※出典:加治木義博:言語復原史学会
日本国誕生の秘密 257~265頁
㈱徳間書店
日本国誕生の秘密
「「ギリシャ政府」で即位した壹與」
「「かぐや姫」という名の誕生」
「「徐那伐(ヨナバル)」はどこ?」
「「天に昇る」は沖縄へ行くこと」
「赫夜姫と壹與は同一人物?」
ではこの物語に隠された本当の歴史とは、どんなものだったのか?
少し専門的で難しくなりますが、
急がず、ゆっくり時間をかけて詳しくご説明してみましょう。
『竹取物語』は登場人物が都の人たちであるため、
たいていの人が日本で一番長く続いた都・京都を舞台にしたお話だと思っていました。
また、それは創作された「おとぎ話」の一つで、本当にあった話ではないと、
これまで永い間、思われてきました。
しかし、この物語は、実際に起こった事件と非常によく似ています。
そこで細かく研究してみますと、
この物語は、日本の国が生まれたころ、
ある一人の少女が、まるでシンデレラのように、
13歳で本当の女王になった珍しい歴史事実が、もとになっていることが、
はっきりわかったのです。
その少女とは「壹與」で『魏書倭人章』に、
卑弥呼の次の女王になったことが記録されている実在の歴史上の人物です。
しかし『魏書倭人章』だけでは、彼女がどこの誰か?
なぜ、どうして女王になったのか、詳しいことは何一つわかりません。
ところがその謎を『竹取物語』が、細かい点まで解いてくれるのです。
「「ギリシャ政府」で即位した壹與」
壹與というのは「斎き祭る嬢」という呼び名を、
種子島語で「イチッジョー」と発音したものへの当て字で、個人の名ではありませんでした。
彼女は卑弥呼政権が倒れたあと、新しく生まれた邪馬壹国の女王になります。
邪馬壹国は、その後、
鹿児島県から移動して、熊本県・佐賀県・福岡県・山口県・広島県などを勢力圏に収めたのち、
朝鮮半島に新羅国を作りました。
だから古代朝鮮半島の歴史を書いた『三国史記』[新羅本紀]に、
彼女とぴったり同じ13歳で即位したと特筆された王がいます。
新羅建国の初代の王「始祖王・赫居世(カクゴシ)」です。
『三国史記』には朝鮮の歴史だけが書いてあると思うのは当然ですが、
これまでお話ししてきたように、
その歴史は沖縄へきた人々が次第に広がっていった日本と共通の歴史でした。
だからそこに壹與の記録がみつかっても少しも不思議ではありません。
この名の「赫」の字は赫夜姫の赫と同じで、赫夜姫の赫は古来「カグ」と読みます。
これは鹿児島の地名のもとになった古代地名「鹿児」の沖縄発音「カグ」と同じです。
古代の天皇や王たちの名はすべて領土の名と役職や称号を連ねた「名乗り」で、
注意してみるとその領土の位置、勢力圏の広さ、
栄枯盛衰などを詳しく知ることができます。
では「居世」は何を意味するのでしょう?
これを「キョセイ・コセ・ゴセ・イセ・イヨ」などと様々に読んで地名と比較してみますと、
居勢(こせ)・御所(ごせ)・伊勢・伊予(愛媛)などに合います。
とすれば壹與も「イヨ」と読めますから、
これは領土名ではなく「鹿児」に「壹與」を足した当て字とみると、
「赫居世」とは「鹿児国の・壹與=斎き・女王」という国名と役職と称号とを完備した、
当時の女王の名乗りとしてごく妥当なものだとわかります。
だから赫居世という名は、他にそれに合う地名がないので、
後世に朝鮮半島に拡大して新羅に成長した国が、
まだ鹿児島にあった当時の王名だったことが確認できるのです。
「写真:ギリシャ・デザインの新羅王金冠」
横から見ると鳥の翼のデザインがはっきり見える。
これはギリシャ系の多くの遺物に見るデザインだが、
古代新羅の王称である「尼師今=イシキン」は
アレクサンドロス以来の王称「イスケンダル」の
沖縄式発音の略称「イシキン」に対する当て字であることを知れば、
少しも不思議ではない。
このイシキは鹿児島で伊敷・市来という地名や神社名になって残っているし、
「壹與」が市木島姫・厳島神社などの別名で祭られていることも強力な遺物であって、
彼女らがギリシャ文化の継承者であったことは疑いの余地がない。
「韓国から筆者に送られた慶州・天馬塚古墳出土金冠レプリカ」
「「かぐや姫」という名の誕生」
しかしなぜ鹿児島なのか?……それをご説明しましょう。
「赫居世」の漢字読みは「カゴセ」ですが、
沖縄語だと「カグシ」、大隈語だと「カゴシ」になります。
沖縄語では「国」を「マ」と呼びますから、「赫居世国」はカゴシマと発音します。
「鹿児島」という文字はその発音に対する当て字だったとみると、
島ではないのになぜ島の字がついているのか?
