2013年1月4日金曜日

古代フェニキヤ軍艦



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学院講義録 35 31頁



 「図」フェニキヤ軍艦
 《フェニキヤ軍艦
 「フェニキヤ軍艦

 紀元前七百年の頃。

 二段櫂式。

 どう云うものか一段櫂式は最初から使われていなかった。

 《「エリュトゥラー海案内記」
 「「エリュトゥラー海案内記」

 古墳に描かれた船画像
 
 古代船画像

 船の歴史

 古代の帆船

 古代の船



 三千年の海戦史

 フェニキヤ軍艦

 三段櫂船

 古代ギリシャ軍船

 古代ローマ軍船

 古代エジプト船

 古代ガレー船

 アルゴ船

 『沖縄から本土に入ったフェニキヤ人

 もうこれで、

 フェニキヤは「船木屋」だと申し上げても、コジつけとも、

 論理の飛躍だともお思いにはならないと思う。

 それはまさしく日本語になっているのである。

 考えれば

 それは三千年以上前に日本語化したのだから、

 当然のことなのだが、

 それが今の標準語と少し、

 ずれがあるために疑われるのである。

 このことは逆に日本語の歴史を考える上では

 貴重な文化財だということになる。

 それを追及してみよう。

 フネの部分はフェニだから、エ音が消えている。

 このことは我が国の言語分布からみて、

 e音の無い沖縄語のためだと解る。

 それにはもう一つ根拠がある。

 エ音が取れるとフニになるが、

 沖縄では現在も船をフニと発音している。

 さらにもう一つ沖縄へ先に入ったという理由がある。

 それは船乗りのことを

 古い沖縄語では「フ ニ チュ」という。

 これは原語を並べてみると、明瞭に語源が浮かび上がる。

 「フェニ キヤ」 

 沖縄語のチは標準語のキであり、

 yuはyaと書くと一層よく相互関係が理解できる。

 フェニキヤの名が、

 三千数百年という歳月を経ても、

 一字一音も欠けることなく、

 こんなに見事に保存されていたのである。

 これもフェニキヤ人が間違いなく沖縄に入り、

 以後に本土に入ったという貴重な証拠の文化財なのである。

 『フェニキヤ人来住は史実だという証拠群

 その「フェニ キ」が、

 もう一方では「船木=フナキ」という姓などの名詞になっている。

 これはキ音があるので沖縄以外の土地のものである。

 南九州には「無い」を「ネ」と言う土地と、

 「ナカ」と言う土地とがあった。

 今では様々な言葉が混用されていて、

 どこのものか断定できないが、

 山根と山名という姓があり、

 鹿児島県に阿久根、大根占があり、

 熊本県に玉名市があるから、

 フナは熊本語とみても大きな間違いはない。

 それはさらに次の事実を証言している。

 それは名詞語尾の「キ」は

 イサナキのキと同じで王称だということである。

 フナキは船王(キ)であって、海人王を意味していたのである。

 『住吉大社神代記』には

 船木 連(むらじ) 宇麻呂は神功皇后に舟を造って奉ったので、

 船木姓を賜わったとある。

 その所領の船木村は播磨の国、明石郡にあり、

 遠祖は大田田根子の児、神田田命とあるので、

 彼はインド経由で来た一族だったことが解る。

 カンダタという名は、

 有名な仏教説話『蜘蛛の糸』の主人公の名である。

 スサノオはフェニキヤのスリランカ拠点から、

 カンダタという名のインド人を乗せてわが国へ来たのである。

 神田田命は所領・九万八千町余の大富豪だったともあるから、

 フェニキヤ流の経済学は、ずっと後世まで健在であり、

 また履中天皇の妃・太姫郎姫(いらつめ)と高鶴郎姫との父が

 フナキワケ王と読める名をもっている。

 これらもフェニキヤ人の来住が

 史実だったことの不動の証拠なのだ。

 『より高い海人文化だった我が国の古代文化

 こうしたウバイド、フェニキヤ、ギリシャなどの

 西方文化の渡来は、

 在来はすぐシルク・ロードによるものと即断されがちであった。

 しかしシルク・ロードの物資は、

 すべてが陸上運輸であって、海運によるものではない。

 その時代も、

 正倉院御物が証明するように、

 倭国が日本と改称した時代に、

 中国に唐という大消費者国が生まれたからであって、

 フェニキヤの海上貿易時代とは

 2000年ちかい差があるのである。

 そしてさらにスサの王の目的は海上交通にあって、

 ラクダで砂漠を越えて荷を運ぶことではなかった。

 屋久杉たちは海上を運ばれて来たのであって、

 乾操で苗がすぐ枯れてしまう砂漠を通って、

 のろのろと運ばれて来たものでは絶対にない。

 我が国の古代文化はより高い海人文化だったのだ。

 乗り物の発達が経済に大きくプラスすることは

 20世紀が証人である。

 そのため排気ガスによる地球壊滅が近付いても、

 車を野放しで造り続けているのである。

 太古の船はまさに自動車や航空機以上の

 経済と武力の格差を生んだのである。

 それに次いだのが馬やラクダだった。

 それは12世紀のモンゴルによる欧州席巻を見れば瞭然である。

 正倉院御物中にも海上を運ばれてきたものが当然ある。

 展示物を全てラクダで運んだような錯覚を与える

 「シルク・ロード文明展」といった名称は、

 史実を歪める粗雑な表現である。

 『ユダヤ人19万人は本当に日本へ来たか?

