2013年2月15日金曜日

官軍の初代総裁・嶋津備後のお守り(3)



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 《官軍の初代総裁・嶋津備後のお守り
 「官軍の初代総裁・嶋津備後のお守り

 《スメル8千年
 「スメル8千年」234頁



 「写真」虎寿丸の幼児用セット(筆者蔵)

 「写真」鳥越家に伝わる

     虎寿丸(備後)の茶碗(鳥越憲三郎教授提供)

 それを聞いた斉彬は、それまでも次々に幼児が死ぬのを、

 何とも思わなかったわけではなかった。

 気がつかなかったとすれば、

 もっと大切なことに没頭していたためだが、

 気がつかないような暗愚ではなかった。

 男の子ばかり死んで女の子は残ったことに、

 早くから気付いていて、別に跡継ぎが欲しいわけではないが、

 救えるものは救ってやろうと考え、

 それとなく奥に命じて、毒味を厳重にさせ、

 子供茶碗などの食器は、毎回、厳重に消毒してから使用し、

 外部の者は触れられないようにさせていた。

 だから鳥越の訴えを眼を閉じて聞きながら、

 徹底した方策を考えていた。

 聞き終わった斉彬は即座に、そちは虎が死んだと報告し、

 いずれかへかくまって、病気を治してやってくれ。

 行く先は余が段取りするから、

 西郷と相談して即座に実行せよ、

 とすぐ西郷を召されてお申しつけになり、

 その夜のうちに、

 数名の武士が密かに虎寿丸をつれ出したあと、

 供は鳥越御典医ただ一人とし、

 鳥越の小者ばかり数名が商人風に姿をかえて龍で東海道を下り、

 斉彬が指示した福山(広島県福山市)へ向かった。

 それは嶋津の家中では誰が信用を置けるか不明で、

 漏れる恐れがあるので、親友であり、

 同志である老中首席の阿部正弘に頼む他ないと考えたからだった。

 序文で申し上げた阿部老中との秘められた特別な親交というのは、

 この虎寿丸救出成功にみる、

 歴史の表面には現れない男と男の友情があったことを言い、

 そのお陰で、

 私(加治木義博)も今、

 こうして皆様にお話できるのだと痛感している。

 けれども阿部老中もさらに用心深く、

 斉彬と親しい自分が手を貸したのではないかと、

 眼をつけられて薮蛇になることまで考え、

 万全を期するために、福山には滞在させずに、

 隣接する備後・笠岡に鳥越を落ち着かせた。

 (備後という名乗りは、これによる)

 これが薩摩隼人である鳥越家が

 笠岡人である理由なのだというお話で、

 鳥越家には今も、

 嶋津家の家紋がはいった色々な道具が残っているのだといって、

 ここに掲載した写真などを見せていただいた。

 こうして虎寿丸は安政二年七月二十四日、

 満六歳で死亡、として葬儀が行なわれた。

 彼がそのとき死ななかったという証拠は、

 まず、今も残る幼児用の椀である。

 彼以後に生まれた三人の妹たちは皆元気で成人して、

 手紙など多数が残っているが、

 彼以前の兄弟は、六人とも満三歳までに死んで、

 子供用の食器は必要がなかった。

 虎寿丸ひとりだけが六歳になって、

 座って一人で食事ができたのである。

 だから批素などを塗り込めた毒殺用の椀を警戒して、

 斉彬が作らせた子供用の椀はこれ以外にはない。

 それは今、私の手許にあるのだから、

 それ以後、転々とした隠れ家で使われて、

 記念のために保存されていたもので、

 それ以外には残っているはずがない。

 その後、虎寿丸は転々と移転を繰り返して

 久光派の魔手を逃れて行ったが、

 鳥越医師は阿部老中が辞任して福山へ帰ったあと、

 体調を崩した末期患者に名医の腕で仕えて、

 その最後を診とって恩に報いた。

 その時、福山の高名な観光地

 鞆の浦にある神社の森下宮司と親交が生まれ、

 のちに宮司が大阪に家伝の名薬

 『仁丹』の会社を設立して成功を収めたのにも

 大いに協力したといい、

 また私の父の遠縁にあたる森下博が養子に迎えられて社長になり、

 成功を収めたのも、

 虎寿丸が森下家と深く関わっていた縁(ゆか)りである。


 120 暗殺犯に気付いた御典医・鳥越憲伯
 《暗殺犯に気付いた御典医・鳥越憲伯
 「暗殺犯に気付いた御典医・鳥越憲伯

 121 暗殺事件ではなかった虎寿丸の葬儀
 《暗殺事件ではなかった虎寿丸の葬儀
 「暗殺事件ではなかった虎寿丸の葬儀
 
 122 尾を引いた内紛を断ち切った嶋津備後
 《尾を引いた内紛を断ち切った嶋津備後
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 『参考リンク』
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