2013年2月14日木曜日
官軍の初代総裁・嶋津備後のお守り(2)
『Yahoo!天気・災害』
※出典:加治木義博:言語復原史学会
《官軍の初代総裁・嶋津備後のお守り》
「官軍の初代総裁・嶋津備後のお守り」
《スメル8千年》
「スメル8千年」229頁
「写真」嶋津久光,茂久(忠義)父子が
備後に贈った感状(筆者蔵)
「写真」金銅仏の観音像(筆者蔵)正面・背面
ドラマでも度々登場する嶋津家伝統のお守り、
小さな金銅仏は、
一門全員の常備の品になっていたもので、
我が家にも幾つか伝世しているが、
その中に体長6センチ程の可愛い金銅仏の観音様がある。
もとは金白色に鍍金(メッキ)してあったが、
今では大部分が剥げ落ちて、
所どころ白く輝いているだけである。
しかし小さいのに立派な光背があって、
その裏面には見事な字で
「造像の縁起」が細々(こまごま)と彫ってある。
これは幕末の元治元年(1864年)、
長州軍が孝明天皇を粒致しようと、
皇居蛤御門に押し寄せた時、
皇居守護の総裁に任命されて、
京都所司代の松平容保や新選組まで配下に加えて
長州勢を打ち破り、敗退させて天皇を救い奉った
嶋津備後(斉彬の長子・虎寿丸)が、
そのとき肌身につけていた、お守りなのである。
以後、彼の子々孫々が受継ぎ、
いま私が保管している我が家の家宝である。
ご参考までに、
その写真と、
その時の戦勝を讃えて
嶋津久光父子が備後に贈った感状とを、
ご覧にいれよう。
後背に彫られた造像の縁起(由来)
建明元年正月二十一日 周萌 敬造 沸像
舘舎 三 父母 嬢子 兄弟 値遇 諾仏 常兄 三賓 共會
119 桑田教授の鑑定と東京都・白金台(しろがねだい)の由来
《桑田教授の鑑定と東京都・白金台(しろがねだい)の由来》
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