2013年1月9日水曜日

兜布のルーツと一本角文化の様相



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学院講義録 36 20頁


 
 「図」兜布のルーツと一本角文化の様相
 《兜布のルーツと一本角文化の様相
 「兜布のルーツと一本角文化の様相

 その実物や関連資料のレプリカなどは、

 私も多数コレクションしていて、

 私(加治木義博)著『日本人のルーツ

 (保育杜カラーブックス・1980年刊)に、

 代表的な写真が掲載してあるので、是非ご高覧を賜わりたいが、

 ここにはその一部を掲載しておく。

 その一本角は小さく、まさに兜布を頂く位置に生えている。

 ことに鹿児島県大隅町の、大人弥五郎どん祭りの、

 この面のものは、まさに兜布そっくりである。

 図:大人弥五郎の巨面

 図:ジャワ・バンカラン

 図:一本角の鬼

 『猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ』

 これで大人弥五郎は、間違いなく猿田彦だとわかる。

 しかし何故?名が違うのだろう?。

 大隅語の発音は「ヤクルドン」である。

 私にはそれは屋久郎ドンと聞こえる。

 こんな顔をした屋久島王といえば、

 そこに杉を植えたスサノオもそれに該当する。

 大隅では弥五郎は武内宿祢だともいう。

 宿弥は高族=カリエンで、宝貝を貨幣として中国に売って、

 その富で商帝国=殷を樹立した一族の、長の名乗りである。

 これでフェニキヤ人が屋久島へ来た時期も判った。

 それは縄文杉の年輪と共に貝貨幣と殷の発掘物と

 そこに書かれた文献史料という、

 莫大な物証をもっていたからである。

 屋久郎ドンは海人の王だから、船の王であり、

 海原を支配した神・マカーラでもある。

 その容貌は、まさしく中近東の人である。

 とすれば、

 兜布はフェニキヤ人の船乗りのもので冠の一種だったのである。

 それが冠だった証拠もまた大量にある。

 それは江戸時代まで実用品だった武士の礼装用の冠で、

 浅野内匠守が刃傷の場で額につけているあれである。

 これは新羅の王も全く同じものを着けていたことが、

 出土品の陪葬騎士像ではっきり判る。

 それは兜布とは形が違い、はるかに複雑な形になっているが、

 額の前方の同じ位置に着け、紐を顎で結んで止める。

 兜布を基に考案、

 心理的効果を狙って改良進化したことが判る。

 『解けた「宿祢とは何か?」という謎』

 このことで、

 もう一つ国史の中で大きな位置を占めている「宿祢」とは、

 どんな意味をもっ名詞かという謎が解けた。

 武内宿林はスサノオで、

 屋久島に初めて杉を植えた人物だ王であったことは間違いないから、

 古代皇族の名乗りにたくさん見られる

 「足」や「根」の称号で呼ばれても不思議ではない。

 「祢」は、その「根」とみて間違いない。

 では「宿」は何のことか?。

 鹿児島語では杉は「スッ」である。

 そして宿もまた「スッ」である。

 指宿は「イブスッ」と聞こえる。

 「宿祢」も、「杉根」も、どちらも「スッネ」である。

 ただ杉根は、「杉の木の根っこ」ではなくて、

 「杉の王」を意味していたのである。

 こう解ってみると

 スサノオ=猿田彦=大人弥五郎=武内宿祢の関係は、

 同一とみて微動だもしない。

 それはもちろん名乗りの上だけのことで、

 屋久島にレバノン杉を植えたスサノオと、

 壱与=神功皇后を助けた武内宿弥は時代が千年も違い、

 別人であることはいうまでもない。

 宿祢と同じものに「足尼」がある。

 こちらはソクニだから大隅人だとソクはスッになる。

 ニもネの大隅語。

 これはスッネという発音を聞いて、

 大隅人が当て字をつけたものという ことになる。

 さらに南九州ではスッネは

 「少ない」でもあるから少名彦名の命でもある。

 『大学院講義録37』

 1 正反対で誤解の余地のない天皇ユダヤ説
 《正反対で誤解の余地のない天皇ユダヤ説
 「正反対で誤解の余地のない天皇ユダヤ説

 2 私達とスメル周辺古代名詞群の関連
 《私達とスメル周辺古代名詞群の関連
 「私達とスメル周辺古代名詞群の関連

 3 その史実性を立証する言語学根拠
 《その史実性を立証する言語学根拠
 「その史実性を立証する言語学根拠

 4 日本語の定義を変えた古代都市
 《日本語の定義を変えた古代都市
 「日本語の定義を変えた古代都市

 5 首都名有が(も)っている証拠力の分析比較
 《首都名有が(も)っている証拠力の分析比較
 「首都名有が(も)っている証拠力の分析比較

