2012年10月27日土曜日

長柄豊碕地形復元図



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 『魏書倭人章』詳解4 邪馬壹国大移動 57頁



 「図」長柄豊碕地形復元図
 《長柄豊碕地形復元図
 「長柄豊碕地形復元図

 上:明治30年の大坂市北部地図(まだ新淀川はない)

 下:現代の中津と長柄豊碕遺跡地形図(中央上部に豊崎神社)。

   下端の北浜は対岸の北の浜を意味している。

   中間の暗い北区の部分は当時、海だったことになる。

   中津と長柄豊碕遺跡地形図(現在の地名による):

   (復元=加治木原図)

 『トビの国はどこか?』

 長髄彦にはもう一つ重要な名乗りがある。

 『古事記』は

 「登美那賀須泥毘古(トビのナガスネヒコ)」と書き

 「登美比古(トビヒコ)」と略称している。

 その「トビ」である。

 この「登美」は、

 『古事記』筆者が真相を隠す目的で、

 わざと変えた文字だから投に立たないが、

 私たちはもう本当の文字を知っている。

 それは「橘豊日」「天萬豊日」という名が、

 ともに証言している「豊日」である。

 これは現在の大阪豊中市を中心とす昔の豊島郡が、

 「トヨシ国(マ)」であるから

 南九州・大阪共通方言で<シ>=<ヒ>すなわち「トヨヒ国」である。

 そしてさらに有力な証拠がある。

 10世紀の百科辞典

 『倭名類聚鈔(ワミョウ・ルイジュウ・ショウ)』の

 「摂津国」豊島郡を見ると、
 
 豊島に「天之萬」とカナがつけてある。

 これは「テシマ」と読めということであるが、

 よく見て欲しいのは「天之萬」と

 孝徳天皇の名の「天萬・豊日」であ。

 「之」は助詞の「…の…」と同じ字であるから普通、省略される。

 すると「天之萬」と「天萬」は同じ名だということである。

 これが分れば「天萬・豊日」はどちらも同じ「豊島」で、

 この名も「蘇我・石河」などの例のように、

 同じ名の別の当て字を並べたものだと分る。

 この豊島郡は今は新淀川によって、

 大阪市大淀区の「長柄(ナガラ)」や

 「豊崎」と大きくへだてられているように見えるが、

 それは淀川の蛇行と洪水で7世紀の地形とは変化したことと、

 明治42年に完成した新淀川を新たに掘った

 大規模な工事によるものである。

 しかし大正14年大阪市に編入されるまでの豊崎町は

 全国最大の町であり、豊かな町として知られていた。

 千数百年の伝統はまだ生きていたのである。

 地図を見て戴くと直ぐ分るが長柄と豊崎との中間に

 「本庄」という広い地域がある。

 ここが本城のあった跡で、

 そこから中崎・黒崎・山崎が突出している。

 その西が入江になって、

 その奥の上陸点が「豊島」と豊島郡全体を代表する名を残し、

 その対岸には船をつないだ舟場がある。

 そしてその西に豊宮があるのは豊崎神社への入口を示している。

 その東の南浜はこの地域全体が海に南面していたことを証明し、

 遠く南の沖にある「北浜」と相対している。

 今の地域割りは都市化で変型してはいるが、

 なおこれだけのことが分る地名を保存している。

 『中つ大兄は「中津」王』

 地名と地理関係を復元すると

 古代の「豊日の国」だった豊島郡の南端に突き出た

 豊崎半島の様子が、ほぼ昔どおりよみがえってくる。

 それは明治30年の地図で分るように

 都市化が遅れた地域である。

 その豊崎の西隣りに「中津」がある。

 ここは新淀川になったように大阪湾に面して開けた大きな港で、

 「中津」は単なる地名ではなく、

 実際に重要な「津=港」の役割を果していた。

 そこは「摂津の国」に入っている。

 和銅六年(722)の官命によって、

 一字の地名を二字にするために「摂」の字を加えた。

 「摂津」はもともと「津の国」だったのである。

 「摂津」は確かに港の多い国である。

 堺、大阪、岸和田、尼崎、西宮、神戸といった良港が

 ずらりと並んで、文字どおり「津で保(も)つ」国であった。

 その中でもこの「中津」が最も中央にある。

 古く開けた有名な港だったと考えられる。

 それは「天萬豊日」天皇のもとで

 「中つ大兄の皇子」と呼ばれた人物は、

 この中津の支配者という名乗りをもっているからである。

 その時代が倭国と日本国の統一当時であり、

 遣唐使が盛んに往来した時代であったことを考えると、

 なぜ豊崎のような半島部に都が置かれたか、

 その理由がよく分る。

 そしてそれを裏付けるように

 中つ大兄は福岡の港湾都市「長津」へも、

 斉明天皇と共に出張し、

 暮らしたという記事を『日本書紀』に残している。

 それは当時の新羅王子としての「天命開別」皇子と

 倭国政府の関係から考えて、

 孝徳天皇時代に「天命開別」皇子が

 中津の支配者だったとは考えられないが、

 合併後の命名か、支配か、

 あるいは「中つ大兄」が別にもう一人いたかは別として、

 日本・倭国統一当時の列島事情は、

 かって考えられていたような「神武東征」よりは、

 はるかに近代的な経済背景と、

 海運の発達と、軍事、外交両面にわたる複雑な国際問題が、

 からんでいたことだけは確かである。

 先に中つ大兄の名乗りに合う『ナカ』の地名として、

