2013年1月3日木曜日

フェニキヤとスサとウバイドの位置



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学院講義録 35 22頁



 「図」フェニキヤとスサとウバイドの位置
 《フェニキヤとスサとウバイドの位置
 「フェニキヤとスサとウバイドの位置

 『スサの王を日本列島へ移住させた大動乱

 今から三千何百年か前、

 フェニキヤ人スサノオは何故?交易でなく、

 木の種子をもって我が国へやってきたのだろう?。

 答は彼の教えにある。

 彼は「我が子孫は船をもたなくてはいけない」と教え、

 我が国にだけ植物を移植したのだから、

 彼は日本列島を基地にして、海運や交易事業を継続し、

 子々孫々まで永住するために来たのである。

 それは当時シリアなどに都市国家群をもち、

 繁栄の極にあったフェニキヤ人が、

 なぜか選りに選って、

 世界の東端の、

 絶海の孤島といいたい程の

 この日本列島に住もうとやってきたということである。

 そして韓国には種子を蒔かず我が国にだけ蒔いたというのだから、

 これは熟考した上での決定的行動である。

 一体、何がそうさせたのであろうか?。

 今から3200年前のB.C.E.1200年、

 エジプト第20王朝のラムセスⅢ世が、

 そのシリアを征服し、

 他の植民地から救援に駆けつけた

 フェニキヤ人たちも次々に撃破された。

 全く同時にギリシャのトロイヤ侵略も進んだ。

 フェニキヤ人の楽園が大動乱のうちに奪われて行ったのである。

 それはもちろん遠く離れたスサにも伝わった。

 やがてはスサも同じ惨劇に見舞われると予測したスサの王は、

 遠隔の安全地帯にあって、

 好条件の揃った希にみる楽土だと知っていた

 日本列島への移住を、

 熟慮の末、実行に移したのである。

 『大神と須神の話は多数の史実の混合寓話

 では天皇家はフェニキヤ人の子孫なのであろうか?。

 スサノオは天照大神の弟である。

 この2神は皇祖だとされているから、

 スサノオの子孫であることは疑いない。

 しかし天皇家の系譜の父子兄弟姉妹は、

 後世の系譜とは大層異なったものなのである。

 なぜなら欠史天皇たちの系譜や

 卑弥呼と神功皇后の扱いで明らかなように、

 実際の血縁とは随分違った系譜になっているからである。

 なぜ?そんなことになっているかというと、

 当時の記録は紙ではなく木簡に書かれているものを、

 順番に縄で編んで保存してある物だから、

 即位の順序が早いものが先の天皇として記入されている場合、

 たとえ兄や父であっても、

 後から即位すれば子や弟に見える時間帯の部分に、

 追加して繋いで行くしかない。

 また神話と呼ばれてきたもののように、

 本当の伝承が余りにも古かったり、
 
 語り部の記憶だけの場合は、

 省略部分や消失部分や記憶喪失部分が大量にあって、

 残った部分を名前を頼りに寄せ集めて、

 適当に纏めたものも当然ある。

 また倫理教育上悪い史実は、

 教訓のほうが重視されて、寓話化されてもいる。

 だから確かに史実が編集されてはいるが、

 名乗りは同じでも、様々な時間帯の複数の史実が、
 
 一人の事跡に見えることになる。

 これらを考慮して天照大神とスサノオをみると、

 女性絶対上位の大神は、

 絶対にフェニキヤ人ではない。

 それは時代の古いウバイドの女帝そのものだから

 「姉」とされたのである。

 『崇神は須神(スサノオ)、杉は須木

 ウバイドの天照大神の後継者の、

 正確な遷都時期は判らないが、

 それより後世にやって来たことの確かなスサノオは

 「弟」なのである。

 そして両者がこの狭い列島で争い、和睦して、婚姻を結んだから、

 共に天皇家の皇祖であることは間違いない。

 ついでにお話を追加すると、

 『崇神天皇紀』にあるように、

