2012年12月9日日曜日

スケッチされていたその風俗



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 大学院講義録 16 20頁



 「図」スケッチされていたその風俗
 《スケッチされていたその風俗
 「スケッチされていたその風俗

 その風俗は沖縄では13世紀まで確実に続き、

 その証拠の絵が今も残っている。

 その中央にはギリシャ型の冠を被(かぶ)って、

 ポセイドンの武器・三叉鉾をもった、

 女性の指揮者が描かれている。

 沖縄のアテナだ。

 男性は「招頭=鉢巻き」して「上長下短の弓」をもつ

 『魏書倭人章』記事そのままのスケッチを、

 今でもこの眼で確認できるのである。

 「寛元元年(1243)に漂着した商人が描いた

 『漂到流球国記』巻末の、著者手書きの写生図」

 『図』漂到流球国記巻末絵図の一部 13世紀

 『ギリシャ風俗そのまま『魏書倭人章』の記事』

 古代ギリシャ人は船旅に出る前には必ず

 ポセイドンに生贅(いけにえ)を捧げて、

 航海の安全を祈ったことが、

 神話にも、歴史記録にもたくさん出てくる。

 それと同じことが『魏書倭人章』にも

 「その旅行や渡海の前には、つねに一人の男を生賛にする」と、

 「自衰」と呼ぶ苦行者を神に持げて、

 事故が起これば殺したことが記録されている。

 私たちにはその自衰が捧げられた相手が

 ポセイドンだったことを、はっきり知り尽くした。

 だからそこに書かれた倭人とは、

 百済人=ボセイドン人=フェニキヤ人=ギリシャ人だったと

 更に再確認できたのである。

 すると倭人の男子が結束して看ている「横幅(おうふく)衣」が、

 古代ギリシャから現代インドにまで着られている

 トーガだったことも明瞭にわかる。

 横幅とは横幅(よこはば)の方が広い布で、

 縫ってない布ということだから、

 そんなものを衣服として着るのは、全世界でもトーガ以外にない。

 それをギリシャ人やインド人は肩から掛け、

 身体に巻いて最後を結ぶだけでうまく着る。

 『魏書倭人章』も

 それを「縫わないで結束して着る」と細かく明瞭に描写している。

 また「婦人は、その中央を切って頭だけ通す単被(ぴ)

  (単衣(ひとえ)もの)を着ている」と書いてある。

 これも古代ギリシャの壷絵に見る婦人服そのもので、

 それを日本列島で引き継いだカリエンの人々が、

 古代のまま着続けているのを、

 今でもタイやミャンマーで見ることができる。

 『7世紀に活躍した大船団の記録

 しかし、この絵は沖縄に土着した人々の、

 ささやかな漁猟生活を写したもので、

 列島本土に移住した人々の子孫には、

 奇異に映った風俗だったのである。

 千年の年月は、それだけの風俗差を作りだしていた。

 では本土に移住したギリシャ系海人族ははどうなったか?。

 雄略天皇が金波鎮漢紀武と名乗って、

 81艘の海軍を率いて允恭天皇を倒したことは先にお話しした。

 それ以後に確実な記事があるのは大化改新前後である。

 『日本書紀』をみると、

 天智天皇元年5月、大将軍・大錦中の阿曇の比羅夫が、

 船師170艘を率いて、

 百済の豊璋を百済国まで護送したという記事がある。

 この阿曇は従来、アズミと読んで来たが、

 阿はオ、オーでもあるから、

 「オーズミ=大隅」であり、

 百済をホズミと読んだものの大隅発音でも、やはりオースミになる。

 結局彼は百済人そのものだから、

 ポセイドン人=海軍の総指揮官だったのである。
 
 この海軍の総指揮官がもう一人いる。

 阿部の比羅夫である。

 同じ名乗りをもったこの人物は

 斉明天皇4年4月に、船師170艘を率いて蝦夷を討ち、

 続いて粛慎(シン)を討つ。

 同6年3月には船師200艘を率いて、また粛慎を討つ。

 その船がどれ位の大きさだったかは別として、

 渡海して兵員を運んで戦えるだけの海軍が、

 7世紀まで実在したことは確かだ。

 『大学院講義録07』

 1 『日本語・パーリ語比較辞典』
 《『日本語・パーリ語比較辞典』
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 《古代日本の高文化を記録しているパーリ語
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 《日本語の巨大ルーツ発見
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 《『日本語・パーリ語比較辞典』
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 《魏書倭人章
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 《日本書紀・古事記
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 《三国史記・三国遺事
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 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 

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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

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