2013年2月25日月曜日

古代史21世紀の研究課題:ムー大陸(ジェームズ・チャーチワード)



 出典:謎解き古代文明㈱彩図社・2011年



 「写真」チャーチワードらの主張する「ムー大陸」

 はるか昔、

 現在のサモアやイースター島、ハワイを覆う超巨大な大陸があったというが…。

 ●「ジェームズ・チャーチワードのムー大陸像

 それでは、ムー大陸とはいったいどのようなものだったのだろうか。

 まずは簡単にジェームズの主張をまとめてみよう。

 ジェームズによると、ムー大陸があったのは太平洋の中央部。

 島の面積は東西8000キロ、南北5000キロにも及んだといい、

 この数字が正しければ、

 ムー大陸は

 広大な太平洋(面積は約1億7970万平方キロ)の

 およそ4分の1を占めていたことになる。

 この大陸に人類が誕生したのは、少なくとも5万年前。

 最盛期には約6400万の人口を抱え、肌・髪・瞳の色が

 異なる10の民族が暮らしていた。

 しかし、人種差別などは存在せず、

 白人王ラームーを中心に民主的な生活が営まれていたという。

 ムー大陸の住民は優れた文化と高度に発達した学問を持っていた。

 なかでもとくに建築と航海の術に秀でており、

 アジアやヨーロッパ、エジプト、北米、南米の北部に17もの植民地を持っていた。

 大陸には7つの大都市があり、神殿や宮殿といった

 石造りの建造物が立ち並んでいた。

 なかでも首都ヒラニプラは壮観で、象牙や金、銀、錫、

 その他「火のような光を放つ不思議な金属」で建物が装飾されていたという。

 ●「太平洋に大陸はなかった

 では、太平洋にそれだけ巨大な大陸があった可能性はあるのだろうか。

 ジェームズはムー大陸に関係する場所として、

 太平洋に実在する地名をいくつか挙げている。

 そのなかでムーの首都「ヒラニプラ」かもしれないと主張したのが、

 ミクロネシア連邦にあるナンーマトル(ナンーマドール)遺跡である。

 ナンーマトル遺跡は、

 ポンペイ本島の南東に隣接するチャムエン島沿岸の珊瑚礁上にある92の人工島で、

 六角形や八角形の玄武岩柱を井桁状に積み上げて作られている。

 しかし、1980年代に行われたオレゴン大学による考古学調査によると、

 遺跡は500年から1500年ごろにかけて

 作られたものであることが判明しており、

 1万2000年前のムー大陸とはまったく時代が合わない。

 その他、候補に挙がっている場所も同様だ。

 チリ領にあり絶海の孤島イースター島もムー大陸と関係がある、などと語られるが、

 海洋地質学的な調査によって過去数万年以上にわたって沈下した形跡がないという。

 そもそも、ムー大陸が実在したとすれば、

 特有の安山岩質からなる大陸地殻が候補となった島々の周辺海域に

 沈んでいなければならないが、それも発見されていない。

 太平洋の海底にあるのは数千万年前からある玄武岩を主とする海洋地殻であり、

 太平洋中央部はずっと海だったのである。

 ※③ムー大陸と太平洋

 ジェームズによると、ムー大陸があつたのは、

 現在の地理でいえば北はハワイ諸島、西はマリアナ群島、
 
 南はポンペ(ポナペ)・フィジー・トンガークック諸島、

 最東南端にイースター島を含む地域。

 ムー大陸は1個の大陸ではなく、

 狭い水路で3つのエリアに分かれていたという。

 また、ジェームズは太平洋の半分以上を占めていたなどというが、

 そこまで大きくはない。

 ※④ムー大陸と人種差別

 邦訳では改訳されているが、チャーチワードの原著には

 [白色人種のほかに、黄色や黒い肌の人種もいたが、

  彼らに支配力はなかった]

 といった人種差別的な記述がある。

 ジェームズ自身は白人優越主義者であったと思われる。

 ※⑤ナンーマトル遺跡

 ミクロネシア連邦ポンペイ州にある。

 1595年、ポルトガルのペドローフェルナンデスーデ・キエロスが

 ポンペイ島を発見したときには、すでに遺跡であった。

 ドイツ・日本統治時代に調査が進み、戦後も発掘されている。

 島によって行政・祭祀など用途が違っていたと考えられている。

 塚田清実「ナン・マドール遺跡」

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