2013年2月27日水曜日

古代史21世紀の研究課題:ムー大陸(虚構)



 出典:謎解き古代文明㈱彩図社・2011年



 「写真」ジェームズ・チャーチワード

 ●若きジェームズ・チャーチワードの軍歴の虚構

 誤訳のたびにスケールを増していく失われた大陸の伝説。

 しかし、まだそれは大西洋に存在していた。

 それを太平洋に持ってきて、

 アトランティスとは別の「ムー大陸」に作り上げたのが、

 デヴォンシャー生まれのイギリス「陸軍大佐」、

 ジェームズ・チャーチワードだった。

 ジェームズの著書『失われた大陸ムーー人類の母国』(1926年)によれば、

 「ムー大陸=太平洋説」の着想を得たのは、

 1868年から1880年にかけてインドで軍務に就いていた期間、

 余暇で訪れたヒンズー教の寺院で、高僧から門外不出の『ナーカル碑文

 (ナーカルとは「聖なる兄弟」の意味)を見せられ、

 解読の手ほどきを受けたのが発端だったとされる。

 しかし、その経歴は虚構である可能性が高い。

 軍務に就いたという1868年には、ジェームズはまだ17歳の少年だった。

 その少年がはたして軍の隊長として

 飢饉の救済活動に従事するようなことがあっただろうか。

 余暇を使ったにしても、インドの古寺院を訪れ、

 高僧から門外不出の碑文解読の手ほどきを受けることなどできたのだろうか。

 ジェームズの長年の親友で、特許事務所を経営していた

 ハーシー・テート・グリフィスの著書

 ”My Friend Churchey and His Sunken Island of Mu(1937)”

  『マイフレンドーチャーチーと彼の沈んだ島ムー>』)によると、

 ジェームズが「ムー大陸」に踏み込んだのは、

 ハーシーの祖母の家でル・プロンジョン夫妻と会ったことがきっかけだったという。

 ジェームズはループロンジョン夫妻の話す

 ユカタン・マヤの起源にまつわる話に感銘を受けたようで、

 何時間も一緒に議論したという。

 そこでは「ムー」の伝説も議題に上っただろう。

 なにしろループロンジョンの持論であったのだから。

 実際にジェームズが研究に没頭するようになるのは、

 特許侵害などで本業の鉄鋼関係の仕事が思うように行かなくなった

 1910年代半ばになってからだった。

 前述の伝記によると、ジェームズはハーシーにこう語ったという。

 「私は世界中の歴史資料、太平洋の物質的遺跡・遺物による証拠、

  聖なる粘上板と巻物、絵文書、インド古代の聖なる本を原典にしている。

  待ってろ。

  これは全部組み合わせてムーとその文明の完全像になるんだ!

  科学者は今、ひどく無責任に書き下ろしている歴史の本を

  書き直さなくてはならなくなるぞ!」

 ジェームズは現実から逃避して、

 「ムー大陸」の危険な水域に踏み込んでしまっていた。

 [ムーのことをずっと考えて暮らしているので、私の一部になってしまったよ。

  生まれ変わりは真実だと絶対確信があるし、それだけじゃなくて、

  昔レムリアに暮らしていて数千年前の文化の一部だったのも間違いない」

 そして1926年、ジェームズが40年間全身全霊を打ち込んだ著書

 ”The Lost Continent Of Mu, The Motherland of Man

 ”(『失われた大陸ムー人類の母国』)と題するハードカバー、

 316頁がついにニューヨークの書肆 Willam Edwin Rudge から刊行された。

 1931年にはその事実上の改訂版

 ”The Lost Continent Of Mu”(失われた大陸ムー) が

 同じニューヨークの出版社 Ives Washburn から新刊として出版される。

 こちらは335頁のハードカバーであった。

 これが同社のムーシリーズの始まりだった。

 ※⑩ジェームズ・チヤーチワードの真の経歴

 軍務に就いた時期は、まだイギリスにおり、

 1872年のころからスリランカで紅茶農園を経営。

 妻子を残したまま、1880年代に渡米。

 鉄道関係のセールスマンや技術者をしていたが、

 鉄道用品会社を立ち上げ、1890年から特許を取り始める。

 鉄道用品の開発からニッケルクロムバナジウム(NCV)鋼を開発し、

 製造特許を取得。

 1910年までにニューヨークに

 チャーチワード・インターナショナルースティール社(デラウェア社)を設立。

 第一次世界大戦前後、

 ジェームズの発明特許をめぐってUSスチールなど

 鉄鋼業界といくつもの訴訟となる。

 勝訴したこともあったが、不可解なこともあって鉄鋼業界から「抹殺」され、

 17年には失意のうちにコネチカット州レイクヴィルに移り住む

 (特許は1922年取得が最後)。

 ※⑥ジェームズのその後

 ジェームズはその後同じ版元から

 ”The Children of Mu(1931)”

 ”The Sacred Symboles of Mu(1933)”

 ”Cosmic Forces of Mu(1934)”

 ”Sedond Book of Cosmic Forces of Mu(1935)”

 の4冊を刊行。

 1936年1月4日、ロスアンゼルスでの講演中に倒れ、そのまま死去。

 享年84。

 遺体はニューヨークに運ばれ、

 1月11日、バルハラにあるケンシコ墓地に埋葬された。

 墓石上部にはムー帝国の紋章が刻み込まれている。

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