※出典:加治木義博:言語復原史学会
日本国誕生の秘密 244~230頁
㈱徳間書店
「もと光る竹」
「もとになったお話」
「鹿児島で生まれた物語」
「赫夜姫(かぐやひめ)の成人と求婚者たち」
「赫夜姫の運命と嘆き」
「赫夜姫、月世界へ行く」
「他のおとぎ話との結びつき」
「もと光る竹」
『今は昔、竹取の翁(おきな)といふ者ありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、
よろづのことに使ひけり。名をば、さかきの造(みやっこ)となむいひける。
その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。
あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。
それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうてゐたり。翁言ふやう、
「われ朝ごと夕ごとに見る竹の中に、おはするにて、知りぬ。
子となり給ふべき人なめり。」とて、
手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻の嫗(おうな)に預けて養はす。
うつくしきこと限りなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ』
古文は少し面倒ですが、内容も文章も夢みるように美しい物語です。
紫式部も日本で一番古い物語だと『源氏物語』に書いています。
こんな美しいお話は、一体、いつ、どこで生まれたのでしょう……?
昔の人だって、本当に、竹や桃の中から子供が生まれるなどとは、
信じてはいなかったに違いないと思います。
ごく普通のことなら、誰だって不思議がったりしないし、こんな物語が残るはずがありません。
信じられないからこそ面白く、聞かれたり読まれたりしたので、
それは今のUFOのお話のようなものだったのです。
では根も葉もない、まるっきりの「作り話」だったかというと、
物語のあらすじは、もう確かめたように「史実」にもとづいているのですから、
植物から生まれた子というのは「たとえ話」だとわかっています。
もちろん、最初に見た文章は後世の文学作品で、原話そのままではありません。
文章も洗練されているし、新しい思いつきや脚色が、たくさん追加されていて、
もとの「たとえ話」とは非常に違ったものになっています。
そうした脚色部分を取りのぞくと、この物語は本当にあった歴史上の事実を、
後世に伝えようとする一種の「暗号」だったとみなければなりません。
「もとになったお話」
『今昔物語』の中にも同じ話がありますが、それは少し違っています。
よくご存じのように、赫夜(かぐや)姫に結婚を申しこんだ貴公子たちを、
あきらめさせるために姫は、
現実にはとうてい手に入らないものを見つけてほしいと難題を出します。
その出題がとても違っているのです。
『今昔物語』 1 空に鳴る雷(かみなり)
2 優曇華(うどんげ)の花
3 打たないのに鳴る鼓(つづみ)
『竹取物語』 1 天竺(てんじく)の仏の石鉢
2 蓬莱山(ほうらいさん)の玉の枝
3 唐土の火鼠(ひねずみ)の皮衣(かわごろも)
4 竜の首の五色の玉
5 燕(つばめ)の子安貝(こやすがい)
この二つを見ただけでもずいぶん違っていることがわかります。後のほうが、
ずっと脚色が増えているので、新しいことがすぐわかります。
そして、もっと古いものになると、この難題もありません。
『曽我物語』や『海道記』、それに謡曲の『富士山』などに入っているものは、
竹藪の中でウグイスの巣を見つけると、
その卵から美しい女の子が生まれる話になっていますが、
天皇が皇后に迎えようとすると、それを断わって天に昇っていった。
というだけで、貴族たちの求婚も難題もなくて、ただ天皇の求婚だけという単純なものです。
この『鷺姫』はだれが作り変えて広めたお話か教えてくれる本があります。
『桂川地蔵記』という本では、巫女(みこ)が話し手になっていますし、
『臥雲日件録(がうんにっけんろく)』という本では、座頭(ざがしら)の城呂が物語った、
と書いてありますから、
総合してみますと、
もとの話は巫女や座頭といった人々が話して歩いた、宗教の「説教」だったことがわかります。
「鹿児島で生まれた物語」
