79 邪馬神王位宮伝
 《邪馬神王位宮伝
 「邪馬神王位宮伝

 80 貴重な史実の記録・「名前」
 《貴重な史実の記録・「名前」
 「貴重な史実の記録・「名前」

 81 『日本書紀』の「帰化人」の正体は天皇
 《『日本書紀』の「帰化人」の正体は天皇
 「『日本書紀』の「帰化人」の正体は天皇

 82 天の日矛は播磨へ行ったか?
 《天の日矛は播磨へ行ったか?
 「天の日矛は播磨へ行ったか?

 83 天の日矛伝承は鹿児島産
 《天の日矛伝承は鹿児島産
 「天の日矛伝承は鹿児島産

 84 崇神系の運命の記録
 《崇神系の運命の記録
 「崇神系の運命の記録

 85 但馬の前身は種子ガ島
 《但馬の前身は種子ガ島
 「但馬の前身は種子ガ島

 86 再び種子ガ島と橘
 《再び種子ガ島と橘
 「再び種子ガ島と橘

 87 殷(商)につながる辰韓の歴史
 《殷(商)につながる辰韓の歴史
 「殷(商)につながる辰韓の歴史

 88 始林~鶏林~知林
 《始林~鶏林~知林
 「始林~鶏林~知林

 89 「知覧」は古代新羅の遺跡
 《「知覧」は古代新羅の遺跡
 「「知覧」は古代新羅の遺跡

 90 文献記録&地名も国宝・重要文化財
 《文献記録&地名も国宝・重要文化財
 「文献記録&地名も国宝・重要文化財

 91 赫居世は鹿児島王
 《赫居世は鹿児島王
 「赫居世は鹿児島王

 92 壹與と赫居世の一致点
 《壹與と赫居世の一致点
 「壹與と赫居世の一致点

 93 赫居世が天照大神
 《赫居世が天照大神
 「赫居世が天照大神

 94 京城のソウルは日本語
 《京城のソウルは日本語
 「京城のソウルは日本語

 95 徐耶伐=与那原の移動
 《徐耶伐=与那原の移動
 「徐耶伐=与那原の移動

 96 位宮と壹與の即位地
 《位宮と壹與の即位地
 「位宮と壹與の即位地

 97 「和人(カリエン)史」総括年表
 《「和人(カリエン)史」総括年表
 「「和人(カリエン)史」総括年表

 98 「和人(カリエン)史」総括年表補足
 《「和人(カリエン)史」総括年表補足
 「「和人(カリエン)史」総括年表補足

 99 なぜ日本は新羅だったか?
 《なぜ日本は新羅だったか?
 「なぜ日本は新羅だったか?

 100 国号「日本」名前の背後にある実態
 《国号「日本」名前の背後にある実態
 「国号「日本」名前の背後にある実態


 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

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2012年10月27日土曜日

長柄豊碕地形復元図



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 『魏書倭人章』詳解4 邪馬壹国大移動 57頁



 「図」長柄豊碕地形復元図
 《長柄豊碕地形復元図
 「長柄豊碕地形復元図

 上:明治30年の大坂市北部地図(まだ新淀川はない)

 下:現代の中津と長柄豊碕遺跡地形図(中央上部に豊崎神社)。

   下端の北浜は対岸の北の浜を意味している。

   中間の暗い北区の部分は当時、海だったことになる。

   中津と長柄豊碕遺跡地形図(現在の地名による):

   (復元=加治木原図)