という謎が解けます。
これで「赫居世」は「カグイヨ」と発音しても間違いではないことがわかりました。
鹿児島方言は言葉を短く縮めて発音するのが特徴ですから、
「カグイヨ」は「カグヨ」と聞こえます。
この「ヨ」に「夜」という字を当てて「赫夜姫」と書くのは、
ごく当然な発想ですが、
後世その「夜」の字が「ヤ」と音読されて、
「カグヤヒメ」と読まれたために、まるで別人になってしまったのです。
カグヤ姫は[赫夜=赫居世=鹿児壹與=鹿児の斎き女王]であり、壹與のことです。
「「徐那伐(ヨナバル)」はどこ?」
彼女は『三国史記』に
「①13歳で、②徐那伐で、③即位した、④初代、⑤新羅王」と記録されています。
この5つもある限定条件には、
他人では体験できなかった非常に多くの史実がからんでいて、
彼女だけがもっている「身分証明書」になっています。
それが『竹取物語』『魏書倭人章』『三国史記』という、
これまでバラバラだった「記録」を接続し、接着して、復元し、互いに不足を補いあって、
永い間「忘却の闇」の中に隠されていた歴史の真相を、
はっきりと私たちに詳細に教えてくれたのでした。
それだけでなく、その即位の場所が
「徐那伐」だったことが大きな証拠を形成しているのです。
この地名は従来は朝鮮半島のどこかだろうとされてきましたが、
『魏書倭人章』との関連から考えると、どうしても沖縄でなければ話が合いません。
「伐」の字は朝鮮語で「パル・バル」なので「徐那伐」は「ヨナバル」と読めるのです。
これに、ぴったりの地名が沖縄にあります。
那覇市に近い島尻郡の「與那原(よなばる)」がそれです。
新羅の歴史を考えますと、狗奴国男王の根拠地であり、
13歳の壹與が女王に即位した「ヨナバル」は、ここ以外考えられません。
また「ジョ・ナ」という発音は「徐国」を意味し、
このナをマに変えることもできるから「邪馬」と書いても同じ「徐国」だとわかります。
その「ヨナ」は今の与那国と同じ発音で、
「ヨーナ」とは「イオニア」のインド訛で、ギリシャという意味です。
だから「与那・徐那」は「ギリシャ国」ということなのです。
古代日本には国を「ナ」と呼んだ人々がいました。
沖縄をウチナと発音しますし、嘉手納、山名、丹那などもそれです。
また「ナ」という発音は沖縄語では助詞の「…の」に当たりますから、
「徐那」は「ジョーナ」と引っ張る発音をする人々なら、
「女王国」または「女王の」のどちらかにも結びつけて考えることもできます。
「「天に昇る」は沖縄へ行くこと」
この「原」は何を意味する文字なのでしょう?
高天原やその他の古代地名から考えると、
当時の「原」は「祭りごと=祭政一致」をする場所「都」を意味していました。
壹與の場合もそれだと意味が素直に通じますから、
與那原は「女王国の都」か「女王の都」という地名だったということになります。
だから彼女は沖縄の「與那原」で女王になったと記録されているのです。
しかし沖縄生まれだとは限りません。
なぜなら、赫夜姫は、
竹藪で、竹の中から見つけだされ、後に「天」へ連れて行かれたのだからです。
「天」は、「天朝(てんちょう)」のことと考えられます。
天朝とは朝廷のことです。
しかし行き先が沖縄であったことがわかると、
この天は単に朝廷というだけでなく、
ほかに何か、そこを「天」と呼ぶ理由があったことがわかります。
なぜなら沖縄は今も「天」という地名を名乗っているからです。
地名は、今では標準語で発音するのが正しいとされていますが、
それは現代政府の行政上、都合がいいというだけのことで、
地名は本来最初に命名された発音が正しいのです。
それをつけた当時の発音で読まないと、何を意味するのかさっぱりわかりません。
「沖縄」という字を当てたのは元禄ごろの学者・新井白石です。
ところが現在ではその沖縄という「文字」を沖縄の方言でウチナーと読んでいるので、
本当の発音も、その意味も忘れられていますが、
詳しく調べて告と本来の名は「ウチンナ」でした。
「チン」は沖縄語「天」のことで、
語尾の「ナ」は国を意味するナであることは間違いありません。
これを総合すると「大天国」になります。
「大」は沖縄が大琉球で台湾が小琉球だった当時の名残と
自分の国を偉く見せるためにつけ加えた場合と、
「タイナロン」のタイであった場合との三つの可能性があります。
いずれにしても沖縄とは、「大天」という名前だったので、
赫夜姫の昇っていった「天」は沖縄だといちばん合理的になります。
都に向かって、その方角へ行くことを「のぼる」といい、
その反対を「くだる」というのは、
日本の古来の習慣語ですが、
赫夜姫が「天へのぼった」という言葉使いは
都が沖縄にあった事実を、間接的に伝えているといっていいでしょう。
『検索』
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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