2013年1月8日火曜日
兜布(ときん)・山伏・天狗・現代イスラエル人
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
大学院講義録 36 17頁
「図」兜布(ときん)・山伏・天狗・現代イスラエル人
《兜布(ときん)・山伏・天狗・現代イスラエル人》
「兜布(ときん)・山伏・天狗・現代イスラエル人」
兜布(ときん)
山伏
天狗
現代の世界中で、我が国とイスラエルとにだけあるものもある。
それは山伏が額に付けている小さな帽子型のもの
「兜布(ときん)」である。
最近は修行場以外では余り見掛けなくなったが、
たいていの方は、
テレビや歌舞伎の弁慶などで、よくご存じだと思う。
我が国の修験道(しゅげんどう)とは教義の内容は逢うが、
ユダヤ教徒も、
全く同じものを額につける。
そして重要なのは、天拘の面もまた、
必ずこれをつけていることである。
これでまた猿田毘古の重要度が一層増したことになる。
山高帽と、みづらは、埴輪にあるが、この兜布は見当たらない。
だからこちらは後世にやってきたものだとわかる。
それがいつ来たかも判っている。
『兜布とフェニキア人・猿田毘古に由来』
山伏スタイルが何時からのものかは判らないが、
修験道(しゅげんどう)に代表される
山岳信仰は沖縄の民俗宗教である
「御岳(うだち)詣り」がもとで、
それがトカラ列島などに広まって
種子島、屋久島、硫黄ガ島などの「岳(だけ)登り」になり、
鹿児島の金峰山(きんぽうざん=日置(ひおっ)郡金峰町(きんぽうちょう))で
春秋の彼岸に山焼きをしたという伝承がある。
これは京都の大文字などの送り火と同じで、
蔵王権現の社、妙見堂、文殊堂、蔵王権現別当寺、金峰山観音寺金蔵院などがあるので、
奈良県の吉野の蔵王信仰が伝わったものと思われているが、
この山は金山であり、
太古から航海の座標として遣唐使の往来にも重要な役割を果たしており、
山焼きも船への信号の名残だが、
奈良の金峰山(きんぶせん)は山名にも理由がなく、
南海一帯の御岳(うだち)詣りのほうが先である。
それは海人たちの座標に対する感謝と尊敬を表す信仰で、
それが出身の異なる海人たちの、
ポセイドンやアフロディテ、ビシュヌー、マカーラといった
海の神話伝承と合体し、
神道や密教や民間信仰と集合して、
修験道(しゅげんどう)という単純怪奇な感じの
独特の信仰形態を作り上げたのである。
金峰町の社寺は、もちろん後世に、
由緒を尊んで逆移入されたものだ。
だから山伏の兜布は猿田毘古=天狗に由来する。
砂漠のシルクロード経由のユダヤ人のものではあり得ず、
海人で植林に山へ登ったフェニキヤ人のもの以外あり得ない。
『史学の証拠になるもの、ならないもの』
現在、イスラエル人が頭に着けているからといって、
それで
「兜布はイスラエル人のものである証拠だ」という類いの論文に、
よくお目にかかるが、その程度ではいけないということが、
このフェニキヤ海人のものだった、という結果でよく解る。
それは少し考えれば当然のことで、いま私たちは洋服を着ているが、
だから先祖は西洋人だという証拠にはならない。
これと同じことは、辞書や百科事典でも起る。
この兜布とは何なんだろう?と辞書を引くと、
「修験者のかぶる小さい頭巾。
山中遍歴の際、瘴気に触れるのを防ぐ為に被るという。
法身不変を表示する黒白の布で造り、
十二因縁に象って十二の襞(ひだ)を設け、
紐で顎に結びとめる」と書いてある。
だが、それは頭巾にしては余りに小さく、またなぜ?