 当時の大神と崇神天皇とが意見が一致せず、

 姉の大神を「岩戸」に幽閉した史実も、

 この超古代の大神と須神との話に

 一纏めにされていることにお気付き頂きたい。

 この事実はすでに淡海の三船が熟知していた。

 彼は御間城入彦天皇に「崇神」と贈り名したのである。

 この「スジン」は、

 「須神=スサノオ」を暗示しているのである。

 また「スギ」もやはり「須木」なのだ。

 こんなに複雑な複合物を、在来の神話学者のように、

 海外の幼稚な村人のお伽話が

 伝来したものだと思い込んでいたのでは、

 とても『記・紀』は理解できない。

 天照とスサノオの姉弟の物語は、

 こうした複数の歴史が様々に複合していることの縮図なのである。

 これでは在来の『記・紀』解説は全く役に立たない。

 その解説を今では世界で唯一、

 真実の歴史をご存じの本学会員諸氏の、

 御生涯のお仕事にして戴きたい。

 これが、

 私(加治木義博)がこれまで本講で、

 ご講義申し上げてきた真意であり、

 心からの切望なのである。

 『「万世一系」が真実である原理

 もう一度、繰り返すが、

 「この狭い列島で、支配者問で争い、和睦して、婚姻を結んだ。

  双方とも皇祖であることは間違いない」というのは、

 このスサノオの歴史だけではない。

 これと同様のことは八千年の歴史の問には、

 数えきれないはど繰り返されたことは想像に難くない。

 継体天皇が応神五世孫を主張したのは、

 国民の大半が、

 どこかで皇室と血がつながっている事実があったからで、

 継体は単に血の濃さを宣伝して、

 反抗者を減らそうとしただけに過ぎない。

 血の濃ささえ無視すれば、

 全国民がウバイド女帝の血を承け継いでいるのだから、

 これが万世一系思想が真実である原理なのである。

 私たちは本講によって、

 今や神武紀元どころか、

 紀元八千年の女帝国の直系にまで「昇格」した。

 日本全国どころか全世界に、「弟」がいるのである。

 その血を分けた

 朝鮮半島や中国の人たちを他人と誤信し侵略した連中が、

 どれほど低劣な輩だったか、今更いうまでもないが、

 ウバイド起源の史実の発見は、

 そんな低劣な思想を吹き飛ばしてしまった。

 私たちの祖先の霊はいま初めて心安らかに、

 真の理想的グローバル世界を思い描いていることと想う。

 また本学会をここまで導いて戴いた学会員の皆様も、

 さぞご満足の御ことと拝察、

 この成果を一人でも多くの方々にご教示戴くことを、

 御生き甲斐にとお祈り申し上げている。

 『大学院講義録31』

 1 真実の「定義」とニセ学問の見分けかた
 《真実の「定義」とニセ学問の見分けかた
 「真実の「定義」とニセ学問の見分けかた

 2 「思いつき素材」を並べても学問にはならない
 《「思いつき素材」を並べても学問にはならない
 「「思いつき素材」を並べても学問にはならない

 3 不完全説は功績ではなく「悪事」
 《不完全説は功績ではなく「悪事」
 「不完全説は功績ではなく「悪事」

 4 我が国まで来たのはシュメール人ではなかったか
 《我が国まで来たのはシュメール人ではなかったか
 「我が国まで来たのはシュメール人ではなかったか

 5 来たのは円筒印章文化以前にシュメールを出た人たち
 《来たのは円筒印章文化以前にシュメールを出た人たち
 「来たのは円筒印章文化以前にシュメールを出た人たち

 6 シュメルは英語訛り、実在したのはスメル
 《シュメルは英語訛り、実在したのはスメル
 「シュメルは英語訛り、実在したのはスメル

 7 日本語の知識なしでは不可能な「真のスメル研究」
 《日本語の知識なしでは不可能な「真のスメル研究」
 「日本語の知識なしでは不可能な「真のスメル研究」

 8 『日本書紀』に生々しく伝っていた「スメルの伝承」!
 《『日本書紀』に生々しく伝っていた「スメルの伝承」!
 「『日本書紀』に生々しく伝っていた「スメルの伝承」!

