2013年2月8日金曜日

ギリシャ文明の象徴「カディキウス」(4)



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 《ギリシャ文明の象徴「カディキウス」
 「ギリシャ文明の象徴「カディキウス」

 《スメル8千年
 「スメル8千年」197頁



 「写真」「加治木義博」誕生祝いの日

 南九州では、姓だけでなく、

 面白い血統鑑定法を古代からもっていた。

 それは容貌の名なのである。

 容貌の特徴で、

 「嶋津顔(しまずがお)・加治木顔(かちつがお)」と

 いうふうに、

 人々の血統を見分けていたのである。

 私の誕生祝いの日の写真は都合がいいのでご覧いただくと、

 中央にいるのが祖父・龍太郎嶋津顔(しまずがお)で、

 向かって右端が父・栄助で加治木顔(かちつがお)、

 私を抱いているのが母・鶴で嶋津顔、

 もう一人の女性が私の乳母で、

 こうした丸顔は島人顔(シマンチュがお)ど呼ばれていた。

 これはその発音ですぐわかるように、

 嶋津の語源が沖縄系言語の「嶋んチュ=島の衆=人」であって、

 それが隼人や熊襲といった集団名として使われ、

 その外観による分類名として

 凛々しい武士顔を「隼人顔」、

 角張って髭もじゃを

 「熊襲顔(くまそがお)」「球磨顔(くまがお)」

 と呼んだのが「くまげ]に訛った可能性もある。

 また島々の方言差を考えると、

 嶋津と清水はマとミの変化だけであり、

 下津(しもづ)にもつながる。

 清水には志水姓もあり、

 文字の用法からみて志水姓のほうが古い。

 英国名のシムスやシモンズなども、

 その一族であることを示している。

 もっとも欧州まで行っては土着人の数が絶対多数で、

 少数の移住者は、それに飲み込まれて、

 嶋津顔どころではない。

 完全に向こうの人たちの容貌になってしまう。

 この意味で南九州の「○○顔」というのは、

 稀有の分類法として貴重なものである。

 だから皆さんも真似てご覧になればと思う。

 すると貫地谷しほりさんの、

 あの珍しい美貌も、ギリシャの顔ではあるが、

 エーゲ海のどこかの島に、

 そっくりさんが居たりする可能性がある。

 また鹿児島出身のスターたちも外人顔で売っているが、

 加山雄三、西郷輝彦、財津一郎、榎木孝明、谷隼人、

 それに加山の父、名優・上原謙たちが、

 親子でも、それぞれ異なった特徴をもっていること、

 大相撲の寺尾(加治木出身)など、

 話題にしてみると、
 
 さらに篤姫問題にも興を添えると思うがいかがだろう?

 101 貫地谷さんもカヂャから
 《貫地谷さんもカヂャから
 「貫地谷さんもカヂャから

 102 容貌で「DNA」鑑定をしていた南九州人
 《容貌で「DNA」鑑定をしていた南九州人
 「容貌で「DNA」鑑定をしていた南九州人
 
 103 『加治木古老物語』猿田彦の船の舵に由来?
 《『加治木古老物語』猿田彦の船の舵に由来?
 「『加治木古老物語』猿田彦の船の舵に由来?

 104 ギリシャと我が国共通の名乗り地名
 《ギリシャと我が国共通の名乗り地名
 「ギリシャと我が国共通の名乗り地名

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