「座頭」というのは、
あんまなどを職業にする盲人のことだと思われていますが、
「座」というのは「銀座・金座・楽座」という名でもわかるように、
大規模な商工業組織のことで、「座頭」とはその「頭取」のことだったのですから、
本来はその文字が示す通り、非常に高い地位の「官位」で今でいう肩書きだったのです。
そんな彼らの官位は勝手に自分で名乗ったのではなく、
全て鹿児島神宮が授けたもので、
それによって全国的に「座=企業」を開き、八幡信仰を広めて歩いていたのです。
巫女(みこ)もまた同じことで、最初はやはり鹿児島神宮から全国に派遣されていました。
あなたは、源義経との悲恋で有名な、
静御前(しずかごぜん)をよくご存じだと思いますが、彼女もその巫女の一人でした。
彼女はそのうちの歌や舞いで人々を集めて説教をする
「白拍子(しらびょうし)」と呼ばれた舞姫です。
彼女は鶴岡八幡宮の神前で、頼朝の命令で舞(まい)を舞いますが、
それは彼女が八幡につかえた巫女だった証拠です。
彼女らは旅を続けながら信仰を広めて歩いたので、
「歩き巫女」とも呼ばれていました。
古代には書物の代わりに、
歴史や重要な知識を記憶して話す「語部(かたりべ)」という職務を持った人々がいて、
彼らが物語った話が『古事記』と『日本書紀』とになったとされていますが、
その中の「日向神話」を伝えたのは、間違いなく鹿児島神宮の語部たちだったのです。
その鹿児島神宮は卑弥呼や壹與(イチヨ)がいた「姫木」と同じところにあります。
これで『竹取物語』や『鶯姫物語』は、もとは鹿児島神宮で生まれた物語だったことが、
おわかりになったと思います。
こうした布教活動は、後には和歌山県の熊野にある熊野三社の熊野信仰や、
当時の都・京都周辺の比叡山、三井寺などにも広がり、
鹿児島神宮のものばかりではなくなりましたが、
それ以前の古い伝承は、鹿児島で生まれて広く全国に伝わったものなのです。
「赫夜姫(かぐやひめ)の成人と求婚者たち」
それではもう少し、ところどころ原文を挟みながら、あらすじを見ておきましょう。
「竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけてのちに、竹取るに、節をへだてて、
よごとに黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて翁、やうやう豊かになりゆく」
赫夜姫(かぐやひめ)を見つけてからは、金(きん)の入った竹が次々に見つかったので、
翁の家は財産家になっていった、というのである。
また赫夜姫も「この稚児、養ふほどに、すくすくと大きになりまさる。
三月(みつき)ばかりになるほどに、よきほどなる人になりぬれば、髪上げさせ、裳(も)着す。
帳のうちよりもいださず、いつき養ふ。
この児のかたち稀有(けう)らなること世になく、屋のうちは暗きところなく光り満ちたり」。
姫はどんどん大きくなって、三カ月ほどで立派に一人前に成人した。
そこで成人したしるしの「髪上げ」や、大人用の着物を着る
「裳着(もつけ)」をして成人式を済ませたが、部屋からも出さないほどに大切に育てていた。
しかし姫の美しさは並外れていて、家の中は光りが満ち満ちて、
暗いところがないくらいだった、というのである。
その噂はたちまち都じゅうに知れ渡った。
ひと目でもいいから合わせてほしい、という申し込みが殺到したが、姫は誰にも会わない。
すると努力家の貴族の子弟たちが、自分が独占しようと思って、結婚を申し込んできた。
これも姫は全部、断わったが、5人の貴公子があきらめずに、
なおもしつこく翁たちを責めたてたので、とうとう姫も困って、
「それなら私の欲しいものを持ってきてくれた方と結婚します」と約束してしまった。
そしてそれぞれの相手に、先に比較したあの難題の品物を、
プレゼントしてくれるうにといいつけたのである。
石作(いしきつくり)の皇子(みこ)には、「仏様の石の鉢」。
車持(くるまむち)の皇子には、蓬莱山に生えているという「珠玉の樹の枝」。
右大臣・阿部御連(あべのみむらじ)には、絶対に火に焼けない中国産の「火鼠の皮衣」。
大納言大伴御行(だいなごんおおとものみつら)には、竜の首に光る「五色の玉」。
中納言石上麿足(ちゅうなごんいそのかみのまろたり)には、
燕が子育てのお守りにしているという「燕の子安貝(=タカラガイ)」である。
