2013年2月18日月曜日

篤姫に対する将軍家の評価(2)



 『Yahoo!天気・災害』 

 ※出典:加治木義博言語復原史学会

 《篤姫に対する将軍家の評価
 「篤姫に対する将軍家の評価

 《スメル8千年
 「スメル8千年」246頁



 「写真」栄翁嶋津重豪著『鳥名便覧』(筆者蔵)

 篤姫の血族残らず巻き込んで渦巻いた、

 巨大なカタストロフィ

 「お由羅騒動」地獄について触れておこう。

 それは昭和のはじめ、

 まだ戦争の匂いにすら気付かない平和な国民を

 夢中にさせた毎日新聞の連載小説、

 直木三十五・作『南国太平記』の主題になった。

 この事件を宮尾さんは、こう観ている。

 「それを一人強く感じたのは、篤姫十二歳の秋、

 今和泉家が危急に瀕したときで、

 この弘化四年という年は本家の世にいう

 お由羅騒動の紛擾がようやく激しくなった頃であった。

 薩摩藩襲封をめぐって、

 世子の斉彬派と側室お由羅の方の腹に生れた

 久光を擁立しようとする派とに分れ、

 背後には二十五代重豪(しげひで)以来の深刻な財政難があり、

 四家や一所持ち分家にとって極めて過し難い

 不安定な時代だったといえようか。」

 「ここでお由羅騒動、一名嘉永朋党事件とも呼ぶ

  この紛争のあらましをのべておくと、……

  重豪は八十九歳まで長寿を保った藩主で、

  子女多く、

  その第二女茂姫は、徳川十一代将軍家斉夫人となり、

  一門栄え、ために栄翁と称された人である。

  進取豪胆の気に富み、

  若い頃からオランダ語を学び、

  外国の商館員と親交をもち、また驕奢を好み、

  薩摩藩の文化の基礎は重豪が作りあげたという説もある。」

 我が家に伝わる彼の遺品の中に、

 ここに載せた彼の著書『鳥名便覧』がある。

 文政十三年春に完成したもので、

 彼自身が全部調べて手書きしたもので

 四百十五種の和名、俗名、方言名、別名、

 原産地での原名、特徴、原産地、

 また、その名が謡曲などに登場して有名などと解説も書く。

 これを見ると、

 当時の人とは思えないほどの科学者的素質が見え、

 単なる浪費者だったとは思えない。

 では何に巨額の大金が使われたのであろう?

 126 御臺所篤姫誕生の前哨戦、栄翁の姻戚政略
 《御臺所篤姫誕生の前哨戦、栄翁の姻戚政略
 「御臺所篤姫誕生の前哨戦、栄翁の姻戚政略

 127 財政を救った「悪役」調所笑左衛門の名
 《財政を救った「悪役」調所笑左衛門の名
 「財政を救った「悪役」調所笑左衛門の名

 128 調所は悪人どころか明治維新の恩人
 《調所は悪人どころか明治維新の恩人
 「調所は悪人どころか明治維新の恩人
 

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