2011年5月6日金曜日

巨大「貝貨産業地帯」沖縄文化圏


※出典:加治木義博:言語復原史学会
日本国誕生の秘密 106~108頁
㈱徳間書店




沖縄は世界最大の「貨幣」生産国だった時代が、縄文時代から7世紀ごろまで続いていました。

その貨幣とは「宝貝」のことなのです。

しかし日本でも8世紀初めに「和銅」が生産されるほどに金属貨幣が普及すると、もう貝貸は開発の遅れた深い山地に隔離されて住む人たちぐらいしか、使わなくなってしまいました。

すでに超大国・中国が金属貨幣時代に入って、弥生初期までに顧客名薄から消えていました。

転業を余儀なくされた人々は新たな産業「水稲栽培」に切りかえて、南九州を足がかりに本州へ、四国へ、朝鮮半島へと移動したことがわかる跡が残っています。

だから鬼界島など、当時の沢地利用型の水稲栽培に適しなかった島々には、取り残された脱落者しか住んでいなかったのです。

でも、寂れはてていたからといって、その鬼界島が「貝の国」の中心だったという事実を見落してはなりません。

「貝」は鹿児島語ではカイではなくて「ケ」と発音します。

だから「ケ人」に「貝人」と当て字した者も当然います。

しかしこれは鹿児島語を話す人のいない土地では「カイ人」と発音されます。

『日本書紀』をみると、この「カイ」に「蝦夷」という当て字が使ってあります。

そしてこれまではそれを「エミシ」と読ませていました。

ところが「毛人」と書いてもやはり「エミシ」と読めというのです。
これで『日本書紀』の編集者たちは、「ケ人」と「カイ人」とが同じ人たちだとよく知っていたことがわかります。

ついでにいえばこれまで、この蝦夷・毛人とは、今のアイヌの人たちだということになっていました。

それならアイヌの人々はカリエン人やギリシャ系の人々だということになります。

事実、アイヌ語にはカリエン語と共通のものがたくさんあります。


「写真」タカラガイ=宝貝
上・カジキダカラ
下・左から キイログカラ ハナマルユキ ハナビラダカラ
下の3つは貝貨として使用された宝貝。
キイロダカラはハナビラダカラ100個分。
ハナビラダカラはハナマルユキ10個分に相当した。
今の10万円、千円、百円である。
カジキダカラは現在まだ世界で1個しかない珍しい最高の宝貝種本。ほぼ実物の60%大。



『検索』

『参考』
ウワイト(倭人)ウバイド        
歴史学講座『創世』うらわ塾         

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書

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