頭を覆わずに額に着けるのか?という肝心の理由が書いてない。
ところが、私たちは、それは海人たちのものだと知っから、
この疑問にも正しく答えることができる。
沖縄の語源・ウチナーは大天で天竺、
すなわちインドから来ているが、
そのインドの海に注目すると、海の聖獣はマカーラである。
これは神々の王・ビシュヌーの化身の一つだが、
その特徴は額にある一本角である。
中国ではその一本角が死者を護る象徴とされ。
人面や獣の頭につけられた副葬品が多数出土している。
写真:竹富島(八重山郡竹富町)御嶽の森
『大学院講義録36』
1 太秦が何故ウズマサか、知らない著者
《太秦が何故ウズマサか、知らない著者》
「太秦が何故ウズマサか、知らない著者」
2 ウズマサの意味まで説明してある『書紀』
《ウズマサの意味まで説明してある『書紀』》
「ウズマサの意味まで説明してある『書紀』」
3 ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」
《ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」》
「ウヅマサは秦(はた)とは無関係な形容詞「号」」
4 「秦氏景教徒説」と唐代中国での景教布教
《「秦氏景教徒説」と唐代中国での景教布教》
「「秦氏景教徒説」と唐代中国での景教布教」
5 秦と景教徒は時代措誤、伊佐良井は石洗い
《秦と景教徒は時代措誤、伊佐良井は石洗い》
「秦と景教徒は時代措誤、伊佐良井は石洗い」
6 伊佐良井は祖先の名のイスラエルではない
《伊佐良井は祖先の名のイスラエルではない》
「伊佐良井は祖先の名のイスラエルではない」
7 ウバイド人もユダヤ人も同じ地域出身
《ウバイド人もユダヤ人も同じ地域出身》
「ウバイド人もユダヤ人も同じ地域出身」
8 天皇が姓をもたない理由
《天皇が姓をもたない理由》
「天皇が姓をもたない理由」
9 エデンとアダムとイブと天狗の鼻
《エデンとアダムとイブと天狗の鼻》
「エデンとアダムとイブと天狗の鼻」
10 猿田毘古は天狗だからユダヤ人か?
《猿田毘古は天狗だからユダヤ人か?》
「猿田毘古は天狗だからユダヤ人か?」
11 天狗という名にも大きな意味
《天狗という名にも大きな意味》
「天狗という名にも大きな意味」
12 巨大な証拠物件=江田船山古墳
《巨大な証拠物件=江田船山古墳》
「巨大な証拠物件=江田船山古墳」
13 「江田」は高貴な姓・地名。歴史の真価
《「江田」は高貴な姓・地名。歴史の真価》
「「江田」は高貴な姓・地名。歴史の真価」
14 古墳のあるじ肖像彫刻と写真
《古墳のあるじ肖像彫刻と写真》
「古墳のあるじ肖像彫刻と写真」
15 兜布(ときん)・山伏・天狗・現代イスラエル人
《兜布(ときん)・山伏・天狗・現代イスラエル人》
「兜布(ときん)・山伏・天狗・現代イスラエル人」
16 兜布はフェニキヤ人・猿田毘古に由来
《兜布はフェニキヤ人・猿田毘古に由来》
「兜布はフェニキヤ人・猿田毘古に由来」
17 史学の証拠になるもの、ならないもの
《史学の証拠になるもの、ならないもの》
「史学の証拠になるもの、ならないもの」
18 兜布のルーツと一本角文化の様相
《兜布のルーツと一本角文化の様相》
「兜布のルーツと一本角文化の様相」
19 猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ
《猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ》
「猿田毘古=大人弥五郎=屋久王=スサノオ」
20 解けた「宿祢とは何か?」という謎
《解けた「宿祢とは何か?」という謎》
「解けた「宿祢とは何か?」という謎」
21 古代の文化・文明は一方通行ではない
《古代の文化・文明は一方通行ではない》
「古代の文化・文明は一方通行ではない」
22 フェニキヤ文化の東方伝播コース
《フェニキヤ文化の東方伝播コース》
「フェニキヤ文化の東方伝播コース」
23 秦(はた)氏は始皇帝の子孫
《秦(はた)氏は始皇帝の子孫》
「秦(はた)氏は始皇帝の子孫」
24 真実、秦氏は間違いなく始皇の一族
《真実、秦氏は間違いなく始皇の一族》
「真実、秦氏は間違いなく始皇の一族」
25 その文化は、むしろ徐福のもの
《その文化は、むしろ徐福のもの》
「その文化は、むしろ徐福のもの」
26 証拠は神道が「秦道」に見える宗教活動
《証拠は神道が「秦道」に見える宗教活動》
「証拠は神道が「秦道」に見える宗教活動」
27 神社参拝を激減させる佐伯説と亜流
《神社参拝を激減させる佐伯説と亜流》
「神社参拝を激減させる佐伯説と亜流」
28 大理想はウバイドのイサナミから
《大理想はウバイドのイサナミから》
「大理想はウバイドのイサナミから」
《古代オリエント》
「古代オリエント」
《古代メソポタミア》
「古代メソポタミア」
《シュメール・シュメル》
「シュメール・シュメル」
《ウバイド》
「ウバイド」
《倭人(ウワイト)》
「倭人(ウワイト)」
《魏書倭人章》
「魏書倭人章」
《日本書紀・古事記》
「日本書紀・古事記」
《三国史記・三国遺事》
「三国史記・三国遺事」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
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《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
装飾古墳
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