 6 語系…沖縄ペルシャ、鹿児島ギリシャ
 《語系…沖縄ペルシャ、鹿児島ギリシャ
 「語系…沖縄ペルシャ、鹿児島ギリシャ

 7 全人類が驚く沖縄での貨幣の発祥
 《全人類が驚く沖縄での貨幣の発祥
 「全人類が驚く沖縄での貨幣の発祥

 8 九州に「イヌ人」がいた動かない証拠
 《九州に「イヌ人」がいた動かない証拠
 「九州に「イヌ人」がいた動かない証拠

 9 メソポタミヤ語と古代日本語はごく近縁
 《メソポタミヤ語と古代日本語はごく近縁
 「メソポタミヤ語と古代日本語はごく近縁

 10 「瑞穂」という新語を生んだ故郷(ふるさと)の名
 《「瑞穂」という新語を生んだ故郷(ふるさと)の名
 「「瑞穂」という新語を生んだ故郷(ふるさと)の名

 11 宮・田宮・岸・家はメソポタミヤ生まれ
 《宮・田宮・岸・家はメソポタミヤ生まれ
 「宮・田宮・岸・家はメソポタミヤ生まれ

 12 『天狗』が立証する古代文化の高さ
 《『天狗』が立証する古代文化の高さ
 「『天狗』が立証する古代文化の高さ

 13 スサが生んだ「祖先」という新語
 《スサが生んだ「祖先」という新語
 「スサが生んだ「祖先」という新語
 
 14 巨大規模だったスサの王の来航
 《巨大規模だったスサの王の来航
 「巨大規模だったスサの王の来航

 15 「スサ文明」系の国名と神々の名
 《「スサ文明」系の国名と神々の名
 「「スサ文明」系の国名と神々の名

 16 中国でニッポンと発音できない「日本」
 《中国でニッポンと発音できない「日本」
 「中国でニッポンと発音できない「日本」

 17 鹿児島で濃厚に花開いた「スサ文明」
 《鹿児島で濃厚に花開いた「スサ文明」
 「鹿児島で濃厚に花開いた「スサ文明」

 18 私たちは何をしようとしているのか?
 《私たちは何をしようとしているのか?
 「私たちは何をしようとしているのか?

 19 垂仁天皇が化けていたスサノオもある
 《垂仁天皇が化けていたスサノオもある
 「垂仁天皇が化けていたスサノオもある

 20 「美しい日本」は史実の常識化から
 《「美しい日本」は史実の常識化から
 「「美しい日本」は史実の常識化から

 21 我が国に現存するエリヅ、エレチ、エンキ
 《我が国に現存するエリヅ、エレチ、エンキ
 「我が国に現存するエリヅ、エレチ、エンキ

 22 太陽神・ウツは鵜戸神宮と宇都の宮に
 《太陽神・ウツは鵜戸神宮と宇都の宮に
 「太陽神・ウツは鵜戸神宮と宇都の宮に

 23 新しい日本語を生み出した月の女神
 《新しい日本語を生み出した月の女神
 「新しい日本語を生み出した月の女神

 24 女性生理用語のルーツだったハラン
 《女性生理用語のルーツだったハラン
 「女性生理用語のルーツだったハラン

 25 「宇迦の御魂」は何故?穀物神か?
 《「宇迦の御魂」は何故?穀物神か?
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 26 国会⇒大天、指導者⇒阿婆、司祭⇒参宮
 《国会⇒大天、指導者⇒阿婆、司祭⇒参宮
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 27 大夫は大天の誤読。役之行者もエンシ
 《大夫は大天の誤読。役之行者もエンシ
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 28 直結していた神殿文明と神道文明
 《直結していた神殿文明と神道文明
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 《古代オリエント
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 《古代メソポタミア
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 《シュメール・シュメル
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 《ウバイド
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 《倭人(ウワイト)
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 《魏書倭人章
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 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
 装飾古墳

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