もともと、この世に実在しないものばかりなのだから、手に入るはずはないが、
恋に日のくらんだ5人は、大金を使い、大勢の人を使い、
自分でも必死になって奔走して、それを求めては失敗する。
その、地位の高い人間の、無知と、愚かさと、一喜一憂と、失敗とが、
読者の笑いを誘うのだが、結局は予想通りみな失敗に終わって読者をさらに喜ばす。
すると、その噂を聞いた、ときの帝が迎えをよこす。
しかし姫は勅使がきても会わない。
そこで帝は代わりに翁を宮中に呼んで宮仕えを命令しようとしたのだが、
姫はそれも断わってしまう。
しびれを切らした帝は、そこで鷹狩りを口実にして出かけ、
彼女の家へ直接、立寄って無理やりにでも宮中へ連れて帰ろうと計画する。
ところが……そうは行かなかった。
赫夜姫は自分の意思で求婚を断わっていたのではなくて
自分はこの地上には永くいられないことを知っていたからなのである。
「赫夜姫の運命と嘆き」
『葉月(はづき)・望(もち)の日ばかりの月に、出で居て、赫夜姫いと痛く泣き給う。
これを見て、親どもも、「なにごとぞ」と問ひさわく。
赫夜姫、泣く泣くいふ、
「さきざきも申さむと思ひしかども、
かならず心惑ひし給はむものぞと思ひて、
いままで過し侍(はべ)りつるなり。
さのみやはとて、うち出で侍りぬるぞ。
おのが身は、この国の人にもあらず。
月の都の人なり。
それを昔の契(ちぎ)りありけるによりなむ、
この世界には、まうで来たりける。
いまは帰るべきになりにければ、この月の十五日に、
かのもとの国より、迎へに、人々まうで来むず。
さらずまかりぬべければ、思しなげかむが悲しきことを、
この春より思ひなげき侍るなり」と言ひて、いみじく泣くを、
翁
「こはなでふ事のたまふぞ。竹の中より見つけきこえたりしかど、
菜種の大きさおはせしを、わが丈たち並ぶまで養ひたてまつりたる我子を、
なに人か迎へきこえむ。まさに許さむや」と言ひて、
「われこそ死なめ」とて、泣きののしる事、いと、耐へがたげなり』
[現代語訳]
旧暦の八月半ばごろのこと、部屋から出て翁たちと月を見ながら姫はたいそう泣いた。
親たちは驚いて「どうしたの?」とたずねた。
赫夜姫は泣きながら答える。
「以前から申し上げようと思いながら、きっとお悩みなると思って、
今日まで過ごしてまいりましたが、もう、そうもしていられませんので、
本当のことをお話し申し上げに出てまいりました。
実は私は普通の人間ではありません。
月の都の者なのです。
それが前世の因縁によって、この世界にやってまいったのです。
ところが、とうとう帰る時がきてしまいました。
今月十五日には、月の国から迎えの人々がやってくるはずです。
そうすれば私は行かなければなりません。
それをお話しすれば、父上母上が考え悩まれると思うと、それが悲しくて、
この春から、思い苦しみ悩んでおりました」といって、
また激しく泣いたので、
翁は
「これは何いうことを、いわれまする。
貴方さまを竹の中でお見つけした時は、菜種の実のようにお小さかったのを、
今は私と背丈が並ぶまでに、大きくお育てしたのです。
その我が子同然の方を、勝手に迎えにきて連れていく権利が、
一体だれにあるのですか、絶対にそんなことは許せません」といい
「それくらいなら、いっそ私のほうが死にたい」と泣きわめく有様は、
余りの辛さに、とても耐えられない悲しみようだった。
「赫夜姫、月世界へ行く」
そして翁は迫ってくるその日に備えて、門という門、戸という戸を全部しめ切り、
姫を一部屋に閉じこめて、一歩も外へ出さなかった。しかし、その日はすぐにやってきた。
その夜、十五夜の月が空に昇ると、
そこから美しい牛車をとり囲んだ大勢の天人たちが現われて、
まっすぐ赫夜姫の御殿目がけて下ってきた。
そして天人の一人が翁に、姫を連れて帰ると告げた。翁は答えた。
『「赫夜姫を養ひ奉ること、二十年あまりになりぬ。
片時とのたまうに、あやしくなり侍りぬ。
また異所に赫夜姫と申す人ぞ、おはすらむ」といふ。
「ここにおはする赫夜姫は、重き病をし給えば、えい出おはしますまじ」
と申せば、その返事はなくて、屋の上に飛ぶ車を寄せて、
「いざ、赫夜姫。汚きところに、いかでか久しくおはせむ」といふ。
たてこめたる所の戸、すなはちただ開きに開きぬ。
格子(こうし)どもも、人はなくして開きぬ。
嫗いだきて居たる赫夜姫、外に出でぬ。