 『トビの国はどこか?』

 長髄彦にはもう一つ重要な名乗りがある。

 『古事記』は

 「登美那賀須泥毘古(トビのナガスネヒコ)」と書き

 「登美比古(トビヒコ)」と略称している。

 その「トビ」である。

 この「登美」は、

 『古事記』筆者が真相を隠す目的で、

 わざと変えた文字だから投に立たないが、

 私たちはもう本当の文字を知っている。

 それは「橘豊日」「天萬豊日」という名が、

 ともに証言している「豊日」である。

 これは現在の大阪豊中市を中心とす昔の豊島郡が、

 「トヨシ国(マ)」であるから

 南九州・大阪共通方言で<シ>=<ヒ>すなわち「トヨヒ国」である。

 そしてさらに有力な証拠がある。

 10世紀の百科辞典

 『倭名類聚鈔(ワミョウ・ルイジュウ・ショウ)』の

 「摂津国」豊島郡を見ると、
 
 豊島に「天之萬」とカナがつけてある。

 これは「テシマ」と読めということであるが、

 よく見て欲しいのは「天之萬」と

 孝徳天皇の名の「天萬・豊日」であ。

 「之」は助詞の「…の…」と同じ字であるから普通、省略される。

 すると「天之萬」と「天萬」は同じ名だということである。

 これが分れば「天萬・豊日」はどちらも同じ「豊島」で、

 この名も「蘇我・石河」などの例のように、

 同じ名の別の当て字を並べたものだと分る。

 この豊島郡は今は新淀川によって、

 大阪市大淀区の「長柄(ナガラ)」や

 「豊崎」と大きくへだてられているように見えるが、

 それは淀川の蛇行と洪水で7世紀の地形とは変化したことと、

 明治42年に完成した新淀川を新たに掘った

 大規模な工事によるものである。

 しかし大正14年大阪市に編入されるまでの豊崎町は

 全国最大の町であり、豊かな町として知られていた。

 千数百年の伝統はまだ生きていたのである。

 地図を見て戴くと直ぐ分るが長柄と豊崎との中間に

 「本庄」という広い地域がある。

 ここが本城のあった跡で、

 そこから中崎・黒崎・山崎が突出している。

 その西が入江になって、

 その奥の上陸点が「豊島」と豊島郡全体を代表する名を残し、

 その対岸には船をつないだ舟場がある。

 そしてその西に豊宮があるのは豊崎神社への入口を示している。

 その東の南浜はこの地域全体が海に南面していたことを証明し、

 遠く南の沖にある「北浜」と相対している。

 今の地域割りは都市化で変型してはいるが、

 なおこれだけのことが分る地名を保存している。

 『中つ大兄は「中津」王』

 地名と地理関係を復元すると

 古代の「豊日の国」だった豊島郡の南端に突き出た

 豊崎半島の様子が、ほぼ昔どおりよみがえってくる。

 それは明治30年の地図で分るように

 都市化が遅れた地域である。

 その豊崎の西隣りに「中津」がある。

 ここは新淀川になったように大阪湾に面して開けた大きな港で、

 「中津」は単なる地名ではなく、

 実際に重要な「津=港」の役割を果していた。

 そこは「摂津の国」に入っている。

 和銅六年(722)の官命によって、

 一字の地名を二字にするために「摂」の字を加えた。

 「摂津」はもともと「津の国」だったのである。

 「摂津」は確かに港の多い国である。

 堺、大阪、岸和田、尼崎、西宮、神戸といった良港が

 ずらりと並んで、文字どおり「津で保(も)つ」国であった。

 その中でもこの「中津」が最も中央にある。

 古く開けた有名な港だったと考えられる。

 それは「天萬豊日」天皇のもとで

 「中つ大兄の皇子」と呼ばれた人物は、

 この中津の支配者という名乗りをもっているからである。

 その時代が倭国と日本国の統一当時であり、

 遣唐使が盛んに往来した時代であったことを考えると、

 なぜ豊崎のような半島部に都が置かれたか、

 その理由がよく分る。

 そしてそれを裏付けるように

 中つ大兄は福岡の港湾都市「長津」へも、

 斉明天皇と共に出張し、

 暮らしたという記事を『日本書紀』に残している。

 それは当時の新羅王子としての「天命開別」皇子と

 倭国政府の関係から考えて、

 孝徳天皇時代に「天命開別」皇子が

 中津の支配者だったとは考えられないが、

 合併後の命名か、支配か、

 あるいは「中つ大兄」が別にもう一人いたかは別として、

 日本・倭国統一当時の列島事情は、

 かって考えられていたような「神武東征」よりは、

 はるかに近代的な経済背景と、

 海運の発達と、軍事、外交両面にわたる複雑な国際問題が、

 からんでいたことだけは確かである。

 先に中つ大兄の名乗りに合う『ナカ』の地名として、

 この中津と大分県の中津市、

 それに白日別だった福岡市の「長津」と「那珂」を

 候補地に挙げたが、

 そこが出発点で、大阪の「中津」が到着点とみると、

 「大化の改新」の真相もまた明らかに見えてくる。

 「中つ大兄」がそこで何をしたか?から見ていこう。

 34 上代日本人の高度な文化
 《上代日本人の高度な文化
 「上代日本人の高度な文化

 35 『記・紀』系譜の訂正復元法
 《『記・紀』系譜の訂正復元法
 「『記・紀』系譜の訂正復元法

 36 『記・紀』の宗教内戦は一度だけ
 《『記・紀』の宗教内戦は一度だけ
 「『記・紀』の宗教内戦は一度だけ

 37 推古天皇と長髄彦
 《推古天皇と長髄彦
 「推古天皇と長髄彦

 38 長髄彦の謎解き
 《長髄彦の謎解き
 「長髄彦の謎解き

 39 『記・紀』のトビの国はどこか?
 《『記・紀』のトビの国はどこか?
 「『記・紀』のトビの国はどこか?