 9 全部が日本語で読めるスメルの天地開闢の神々
 《全部が日本語で読めるスメルの天地開闢の神々
 「全部が日本語で読めるスメルの天地開闢の神々

 10 殷という名の真意までわかるスメルの神名
 《殷という名の真意までわかるスメルの神名
 「殷という名の真意までわかるスメルの神名

 11 伊弉冉命は伊弊由樽(イシュタル)・女神イシュタルへの当て字
 《伊弉冉命は伊弊由樽(イシュタル)・女神イシュタルへの当て字
 「伊弉冉命は伊弊由樽(イシュタル)・女神イシュタルへの当て字

 12 人類最大の福音「平和永続の秘密」
 《人類最大の福音「平和永続の秘密」
 「人類最大の福音「平和永続の秘密」

 13 決定的になった『日本書紀』は天智天皇の政略書
 《決定的になった『日本書紀』は天智天皇の政略書
 「決定的になった『日本書紀』は天智天皇の政略書

 14 本来のスメルの主人はウバイド
 《本来のスメルの主人はウバイド
 「本来のスメルの主人はウバイド

 15 ウバイドがインダス文明を生んだという説
 《ウバイドがインダス文明を生んだという説
 「ウバイドがインダス文明を生んだという説

 16 ウバイドと邪馬壹国との深いつながり
 《ウバイドと邪馬壹国との深いつながり
 「ウバイドと邪馬壹国との深いつながり

 17 今はじめて疑問なく明確になった「倭人」の真意
 《今はじめて疑問なく明確になった「倭人」の真意
 「今はじめて疑問なく明確になった「倭人」の真意

 18 倭人の訓みはウワイト。それはりウバイドヘの当て字
 《倭人の訓みはウワイト。それはりウバイドヘの当て字
 「倭人の訓みはウワイト。それはりウバイドヘの当て字

 19 スメルの言語も信仰中のウバイドの文明遺産
 《スメルの言語も信仰中のウバイドの文明遺産
 「スメルの言語も信仰中のウバイドの文明遺産

 20 『古事記』は倭人(ウバイド)伝承を伝え、『日本書紀』は否定
 《『古事記』は倭人(ウバイド)伝承を伝え、『日本書紀』は否定
 「『古事記』は倭人(ウバイド)伝承を伝え、『日本書紀』は否定

 21 6世紀に飛鳥寺を建てたのもイラン人だった
 《6世紀に飛鳥寺を建てたのもイラン人だった
 「6世紀に飛鳥寺を建てたのもイラン人だった

 22 「絶対に」動かない「鬼道=仏教」
 《「絶対に」動かない「鬼道=仏教」
 「「絶対に」動かない「鬼道=仏教」

 23 ウバイドのインダス大移住は逃亡ではない
 《ウバイドのインダス大移住は逃亡ではない
 「ウバイドのインダス大移住は逃亡ではない

 24 ウバイド+スメルがインダス文明を築いた証拠
 《ウバイド+スメルがインダス文明を築いた証拠
 「ウバイド+スメルがインダス文明を築いた証拠

 25 インダスから稲敷へ、そして殷への明確な時代わかる
 《インダスから稲敷へ、そして殷への明確な時代わかる
 「インダスから稲敷へ、そして殷への明確な時代わかる

 26 世界最古・最長の皇統をもつ祖国の真の歴史
 《世界最古・最長の皇統をもつ祖国の真の歴史
 「世界最古・最長の皇統をもつ祖国の真の歴史

 27 八千年にも及ぶ我が国の歴史確認
 《八千年にも及ぶ我が国の歴史確認
 「八千年にも及ぶ我が国の歴史確認

 28 この講座にもご高評をお寄せ下さい
 《この講座にもご高評をお寄せ下さい
 「この講座にもご高評をお寄せ下さい

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
 「倭人(ウワイト)

 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
 装飾古墳

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