 この中津と大分県の中津市、

 それに白日別だった福岡市の「長津」と「那珂」を

 候補地に挙げたが、

 そこが出発点で、大阪の「中津」が到着点とみると、

 「大化の改新」の真相もまた明らかに見えてくる。

 「中つ大兄」がそこで何をしたか?から見ていこう。

 34 上代日本人の高度な文化
 《上代日本人の高度な文化
 「上代日本人の高度な文化

 35 『記・紀』系譜の訂正復元法
 《『記・紀』系譜の訂正復元法
 「『記・紀』系譜の訂正復元法

 36 『記・紀』の宗教内戦は一度だけ
 《『記・紀』の宗教内戦は一度だけ
 「『記・紀』の宗教内戦は一度だけ

 37 推古天皇と長髄彦
 《推古天皇と長髄彦
 「推古天皇と長髄彦

 38 長髄彦の謎解き
 《長髄彦の謎解き
 「長髄彦の謎解き

 39 『記・紀』のトビの国はどこか?
 《『記・紀』のトビの国はどこか?
 「『記・紀』のトビの国はどこか?

 40 中つ大兄は「中津」王
 《中つ大兄は「中津」王
 「中つ大兄は「中津」王

 41 熊野高倉下の正体
 《熊野高倉下の正体
 「熊野高倉下の正体

 42 実在した長髄彦一族
 《実在した長髄彦一族
 「実在した長髄彦一族

 43 『古事記』序文「人類の経緯・国際化の鴻基」
 《『古事記』序文「人類の経緯・国際化の鴻基」
 「『古事記』序文「人類の経緯・国際化の鴻基」

 44 天智即位も辛酉年
 《天智即位も辛酉年
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 45 天智天皇の「称制」は日本・倭連合政権時代
 《天智天皇の「称制」は日本・倭連合政権時代
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 46 漢風諡号の真相を知っていた人々
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 49 『日本書紀』の仕掛け
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 50 過去の神武天皇学説
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 52 邪馬臺国の分布    
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 53 沖縄邪馬臺国の実在    
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 54 魏書倭人章の倭国30国の原型地名    
 《魏書倭人章の倭国30国の原型地名
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 55 魏書倭人章の倭国30国の「原郷」沖縄から近畿まで    
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 《カリエン・カレン=高麗人=宝貝倭人
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 《カリエン・カレンが和人・倭人
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 63 西九州を北上した高句麗    
 《西九州を北上した高句麗
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 66 「馬韓」国名発音リスト    
 《「馬韓」国名発音リスト
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 67 発音による「名詞の国籍」の決め方     
 《発音による「名詞の国籍」の決め方
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 《古代オリエント
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 《古代メソポタミア
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 《シュメール・シュメル
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 《ウバイド
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 《倭人(ウワイト)
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 《魏書倭人章
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 《日本書紀・古事記
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 《三国史記・三国遺事
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 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
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