2012年12月25日火曜日

玉-中国文明の象徴-



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学院講義録 28 33頁



 「図」玉-中国文明の象徴-
 《玉-中国文明の象徴-
 「玉-中国文明の象徴-

 「玉(ぎょく)」は大きく「硬玉」と「軟玉」に分かれる。

 硬玉とはいわゆる翡翠(ひすい)のことで、

 鉱物学的にいえばヒスイ輝石を指し、

 軟玉とはネフライト、角閃石や陽起石を指す。

 硬玉は粒状結晶が交差繊維状組織をなす輝石のグループ、

 ネフライトは繊維状組織をなす

 角閃石のクルーフに属し、

 同じ「玉」でも成分的にはまったく異なる鉱物である。

 硬玉、軟玉という呼び方はモース硬度によっている。

 モース硬度が6.5~7の翡翠を硬玉、5.5~6と低いネフライトを軟玉と
 呼びならわすようになったもので、

 軟玉といっても「軟らかい玉」の意味ではない。

 翡翠と比ベて相対的に硬くないというだけのことで、

 むしろ軟玉は、硬玉よりも繊維状の結晶が密に絡み合っているため、

 割れにくく、強靭である。

 地球上でもっとも硬い鉱物は硬度10のダイヤモンドだが、

 衝撃に対する強さ(欠けにくさ、割れにくさ)や粘り強さ(靭性)においては、

 実は軟玉が最も優れているとされる。

 中国古代において主に用いられた「玉」はこの軟玉である。

 軟玉には、叩くと非常によい音色がするというもう-つの特性もいわれ、

 そういったことが、軟玉が愛好された要因の一つかもしれない。

 中国では玉の使用はかなり古い。

 すでに新石器時代の早期に属する遺跡から

 玉を用いた耳飾りなとの装身臭が見つかっている。

 新石器時代後期には、

 長江流域で栄えた良渚文化で玉器が王権と結びつき、

 王権のシンボル、

 あるいは威信財として社会的役割を担うようになる。

 その後、商や周なとの初期王朝時代においても、

 青銅器とともに威信財として尊ばれた。

 戦国時代になると、玉は「生命の再生力」や「辟邪(へきじや)」といった

 特別な力を持つものとして、さまざまな場面で用いられた。

 着物にさまざまな形をした精緻な玉(煙玉(えんぎょく))をくくりつけたり、

 埋葬の際に死者の口に「玉蝉(ぎょくせん)」を含ませたり、

 手に「玉豚」を握らせるなとの風習が行なわれた。

 玉の持つ神秘的な力を信じてのものである。

 さらには、玉の持つ温かみや竪さといった特性が儒教とも結びつき、

 「徳」のある君子を「玉」に例えるなど、

 儒教的徳目の象徴としても位置づけられるようになる。

 漢代には、儒教の官学化にともない、

 玉への信奉はいっそう強くなり、

 死者の全身を玉片で綴った衣(玉衣)で

 覆って埋葬することなども行なわれた。


 「図」玉貝(ぎょくばい)

 (子安貝を摸した玉の飾り)
  Jade cowrie-Shaped ornament
  商晩~西周時代 前14~8世紀
  2001年/成都市金沙遺跡出土
  玉製/長さ3.2cm、幅2.7cm、厚さ0.2~0.63cm、重さ8g
  成都市文物考古研究所載

 子安貝を模した玉器。

 裏面は平らにさかれ、上方には穴があけられており、

 ペンダントとして用いられたものと思われる。

 また、

 左右両側には展示品75の玉牙璧に見られるような

 ギザギザ状の突起がこの玉器にも飾られており、

 金沙遺跡に独特に見られる特徴がここにも表われている。

 中国では新石器時代以降、

 海から遠く離れた内陸部の遺跡からも

 数多くの子安貝が出土することが知られ、

 また二里頭遺跡や商代に属する墓のなかには

 大量の子安貝を副葬する例も少なからず存在し、

 当時このような海洋産の貝が

 何らかの重要な意味をもっていたと考えられる。

 同じ成都平原に位置する三星堆遺跡からは、

 一号坑から62枚、二号坑からは4600枚もの

 実物の子安貝が出土している。

 周囲を高い山々に囲まれた内陸世界である成都平原が、

 直接的であれ間接的であれ、

 海洋産の貝を産出する沿海地域と密接な繋がりを

 持っていたということは非常に興味深い。

 そしてまた、

 金沙遺跡でこのように子安貝が玉で精緻に模倣されたということは、

 三星堆のみならず金沙の人々にとっても

 子安貝が何らかの主要な意味のあるものとして

 捉えられていたということを示していよう。(K.D.)

