2012年10月10日水曜日
倭国政権の残党は東国へ逃れた(4)
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
KKロングセラーズ ムックの本
ジンム・プロブレム
真説:日本誕生 謎の天孫降臨と大和朝廷の秘密:169頁
《倭国政権の残党は東国へ逃れた》
「倭国政権の残党は東国へ逃れた」
「図」逃げた倭人=アイヌ婦人
《逃げた倭人=アイヌ婦人》
「逃げた倭人=アイヌ婦人」
自称はアイノ・ウンクル。
これは「愛の人」と同じ発音と意味になる。
この「愛」はインド語の「ペマカ=卑弥呼」、
マレー語の「カシー=観世音=香椎」で、
鹿児島語の「エ=埃」=埃ノ山陵=可愛山陵や
吉野ケ里遺跡や
継体天皇の藍野陵や
蘇我稲目などにも結びつき、
それが蝦夷・毛人と呼ばれてきたことと重なり、
ギリシャ系インド人と台湾の山地居住民との共通性
(婦人が口の回りに入れ墨をし、
この写真のような「アイヌ名=ムックルという口琴」を
三者が皆もっていることなど)と、
カラフト・アイヌの自称がエムチュウといい、
その「チュウ」は沖縄語の「人=チュウ」と一致し、
その容貌も沖縄的で、
アイヌ伝承と沖縄伝承と共通点が多いことなど多くの理由によって、
どうしても倭国政権と無関係だとは考えられない。
さらにこの写真のような着物の模様も、
次章扉の「山字文貝装身具」様式と共通しており、
熊祭がシンドゥと仏教を折衷したものであり、
熊毛の名にも関係があることなど、
挙げればキリがないほどのものが見つかっている。
「図」8世紀日本の範囲
《8世紀日本の範囲》
「8世紀日本の範囲」
鹿児島以南と東北地方は外国だった。
これが天照大神のいう豊葦原瑞穂の国。
西海道:薩摩・大隈・日向・肥後・肥前・豊後・豊前・筑後・筑前・壱岐・対馬
南海道:土佐・伊予・阿波・讃岐・淡路
山陽道:長門・周防・安芸・備後・備中・備前・播磨
山陰道:石見・出雲・伯耆・隠岐・因幡・但馬・丹後・丹波
畿内 :山背・摂津・河内・和泉・大和
東海道:紀伊・志摩・伊勢・伊賀・尾張・三河・遠江・駿河・伊豆・甲斐・相模・安房・
上総・下総・常陸
東山道:近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野
北陸道:若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡
78 名乗りが示す移動と混乱の状況
《名乗りが示す移動と混乱の状況》
「名乗りが示す移動と混乱の状況」
79 地名が立証する倭国の発生と移動コース
《地名が立証する倭国の発生と移動コース》
「地名が立証する倭国の発生と移動コース」
80 倭国政権の栄光と「蝦夷」の悲惨な末路
《倭国政権の栄光と「蝦夷」の悲惨な末路》
「倭国政権の栄光と「蝦夷」の悲惨な末路」
《古代オリエント》
「古代オリエント」
《古代メソポタミア》
「古代メソポタミア」
《シュメール・シュメル》
「シュメール・シュメル」
《ウバイド》
「ウバイド」
《倭人(ウワイト)》
「倭人(ウワイト)」
《魏書倭人章》
「魏書倭人章」
《日本書紀・古事記》
「日本書紀・古事記」
《三国史記・三国遺事》
「三国史記・三国遺事」
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