2012年10月7日日曜日
倭国政権の残党は東国へ逃れた(1)
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
KKロングセラーズ ムックの本
ジンム・プロブレム
真説:日本誕生 謎の天孫降臨と大和朝廷の秘密:151頁
《倭国政権の残党は東国へ逃れた》
「倭国政権の残党は東国へ逃れた」
「図」神武と戦った兄ウカシの子孫
《神武と戦った兄ウカシの子孫》
「神武と戦った兄ウカシの子孫」
昭和8年1月に出た小谷部全一郎の
『日本及び日本国民之起源』という本は
私が読んだ歴史書の第1号であるが、
日本人はユダヤ人の子孫だというもので、
天皇皇后の天覧、台覧。
右翼の総裁・頭山満の題字。
公爵・近衛篤磨学習院院長、杉浦重剛、坪井正五郎などとの親交と献辞。
打越与三郎の序文と、
当時の右翼思想というものがどんなものだったかを
裏書きしている点でも、非常に貴重な本である。
その写真ページのトップが左の写真で、
人物は左端から
「小谷部氏、旧蝦夷酋長エウカシ、副酋長オトウカシ、国史のいわゆる兄宇加斯・弟宇加斯」
という解説がついている。
氏のこの本が与えた影響は強く、
今も全国の地名をアイヌ語で解説する人があるが、
それも氏の主張の受売りである。
それの当否はここでは問題にしないが、
北海道に移動した倭人の一部が
アイヌの人々になったという点では氏の見解は正しかった。
ただその時代が紀元前660年のころと信じていたものが、
事実は紀元後661年だったという誤差が命とりになったが、
倭国首脳がどんな人々で構成されていたかを、
この写真は何よりもはっきりと立証してくれる。
《古代オリエント》
「古代オリエント」
《古代メソポタミア》
「古代メソポタミア」
《シュメール・シュメル》
「シュメール・シュメル」
《ウバイド》
「ウバイド」
《倭人(ウワイト)》
「倭人(ウワイト)」
《魏書倭人章》
「魏書倭人章」
《日本書紀・古事記》
「日本書紀・古事記」
《三国史記・三国遺事》
「三国史記・三国遺事」
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