2012年10月21日日曜日
邪馬壹国行程明細図
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
『魏書倭人章』詳解2 邪馬臺国の風雲 81頁
「図」邪馬壹国行程明細図
《邪馬壹国行程明細図》
「邪馬壹国行程明細図」
「水行10日、陸行1月」
郡使の記録通り進むと全く何の不合理もなく、
当時の伊都国が今の牛津であることが証明されたそのコースは
どこからみても合理的で
3世紀の倭人が高い知性の持主だったことを物語っている。
ところが過去の「邪馬台論争」には
こうした基本的な問題の研究が欠けていた。
『魏書倭人章』の記録の本質さえ理解できないで、
抹消的で無関係な記事や何の証拠にもならない出土品を持出したり、
「その方位は間違いだ」などと、
せっかくの貴重な手がかりを破壊してしまう者まであった。
それではとても真相が分る道理がない。
『魏書倭人章』が「謎」だったのではない。
研究者の頭が次々に謎を作り出していたのである。
伊都国の正確な位置は分った。
次は邪馬壹国である。
問題なのはその距離が倭人里ではなく、
「水行10日、陸行1月」という表現になっていることである。
これについては
①「船で10日行って上陸し、
そこから1月歩くと邪馬台国につくと読むのだ」という説と
②いや、船で行けば10日かかり、
陸路を行けば1月かかると読むのだしという
二つの読み方論争があり、
どちらとも決着はついていない。
しかし私たちはもう邪馬壹国の正確な位置を先に知っている。
そこは鹿児島湾北部の隼人である。
そこへは船で行こうと思えば行けないことはない。
有明海は鹿児島県西部までで、
それから先は外海へ出なければならないが、
薩摩半島の先端を回って鹿児島県に入れば、
隼人まで船で行ける。
だがこれは危険な外海の強い海流に逆らう航行で、
当時の船ではとても10日で行ける距離ではない。
とすれば①の方が正しくて、
倭人たちは内海を船で10日行って上陸し、
そのあと2月歩いたことになる。
では一体その上陸点はどこであろうか。
旅行はできるだけ最短距離をとるのが理想である。
そこで試しに牛津と隼人とを直線で結んで見たところが、
その上陸点と陸行のコースが、その直線に沿って現れたのである。
「邪馬壹国行程明細地図」
対馬国→一大(壱岐)→末盧(唐津)→伊都(牛津)→山門→八代→邪馬壹国(姫木)
澣海 玄界灘 松浦川 有明海 球磨川
壱岐 ~松浦川 南船 千余里 55.0km
松浦川~牛津 東南陸行 五百里 27.5km
牛津 ~八代 南水行 十日 82.5km
八代 ~姫木 陸行 一月 150.0km
(km数は大体の目安)
第三章
23 邪馬臺国への「続進説」と「放射状説」
《邪馬臺国への「続進説」と「放射状説」》
「邪馬臺国への「続進説」と「放射状説」」
24 邪馬臺国への「放射状説」の歴史
《邪馬臺国への「放射状説」の歴史》
「邪馬臺国への「放射状説」の歴史」
25 『廣志』逸文による証明
《『廣志』逸文による証明》
「『廣志』逸文による証明」
26 邪馬臺国へのすべて合理的なコース
《邪馬臺国へのすべて合理的なコース》
「邪馬臺国へのすべて合理的なコース」
27 邪馬臺国への「水行十日、陸行一月」
《邪馬臺国への「水行十日、陸行一月」》
「邪馬臺国への「水行十日、陸行一月」」
28 邪馬臺国への上陸点は球磨川河口
《邪馬臺国への上陸点は球磨川河口》
「邪馬臺国への上陸点は球磨川河口」
29 女王国と邪馬壹国
《女王国と邪馬壹国》
「女王国と邪馬壹国」
30 厳戒体制下にあった倭国
《厳戒体制下にあった倭国》
「厳戒体制下にあった倭国」
31 邪馬臺国への「球磨川コース」の必然性
《邪馬臺国への「球磨川コース」の必然性》
「邪馬臺国への「球磨川コース」の必然性」
32 邪馬臺国への「水行、陸行」の現地体験
《邪馬臺国への「水行、陸行」の現地体験》
「邪馬臺国への「水行、陸行」の現地体験」
33 「日本のシナイ山」姫木山
《「日本のシナイ山」姫木山》
「「日本のシナイ山」姫木山」
34 邪馬臺=南九州要塞
《邪馬臺=南九州要塞》
「邪馬臺=南九州要塞」
《古代オリエント》
「古代オリエント」
《古代メソポタミア》
「古代メソポタミア」
《シュメール・シュメル》
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《ウバイド》
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《倭人(ウワイト)》
「倭人(ウワイト)」
《魏書倭人章》
「魏書倭人章」
《日本書紀・古事記》
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《三国史記・三国遺事》
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