え止むまじければ、たださし仰ぎて泣きおり。
竹取、心惑ひて泣き伏せるところに寄りて、赫夜姫いふ、
「ここにも心にもあらでかくまかるに、昇らむをだに見送り給へ」 といえども、
「何しに悲しきに見送り奉らむ。
我をいかにせよとて捨てて昇り給ふぞ。
具して率いておはせね」
と泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。』
[現代語訳]
……翁は答えていった。
「私は赫夜姫を二十年余りも養っています。
それなのに、貴方は「片時」だといわれます。
それでは、うちの姫かどうか疑わしい。
どこか別のところにも別の赫夜姫という方が、
いらっしやるんじゃありませんか?。
うちにおいでの赫夜姫は今、重い病気にかかっていて、
とても貴方と一緒には、おいでにはなれますまい」と、
いったのだが、天人は、それには返事もせずに空飛ぶ車を姫の部屋の屋根につけて、
「さあ、赫夜姫。汚いところに、何故いつまでも、おいでになるのです?」といった。
すると、閉め切った戸が全部、ひとりでに開き、格子戸も人が開けないのにガラガラと、
全部ひとりでに開いてしまった。
そこで嫗(おうな)と別れを悲しんで抱きあっていた赫夜姫は、外へ出た。
嫗は止めるすべもなく、ただ見上げて泣くばかりだ。赫夜姫は、
泣き伏している翁のそばへ歩みよって、
「私も、お別れしたくないのに、
無理やり連れて行かれるのですから、
せめて天に昇って行く間だけでも見送ってくださいね」と頼むのであったが、
翁は、
「どうして悲しいのに見送れまするか。
私を見捨てて自分だけ天に昇るなんて、
一体、そのあと私はどうすればいいのかわかりません。
ぜひ一緒に連れていってくだされ」
と泣き伏したので、いったんは月世界へ帰る決心をしていた赫夜姫も、
また決心が鈍って、行こうか止めようかと、迷い悩むのであった。
しかし結局、宿命には逆らえない。
赫夜姫は真っ赤に目を泣きはらしながら、天人に連れられて天へ昇っていってしまった。
「絵:竹取物語絵巻」
天からの迎えの車が来た場面。
門のまわりには鎧武者が警備しているが、
何の役にも立たない。
屋内では翁たちが嘆き、縁側では貴族が天からの使者に懇願しているが、
すでにかぐや姫が雲の上の車の中にいる。
江戸時代初期の作品(東京大学蔵)
「他のおとぎ話との結びつき」
この物語にはいろいろな種類があって、それぞれ脚色が違いますが、
富士の噴火と結んだものでは、姫は昇天の萱に、帝に不老不死の薬を残していきます。
すると帝は残念がって、それを焼けば、もう一度、姫に会えるのではないかと、
天に一番近い富士山の頂上で、その薬を焼きました。
しかし姫には再会できないで、その煙だけがいつまでも尽きずに立ち昇っていました。
そこで「不尽山=フジの山」と呼ばれるようになった、
と富士山の語源と煙が立ち昇るわけの説明になっていました。
この部分は浦島太郎が、乙姫にもらった玉手箱を開けると煙が立ち昇ったが、
乙姫には再会できなかったというお話と、全く同じモチーフであることにご注意ください。
また赫夜姫はもともと天人でしたが、何かの罪を犯したためにその償いに、
一時、人間の世界におろされて、ふたたび天に戻るのだという説明もあります。
この部分はご存じの『羽衣』の物語と共通です。
『鴬(うぐいす)姫】の場合は、もともと「鳥」だったということになり、
『白鳥の湖』など世界中に分布している
『白鳥伝説』から「脚色材料」を得たと考えることもできます。
また九州の言葉では助詞の「……の」を「……ン」と発音しますから、
「フジン山」を「フジの山」と解釈したのは九州人だということもわかります。
「フジン山」は他の方言では
「婦人山」か「夫人山」と聞こえて「富士の山」にはなりません。
仮に二つとない山という意味で「不二山」という名が先についていて、
その説明のために、この「不尽山」の話を作ったとしても、
やはり九州方言を話す人が、
助詞の「ン」を間に挟まなければ「フジン山」にはなりません。
このことはこの物語の最初の語り手が、
やはり九州人だったことの動かない証拠だといえましょう。
『検索』
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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