2010年6月28日月曜日

同じ名の捜査システム

 出典:加治木義博:言語復原史学会
    『魏志倭人章』詳解1
    垂仁天皇の邪馬壹国
    69~70頁


 『魏書倭人章』と『記・紀』との官名・人名には、

 互いに方言差があることがお分り戴けたと思う。

 そのことを頭において双方を比較して見ていくと、

 かなりの精度で元は一同じ名前だったと分るものを

 見つけることができる。

 母音が多少ちがっていても、

 子音がほぼ同じ順序で並んでいるものを、

 捜せばいいのである。

 「ほぼ」というわけは、『記・紀』の中の名前には、

 いろいろな助詞(「ノ」とか「ヌ」とか「ツ」とか「ガ」

 といった「…の…」に当たるもの)が、

 間に付け加えられたものがあるから、

 その分だけ原名と、合わなくなっているからである。

 例えば「伊声耆」に合う官名は、

 「五十狭芹彦」と「五十狭茅」など幾つもあるが、

 前者は<イサキンヒコ>。後者は<イサチ>と別の名のように見える。

 しかし沖縄方言で「キ」は「チ」と

 発音されることを知っていると、

 「イサキ=イサチ」で、この部分までは同じであることが分る。

 間題はその次の「ン」である。

 これは助詞の「ノ」を南九州方言で「ン」と発音するので、

 その助詞である可能性が高い。

 そこで他にも同じ例がないか調ペてみる。

 あれば助詞であるから本名とは無関係な、

 任意に挟まれた「余分な音」として無視してよく、

 なければ固有のものとして、前者と後者を厳密に区別して、

 この二つの名は全然別物で無関係だということになる。

 この官名の場合は同じものが沢山見つかる。

 「天日矛」は「あめ・ノ・ひほこ」と

 <ノ>をいれて発音するが同じ例は多数ある。

 「武埴安彦」は分析すると「

 安彦」は「兄彦」を意味していることが確定する。

 兄は古音「ア・エ」で、

 助詞の「ノ」の方言「ン・ヌ・ニ」がついて

 「アン・エヌ・アニ」と変化したものである。

 だから彦の前の「ン」は助詞である。

 これも「○○<ノ>命」のように称号の前に

 助詞をつける習慣の方言化で、決して例外ではない。

『魏書東夷傳倭人章』

 官名・人名発音比較リスト:Bernhard Karlgren 氏中古音

 日本の『記・紀』万葉時代の古音:『記・紀』の該当者名

  (原名)      (B・K氏中古音)      (日本の8世紀音) (『記・紀』の該当者)

 卑狗     ピーコー        ピコ       日子・比古・彦

 卑奴母離   ビーノモーリー     ピナモリ     夷守

 爾支     ジーチ         ジチ       直(ジキ)・日子(ジツ)木(チ)

 泄謨觚      ヤィモークォ      ヤリボコ     (槍矛=八千矛)

 柄渠觚   ピューコクォ      ピホコ      天の日矛

 兕馬觚   ヂマクォ        ジマカ(ン)    田道間守

 多模        タモー         タモ       田裳見宿弥(見=耳)

 弥弥    ミェミェ        メメ       遠津年魚眼眼妙媛

 弥弥那利  ミェミェナリー     ミミダリ     耳垂

 伊支馬      イチーマ        イキマ      活目入彦五十狭茅
 弥馬升   ミェマシャング     ビバス      日葉酢姫

 弥馬獲支    ミェマクァッチー    メマクワシ    遠津年魚眼眼妙媛

 奴佳鞮   ヌカディー       ヌハダイー    沼羽田入比売

 狗右智卑狗 コウチーピーコー    コウチヒコ    武殖安彦

 大倭        ダイワ         オホヤマト    大日本

 卑弥呼   ピーミェクォ      ピーメヲ     倭迹迹日百襲姫(姫王)

 難升米      ナンシャングミー    ヌンシェンビーチ 武渟川別 

 都市牛利  トヂギャーンリー    トチギイリ    豊城入彦

 伊声耆   イシャンギー      イッサンキン   五十狭芹彦     

 掖邪狗      ヤヂャカウ       ヤジャク     八坂王(八尺入彦)

 卑弥弓呼素  ピーミェキウンクォソ  ピメキウーンカソ (姫木王の父)

 載斯烏越  ツァイシゥオジューブツ タアシオジロベツ 大足彦忍代別

 壹与     イェチゥオー      イチヲー     倭姫命(市王) 


 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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