 40 中つ大兄は「中津」王
 《中つ大兄は「中津」王
 「中つ大兄は「中津」王

 41 熊野高倉下の正体
 《熊野高倉下の正体
 「熊野高倉下の正体

 42 実在した長髄彦一族
 《実在した長髄彦一族
 「実在した長髄彦一族

 43 『古事記』序文「人類の経緯・国際化の鴻基」
 《『古事記』序文「人類の経緯・国際化の鴻基」
 「『古事記』序文「人類の経緯・国際化の鴻基」

 44 天智即位も辛酉年
 《天智即位も辛酉年
 「天智即位も辛酉年

 45 天智天皇の「称制」は日本・倭連合政権時代
 《天智天皇の「称制」は日本・倭連合政権時代
 「天智天皇の「称制」は日本・倭連合政権時代

 46 漢風諡号の真相を知っていた人々
 《漢風諡号の真相を知っていた人々
 「漢風諡号の真相を知っていた人々

 47 統一日本が生れた時
 《統一日本が生れた時
 「統一日本が生れた時

 48 大化政変(乙巳の変)の真相
 《大化政変(乙巳の変)の真相
 「大化政変(乙巳の変)の真相

 49 『日本書紀』の仕掛け
 《『日本書紀』の仕掛け
 「『日本書紀』の仕掛け

 50 過去の神武天皇学説
 《過去の神武天皇学説
 「過去の神武天皇学説

 51 邪馬臺国大移動   
 《邪馬臺国大移動
 「邪馬臺国大移動

 52 邪馬臺国の分布    
 《邪馬臺国の分布
 「邪馬臺国の分布

 53 沖縄邪馬臺国の実在    
 《沖縄邪馬臺国の実在
 「沖縄邪馬臺国の実在

 54 魏書倭人章の倭国30国の原型地名    
 《魏書倭人章の倭国30国の原型地名
 「魏書倭人章の倭国30国の原型地名

 55 魏書倭人章の倭国30国の「原郷」沖縄から近畿まで    
 《魏書倭人章の倭国30国の「原郷」沖縄から近畿まで
 「魏書倭人章の倭国30国の「原郷」沖縄から近畿まで

 56 「会稽・東冶」の東    
 《「会稽・東冶」の東
 「「会稽・東冶」の東

 57 古代経済の支配者「宝貝」    
 《古代経済の支配者「宝貝」
 「古代経済の支配者「宝貝」

 58 「宝貝輸出王国」沖縄    
 《「宝貝輸出王国」沖縄
 「「宝貝輸出王国」沖縄

 59 鎌倉時代の沖縄倭人    
 《鎌倉時代の沖縄倭人
 「鎌倉時代の沖縄倭人

 60 倭人の謎を解いたカレン・カリエン史    
 《倭人の謎を解いたカレン・カリエン史
 「倭人の謎を解いたカレン・カリエン史

 61 カリエン・カレン=高麗人=宝貝倭人    
 《カリエン・カレン=高麗人=宝貝倭人
 「カリエン・カレン=高麗人=宝貝倭人

 62 カリエン・カレンが和人・倭人   
 《カリエン・カレンが和人・倭人
 「カリエン・カレンが和人・倭人

 63 西九州を北上した高句麗    
 《西九州を北上した高句麗
 「西九州を北上した高句麗

 64 三韓民族は全部「倭人」   
 《三韓民族は全部「倭人」
 「三韓民族は全部「倭人」

 65 狗邪韓国は倭国の北端    
 《狗邪韓国は倭国の北端
 「狗邪韓国は倭国の北端

 66 「馬韓」国名発音リスト    
 《「馬韓」国名発音リスト
 「「馬韓」国名発音リスト

 67 発音による「名詞の国籍」の決め方     
 《発音による「名詞の国籍」の決め方
 「発音による「名詞の国籍」の決め方

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

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