 『大学院講義録22』

 1 国民を不幸にし続けてきた倒錯した「建国紀元」観
 《国民を不幸にし続けてきた倒錯した「建国紀元」観
 「国民を不幸にし続けてきた倒錯した「建国紀元」観

 2 『記・紀』の実態は過去の文献批判の欠落部分にある
 《『記・紀』の実態は過去の文献批判の欠落部分にある
 「<『記・紀』の実態は過去の文献批判の欠落部分にある/a>」

 3 恥ずかしい「定義不在」の『史書』、『記・紀』
 《恥ずかしい「定義不在」の『史書』、『記・紀』
 「恥ずかしい「定義不在」の『史書』、『記・紀』

 4 『記・紀』評価を不動にする「要素」5つ
 《『記・紀』評価を不動にする「要素」5つ
 「『記・紀』評価を不動にする「要素」5つ

 5 『定義』に最適な卑弥呼関連記事
 《『定義』に最適な卑弥呼関連記事
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 6 幾つもあるソナカの別名と、ミマナの語源
 《幾つもあるソナカの別名と、ミマナの語源
 「幾つもあるソナカの別名と、ミマナの語源
 
 7 美少女を追って来たソナカと、天日槍の帰化
 《美少女を追って来たソナカと、天日槍の帰化
 「美少女を追って来たソナカと、天日槍の帰化

 8 全て「1つのソナカの史実」のバリエーション
 《全て「1つのソナカの史実」のバリエーション
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 9 天稚彦は天日矛と同じ名で当て字が違うだけ
 《天稚彦は天日矛と同じ名で当て字が違うだけ
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 10 仲哀天皇を殺した熊襲は高天原の皇祖
 《仲哀天皇を殺した熊襲は高天原の皇祖
 「仲哀天皇を殺した熊襲は高天原の皇祖

 11 「下手な脚色」から史実を復元できる実例
 《「下手な脚色」から史実を復元できる実例
 「「下手な脚色」から史実を復元できる実例

 12 この建国紀元ぬきの『魏書倭人章』論は無価値
 《この建国紀元ぬきの『魏書倭人章』論は無価値
 「この建国紀元ぬきの『魏書倭人章』論は無価値

 13 「角が有る人」は非日本語の巨大文化遺産
 《「角が有る人」は非日本語の巨大文化遺産
 「「角が有る人」は非日本語の巨大文化遺産

 14 「下手な脚色」から史実を復元できる実例
 《「下手な脚色」から史実を復元できる実例
 「「下手な脚色」から史実を復元できる実例

 15 『記・紀』は非常に高度な『史実記録集』
 《『記・紀』は非常に高度な『史実記録集』
 「『記・紀』は非常に高度な『史実記録集』

 16 完璧に揃っている物証文化財「牛と角」の名乗り
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 17 一人の天皇の記事が別人のように分散し
 《一人の天皇の記事が別人のように分散し
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 18 「神代の天稚彦」記事は明らかに編集ミス
 《「神代の天稚彦」記事は明らかに編集ミス
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 19 1世紀以上も時代を間違えて編集した『仲哀天皇紀』
 《1世紀以上も時代を間違えて編集した『仲哀天皇紀』
 「1世紀以上も時代を間違えて編集した『仲哀天皇紀』

 20 『記・紀』は日本の統一過程を記録した文化財
 《『記・紀』は日本の統一過程を記録した文化財
 「『記・紀』は日本の統一過程を記録した文化財

 21 『記・紀』は建国の真相を記録保存している史料
 《『記・紀』は建国の真相を記録保存している史料
 「『記・紀』は建国の真相を記録保存している史料

 22 いま初めて可能になった『記・紀』評価
 《いま初めて可能になった『記・紀』評価
 「いま初めて可能になった『記・紀』評価

 23 『記・紀』の『定義』
 《『記・紀』の『定義』
 「『記・紀』の『定義』

 24 仲哀は孝霊時代人。『仲哀紀』の異様な時代配置
 《仲哀は孝霊時代人。『仲哀紀』の異様な時代配置
 「仲哀は孝霊時代人。『仲哀紀』の異様な時代配置

 25 本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂
 《本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂
 「本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂

 26 『記・紀』の書名が、誰が編纂者かの動かぬ証拠
 《『記・紀』の書名が、誰が編纂者かの動かぬ証拠
 「『記・紀』の書名が、誰が編纂者かの動かぬ証拠

 27 彦五十狭芹彦(戦さの君)が仲哀天皇
 《彦五十狭芹彦(戦さの君)が仲哀天皇
 「彦五十狭芹彦(戦さの君)が仲哀天皇

 28 吉備と播磨に濃厚に残る伝承と倭国の誕生
 《吉備と播磨に濃厚に残る伝承と倭国の誕生
 「吉備と播磨に濃厚に残る伝承と倭国の誕生

 29 卑弥呼を神功皇后にした2つの遺志
 《卑弥呼を神功皇后にした2つの遺志
 「卑弥呼を神功皇后にした2つの遺志

 30 『定義』の真価。角が有る人。伽耶時代の地名
 《『定義』の真価。角が有る人。伽耶時代の地名
 「『定義』の真価。角が有る人。伽耶時代の地名

 《古代オリエント
 「古代オリエント

 《古代メソポタミア
 「古代メソポタミア

 《シュメール・シュメル
 「シュメール・シュメル

 《ウバイド
 「ウバイド

 《倭人(ウワイト)
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 《魏書倭人章
 「魏書倭人章

 《日本書紀・古事記
 「日本書紀・古事記

 《三国史記・三国遺事
 「三国史記・三国遺事

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
 装飾古墳

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