 ここまで書いたとき

 本学教授の梅沢稔先生>から、

 テレビ新番組

 「歴史ミステリースペシャル」の

 「ユダヤ人19万人が日本へ来たのか」が

 ご興味を惹いたと内容をお教え戴いた。
 
 「紀元前6世紀の滅亡時、10部族が行方不明。

  仁徳期に秦河勝が7千戸を連れて来たが、

  景教徒と記されている。

  彼の木之幡神社にはユダヤ教で手足を洗う池が現存し、

  赤穂の大避神社はダビデを意味し、

  その古井戸はユダヤ教通りの12角の石組であり、

  秘宝の面は鼻の大きい天狗のような面。

  出演した雅楽の東儀氏は

  「私たちは秦氏の子孫であることを誇りに思っている」と言い、

 駐日イスラエル大使も

 「日本語と慣習、文化に共通性が多いのに驚き、

  来春、日本人のDNA鑑定をする」という。

 他に津軽の西北沖や

 西表島の西南沖に沈む1万年前の石造物遺構にも魅せられた。

 余りに興味があったので知らせたというお手紙であった。

 この問題は、私も時々触れてきたが、

 最近も沢口靖子の姓と容貌の関係や

 滋賀県の油日村とアブラヒムとの関係などを

 お話しした記憶がある。

 秦氏の問題は以前、保育社のカラーブックスで、

 『日本人のルーツ』を出した当時、

 全国のロータリーなどで講演した際に話した内容の一つである。

 それが30年後の今、

 テレビ番組になったというのは感無量である。

 次号はこのユダヤ人帰化問題を主題にお話ししたいと思う。

 『大学院講義録32』

 1 史学の科学化
 《史学の科学化
 「史学の科学化

 2 オリザ・ヤワニカと、沢口靖子の証言
 《オリザ・ヤワニカと、沢口靖子の証言
 「オリザ・ヤワニカと、沢口靖子の証言

 3 日本語の意味をもつインダス五大河の古名
 《日本語の意味をもつインダス五大河の古名
 「日本語の意味をもつインダス五大河の古名

 4 稲田媛の両親の名乗り完璧にウバイド王家のもの
 《稲田媛の両親の名乗り完璧にウバイド王家のもの
 「稲田媛の両親の名乗り完璧にウバイド王家のもの

 5 稲田媛は田舎娘ではなく母皇は超巨大帝国の皇帝
 《稲田媛は田舎娘ではなく母皇は超巨大帝国の皇帝
 「稲田媛は田舎娘ではなく母皇は超巨大帝国の皇帝

 6 八侯大蛇退治伝承は我が国独特の歴史寓話
 《八侯大蛇退治伝承は我が国独特の歴史寓話
 「八侯大蛇退治伝承は我が国独特の歴史寓話

 7 シュメル出自創造説や在来史学と、史実との酷い隔差
 《シュメル出自創造説や在来史学と、史実との酷い隔差
 「シュメル出自創造説や在来史学と、史実との酷い隔差

 8 言語復原史学の基礎知識欠如から起きた惨害
 《言語復原史学の基礎知識欠如から起きた惨害
 「言語復原史学の基礎知識欠如から起きた惨害

 9 イサナキも都市国家時代の名乗りから
 《イサナキも都市国家時代の名乗りから
 「イサナキも都市国家時代の名乗りから

 10 神代紀の史実を廃棄物した『神話学』の罪
 《神代紀の史実を廃棄物した『神話学』の罪
 「神代紀の史実を廃棄物した『神話学』の罪

 11 隼人はウバイドへの当て字。世界最古の国名
 《隼人はウバイドへの当て字。世界最古の国名
 「隼人はウバイドへの当て字。世界最古の国名

 12 膨大な文化遺産『言語』が蓄えていた史実の凄さ
 《膨大な文化遺産『言語』が蓄えていた史実の凄さ
