2010年6月11日金曜日

石体高千穂宮と鬼道(1)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    181~185頁

 
 この<鹿児島神宮>は現在は、姶良郡隼人町字宮内にある。

 この本宮からかなり離れた位置に摂社「石体神社」があり、

 神功皇后が祭神で安産の神様として婦人の参拝客が多いという。

 ここが<鹿児島神宮の元の宮跡>であるというから、

 正八幡宮はこの位置にあったわけである。

 そしてここはまた<彦火火出見尊>の

 <日向高千穂の官の跡>としても知られている。

 <彦火火出見の尊>という名は<神武天皇>の一名でもあったことを

 考えると、

 この<石体>は今の字であって、

 古字では<石體>と書かれたはずであるから、

 この<體>は本来「體」または「醴」で

 あったのではないかと考えられる。

 これらはすべて「レイ」の音をもっているからである。

 <レイ>にこだわるのは、

 <神武天皇>も<神功皇后>も<イハレ>に深い関係があるからである。

 神武天皇の称号が神倭<伊波礼>(イハレ)比毘古命(記)で、

 その兄の五瀬命らと、

 <高千穂の宮>で東征を計画したとあるから、

 二重にこの<石礼>(イハレ)が問題なのである。

 神功皇后は<磐余(イハレ)の稚桜の宮>に都して

 100歳でそこで崩じたとある(紀)。

 この稚桜(チオウ)の宮は<チオの宮>で、

 <千穂の宮>と同じであった可能性がある。

 なぜなら、今<高千穂の宮跡に祭られている>のは、

 <神武天皇>でも<彦火火出見尊>でもなくて、
 
 <神功皇后>だからである。

 <オ>と<ホ>がちがうという方は、<大>という字は

 <オオ>とも<オホ>とも発音されて、

 別に不思議でもないという事実を考え合わせて戴きたい。

 また、ここには大石が二つに割れたところ、

 そこに聖なる文字が現われたという伝承があったことを、

 <日蓮上人>が書き残している。

 <石割れ>はすなわち<イハレ>であって、

 地名と深い関係のある伝承なのである。

 天尊降臨、海幸山幸、神武東征、神功皇后、応神天皇。

 日本の建国を彩どる神話伝承歴史が、

 すべてこの宮趾の一点に集中するばかりでなく、

 新羅をはじめ三韓の故地もまたここであった。

 そして<邪馬臺国>もまたここ以外にはあり得なかった。

 しかし真実は埋もれて千有余年。

 ただ小祠が森深いところに、ひそかに静まりかえるばかりである。

 さらに<イハレ>とよまれてきた<磐余>は、

 <磐>は古来<ハ>という音に用いられ、

 <余>は<レ>よりも<ヨ>に用いられるが、

 <ヨ>は<夜>、<陽>、<羊>などが<ヨ>と<ヤ>の

 双方に発音される通り、<ヤ>と<方言化>する語であるから、

 <ハヤ>という読み方の方が<イハレ>より自然である。

 それは<隼人>の<ハヤ>であることは明らで、

 <ハヤト>の<トは<磐余>に都すると書かれた<都>の音、

 <ト>であると考えると、<隼人>とは<磐余都>に対する

 当て字であったことになる

 (<陽胡>(ヤコ)、<扶羊>(ハヤ)、<昆陽>(コヤ)など)。

 隼人の語源については様々な説があるが、

 その歴史と発音が一致する点で、

 これも動かない証拠をもっているのである。

 「写真:日向の高千穂の宮趾」(加治木原図)

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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