2010年6月7日月曜日

水行十日の到着点


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    168~170頁


 
 こうして<伊都>と<奴>との実体が明らかになり、

 この二国が本来同じものであったことを知ると

 「伊都から」「いや不弥から」という論争の

 無意味なことがよくわかる。

 だが念のためにもう一つ確かな証拠を御覧にいれておこう。
 
 それは陳寿が骨組みとして利用したもののうち、

 <広志逸文>にみられるものである。

 それには<奴>も<不弥>もなくて、

 はっきり「伊都、南へ邪馬臺国に至る」と書いてある。

 陳寿はただ新らしく得た情報を、

 こうした骨組みの上に、

 忠実な史家として、

 伊都国の部分に書き加えるという作業をしただけで、

 本当の事情を詳しく知らない彼が、

 それを道程に加えようとしたものでないことは、

 今となってみれば明らかである。

 それは舌たらずな部分的情報でしかなかったから、

 彼としてもそれ以上の注釈ができなかったのである。

 ここで水行十日で一体いまのどこへ行くのか?

 ということを検討しておこう。

 この表現が何kmを意味するかは、

 船の遅速によって随分変るから今の段階では

 他に算出資料を求めなけれはならない。

 倭人章その他には

 「郡から女王国まで万二千余里」という記載がある。

 これを使うと、伊都国までが一万五百里だから、

 残り千五百里で女王国に着くということになる。

 牛津から83km強の位置は

 熊本県の<八代>と<天草上島>の北端を結んだ辺りになる。

 これに比べると熊本は近かすぎて、

 首都になり日本になったのは後世で、

 女王国ではあり得なかったことを示している。

 <八代>か上島かが上陸点ということになるがどちらであろう。

 記事には「水行十日陸行一ヶ月」という指示がある。

 これを

 A.水行しても隆行しても行けるという意味とする者と、

 B.水行して上陸点から一ケ月という者とがあるが、

 これまでは水かけ論に終っている。しかし、

 この記事は、私たちには役にたつ。

 A.上島は陸行では行けない。

 B.上陸点から一ヶ月もかかる大きさをもっていない。

 どう解釈しようと上島ではあり得ないことを、

 はっきり示している。

 かりに<天草>だとしても同じことである。

 これに対して<八代>は、

 一見して<山代>~<邪馬臺>に近い名をもっている。

 それが何を意味するかは次著に譲るが、

 上陸点はこれで確定したのである。

 私たちは海退がはじまる前の<牛津の浜>から、

 波静かな<有明海>を南に進む。

 目的地は<八代>である。

 それにしても、これは何という恵まれた水路であろう。

 すぐ西には荒れ狂う<黒潮>が

 波を噛んで北上しているというのに、

 ここだけは別天地である。

 倭人章を信頼して、その記事通りに進んだ私たちは、

 そのコースが、この恵まれた安全な水路、

 パーリ語でいう<ソチ>の海路に

 導びくためのものであったことを、

 痛感しないではおれない。

 それは交通路としても文字通り幸(サチ)の海であったのである。

 だが、いくら当時でもこの距離に十日もかかったろうか?

 という疑問が残る。

 帆船による船旅がどの程度のものか、

 今少し調べておかねばならない。

 「コラム:三つの情報源」(加治木原図)

 <倭人章>と<魏略>と<広志>を比較すると、

 図のように三つの異なった情報を

 プラスしたものであることが明瞭になる。

 二つの逸文記事は道程表であるが、

 それに附加した最後のものは伊都国起点の距離表であって、

 全く性格の異なったものであることが一目でわかる。

  「魏略逸文:道程表」

     7000余里    1000余里   1000余里    1000余里   500里
 <帯方郡>──→<狗邪韓国>──→<対馬国>──→<一支国>──→<末盧>──→<伊都国>


 「広志逸文:道程表」

     500里
 <倭国>────<伊都国>────→<邪馬臺国>


 「魏志または倭人:距離表」

                100里
               ┌───<不弥国>
          <伊都国>─┤100里 
           │ │  └───<奴国>
                陸行│ │
         一月│  │ 水行
         水行│  │二十日
                 十日│  │ 
       <邪馬臺国><投馬国>



 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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