 「膨大な文化遺産『言語』が蓄えていた史実の凄さ

 13 繰返した侵略の脅威と緊急避難だった男帝武装国家化
 《繰返した侵略の脅威と緊急避難だった男帝武装国家化
 「繰返した侵略の脅威と緊急避難だった男帝武装国家化

 14 大化改新が遺した汚物=日本列島土人単一民族説
 《大化改新が遺した汚物=日本列島土人単一民族説
 「大化改新が遺した汚物=日本列島土人単一民族説

 15 八千年の雄大な歴史をドブに彙てた天智天皇
 《八千年の雄大な歴史をドブに彙てた天智天皇
 「八千年の雄大な歴史をドブに彙てた天智天皇

 16 『天皇制』の誕生と神託としての『日本書紀』
 《『天皇制』の誕生と神託としての『日本書紀』
 「『天皇制』の誕生と神託としての『日本書紀』

 17 天皇制は、いつ?、どこで?・生まれたか?
 《天皇制は、いつ?、どこで?・生まれたか?
 「天皇制は、いつ?、どこで?・生まれたか?

 18 天皇制は「ウバイド期生まれ」という証拠群
 《天皇制は「ウバイド期生まれ」という証拠群
 「天皇制は「ウバイド期生まれ」という証拠群

 19 『天皇』の名は我が国で生まれた敬称代名詞
 《『天皇』の名は我が国で生まれた敬称代名詞
 「『天皇』の名は我が国で生まれた敬称代名詞

 20 「周」の紀録に残っていたウバイド人
 《「周」の紀録に残っていたウバイド人

》 「「周」の紀録に残っていたウバイド人


 21 ウバイド人が間違いなく周代の中国に居た完全立証
 《ウバイド人が間違いなく周代の中国に居た完全立証
 「ウバイド人が間違いなく周代の中国に居た完全立証

 22 わが国と血縁関係をもっている五胡十六国
 《わが国と血縁関係をもっている五胡十六国
 「わが国と血縁関係をもっている五胡十六国

 23 「北方騎馬民族説」が成立しない、その大錯覚
 《「北方騎馬民族説」が成立しない、その大錯覚
 「「北方騎馬民族説」が成立しない、その大錯覚

 24 大国人・倭国人・大馬人・馬出た国→生まれた国
 《大国人・倭国人・大馬人・馬出た国→生まれた国
 「大国人・倭国人・大馬人・馬出た国→生まれた国

 25 「稲」と「殷」を出した巨大な宝庫・インダス
 《「稲」と「殷」を出した巨大な宝庫・インダス
 「「稲」と「殷」を出した巨大な宝庫・インダス

 26 潅漑農業が生んだ富の差が作らせた階級差
 《潅漑農業が生んだ富の差が作らせた階級差
 「潅漑農業が生んだ富の差が作らせた階級差

 27 ウバイドの集落に原型が存在していた『天皇制』
 《ウバイドの集落に原型が存在していた『天皇制』
 「ウバイドの集落に原型が存在していた『天皇制』

 28 聖徳太子が完全に立征し象徴するウバイド哲学
 《聖徳太子が完全に立征し象徴するウバイド哲学
 「聖徳太子が完全に立征し象徴するウバイド哲学

 29 平和理想が生んだ世界に細のない八千年の長寿王家
 《平和理想が生んだ世界に細のない八千年の長寿王家
 「平和理想が生んだ世界に細のない八千年の長寿王家

 30 この発見で再検肘価値が蘇えったムーや古文献
 《この発見で再検肘価値が蘇えったムーや古文献
 「この発見で再検肘価値が蘇えったムーや古文献

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
装飾古墳

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