※出典:加治木義博:言語復原史学会
日本国誕生の秘密 136~138頁
㈱徳間書店
ソナカは任那(ミマナ)・意富加羅(オオカラ)・新羅(シラギ)の王子と
『日本書紀』の[崇神・垂仁両紀]に書かれていますが、
それらは四~五世紀にできた国々で卑弥呼当時にはありませんでした。
彼は一体どこからきたのでしょう?。
ミャンマーから東南アジアにかけて、非常に大きな仕事をなしとげ、
彼の名とぴったり同じ名をもったソナカ王子という人がいました。
このお話はあのアレクサンドロス大王のインド東征にまでさかのぽります。
アレクサンドロス大王がインド西北部を占領して
戦勝祝賀式を挙げたときマカダ国王に任命された
チャンドラグプタは、たいへんな名君になり国を繁栄させて、
アレクサンドロスの死後、
ペルシャ皇帝になったセレウコスの王女を妻に迎えました。
その孫が有名なアショカ王なのです。
王は戦争に明け暮れたあと悟りを開いて、
世界平和を願って仏教を全世界に広めようと思いたち、
四方に大掛かりな「宣布団」を派遣しました。
西はギリシャ、エジプトまで行きましたし、
北はヒマラヤを越えてタクラマカン砂漠周辺の慶普雀耶などまで、
東はミャンマー、タイ、ベトナムから台湾までを
仏教の国々に変えて行きました。
出発は紀元前244年でしたから、
卑弥呼の時代に到るまでにその王位は次々に子孫に受け継がれ変わりましたが、
その姓はずっと「ソナカ」で変わりなく、
少女卑弥呼を追って日本列島へやってきたソナカは、
その王家の王子だったのです。
その名はいろいろに当て字されて幾人もの天皇の名前になっています。
「崇神天皇」は、御真木入彦という名乗りですが、
「御」は沖縄語では「ウ」、「真=シン」で「ウシン」ですが、
これは南九州語では「牛の」です。
それに「木」がついて「ウシキ」です。
牛は朝鮮語で「ソ」、「の木(コ)」は沖縄語で「ナカ」になります。
「アリシチ」も「入彦=イリヒコ」と合います。
沖縄語では<ア>が<イ>になります。
<ヒ>と<シ>が入れ替わるのも鹿児島や関東語のくせです。
また沖縄では<キ>を<チ>と発音しますから「木」と書いてあると
「チ」と発音しますし、鹿児島では木は「コ」と発音します。
<アリシチ>と<イリヒコ>は同じなのです。
仲衷天皇の名乗りはもっとよくわかります。
「足仲彦」です。
この天皇の妻が有名な神功皇后ですが、
その名乗りは「息長帯姫」です。
この二つをよく観察しますと、
<足>と<息>はどちらも「ソク」、<仲>と<長>は「ナカとナガ」で、
平安時代の清音なら同じ「ナカ」です。
これを別々の名と見るより、
夫妻は同じ姓だったと見るのが良識というものでしょう。
「ソクナカ」では何のことかわかりませんが、
<足>と<息>は当て字ですから、<ソ>の発音に当てることも可能です。
すると「ソナカ」が二人の姓だったことになり、
<ヒコ>は<シチ>と同じものですから、
「ソナカシチとその妻」という名乗りが復元できるのです。
<写真:アショカ王の残した宝塔>
インド各地で今世紀初めになって発見された当時の写真。
今はそれぞれ博物館に 収蔵されている。
この柱に紀元前250年代の記録文が彫られていたので、
アショカ王や宣布団の事跡が細かく確認されたのである。
<写真:初期仏教宣布地図>
北:マガダ→チベット→蒙古
北・東:大月氏国→西域諸国→前漢・東晋→高句麗→新羅
↑ ↓ │
東: マガダ→ミャンマー→タイ→カンボジア │
↓ ↓
大和→シュリ=沖縄→百済→ 倭国
↑
フィリピン
↑
ボルネオ
↑
南:マガダ→スリランカ→シュリ・ビジャヤ=インドネシア→ジャワ
卑弥呼の仏教がどのコースを通って日本にやってきたかということは、
到着点の沖縄の首府が「首里=シュリ」という地名を
残しているので一目瞭然にわかる。
その南西をみるとインドネシアの「シュリ・ビジャヤ」に
大仏教遺跡があり、
さらにその西にインド最大の仏教国「スリランカ」があるからである。
その布教団長は「ソナカ=Sonaka」で目的地は
「スヴァンナ・ブーミー=Svannabhumi=黄金地帯だった。
ソナカ女王である神功皇后が「金銀彩色多く眼輝く宝の国」を
目指して遠征したのは、この目標を受け継いだことの記録で、
この部分の皇后は卑弥呼と壹與に当たる。
『検索』
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
0 件のコメント:
コメントを投稿