2010年6月5日土曜日

渡海とピタゴラスの定理(2)


 出典:加治木義博:言語復原史学会
    邪馬臺国の言葉
    コスモ出版社
    160頁

 
 しかし念のために、この記録は<魏人>の手になるものであり、

 <倭人>とちがつて方位に暗らかったかもしれない。

 と考える方のために、

 当時の中国の方位知識について少しふれておこう。

 孔子の<詩経>や<春秋>をよめば、

 紀元前776年にさかのぼる日食記事があるが、

 それらはすべて事実と一致する。

 また先にも話したが今から三千五百年ばかり前の国とされる

 商(殷)代の発掘品中には、

 <甲骨文字>や<銅器文字>があって、

 当時すでに<干支>で日時が表記されている。

 <干支は方位をもとにして生れた>もので、

 天周を12等分したものが<十二支>であり、

 それが時間や月の6進法のもとになっていることは

 周知のことである。

 ことに五行説などの影響で中国では方角に深い関心をもっていた。

 魏使が方位を間違うなどと想像する方がオカシいというほかない。

 「図:商代の十干文字」

    甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸

 『参考』

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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