2011年5月15日日曜日

竜宮城震旦国の謎と答え

日本国誕生の秘密 220~225頁
㈱徳間書店
           日本国誕生の秘密 

「乙姫は「斎(いつ)姫」で豊玉姫のこと」
「『大隈正(おおすみしょう)八幡縁起』の証言」
「「震旦(しんたん)国」とはどこか?」





「乙姫は「斎(いつ)姫」で豊玉姫のこと」
豊玉姫とは何を意味する名前だと思いますか?

今では礼儀の「レイ」という字は略字を使いますが、

本来の正しい字は「禮」です。

また「醴」という字も「レイ」「リ」と発音しますが、

どちらも「豊」の字が発音符号であることがおわかりだと思います。

その「豊」の字は日本では「ホウ」と音読する習慣になっていますが、

中国では「リ」「レイ」と発音しています。

また「玉」の字は中国では「ユウ」ですから、

「豊玉」は「リユウ」という発音になるのです。

これでみると、豊玉姫という名も「竜」に対する当て字なのです。

では、この「リュウ」は何を意味しているのでしょう?

壹與が女王として即位した国は沖縄でしたが、

そこはご存じのもう一つの名「琉球(リュウキュウ)」をもっています。

その文字は何を意味するのかわかりませんが、

「竜宮(リュウキュウ)」も同じ発音になります。

これをみると国名は「竜宮」。種族は「竜」。

名前は「竜姫」と、一貰した種族名があったことがわかります。

では『浦島』の「竜宮の乙姫」というのは、

でたらめにつけた名前なのでしょうか……?

「乙」の字には「イツ」という発音があります。

これだと「イツ=壹=斎き」で、

「斎き姫」への当て字だったことにもなると考えられます。

乙姫 (イツヒメ)=斎姫。
乙姫 (ウチヒメ)=内姫=天照大神。
(オトの沖縄発音はウチ)

こうみると、

豊玉姫は日の神に仕える「斎姫」で、

後に「天照大神」の一人に数えられた女性ですから、

乙姫とは「イツヒメ」に対する当て字だったものが、

後世に「オトヒメ」と誤って読まれるようになったことが推定できます。


「『大隈正(おおすみしょう)八幡縁起』の証言」

「山幸彦=彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)」を祭神とする

鹿児島神宮には、

『二十二社註式』や、『惟賢比丘(いけんびく)筆記』などという

古文献に記録された『大隅一の宮・正八幡縁起』と呼ばれる物語があります。

『昔、震旦(しんたん)という国があり、<陳>という大王がいた。

ところが、まだ7歳にしかならない幼い姫の

「大比留女(オホヒルメ)」が妊娠していることがわかった。

大王は驚き怒って「一体だれが相手なんだ?」と問いつめた。

姫は

「いいえ相手はいません。

朝日の光りが胸にさした夢を見ただけです」と答えた。

やがて男の子が生まれたので、

大王は非常に不吉なことだと思って恐れたが、

殺すこともできないので、

あとは神の意思にまかせることにして、

「着いたところを、お前たちの領地に与える。

そこで暮らせ」といって、

小さな母子を船に乗せて海へ流した。

船は荒海を無事に乗りきって大隅の海岸に着いた。

子供は後に「八幡(はちまん)」と名づけられたので、

船の着いたところも八幡崎と呼ばれている。

母の大比留女は、

その後、筑前(福岡)の若杉山に移り

「香椎聖母(かしいしょうも)大明神」と崇拝されたが、

八幡はそのまま大隅に残って、

今も「正八幡宮」として祭られている。

この『縁起』でいくと鹿児島神宮の祭神は八幡です。

ところが公式には彦火火出見尊になっています。

彦火火出見尊は山幸彦と神武天皇の名です。

天照大神もやはりオオヒルメという名をもっていますから、

その両親であるイサナキ・イサナミノミコトと

震旦国の陳大王夫妻との関係を調べてみましょう。

日本の古語で「イサナ」というのはクジラ(鯨)のことです。

いまではクジラといってもだれも驚かないが、

古代の人々はそれを巨大な海の神として恐れていました。

だからクジラは海神(ワタズミのカミ=海住みの神)

そのものだったのです。

それが海に島のような巨体を浮かべ、

幾頭もが縦に一列になって、

潜ったり現われたりしているのを遠くから眺めると、

まるで巨大な一匹の竜が、

見え隠れしながら泳いでいるように見えます。

これが竜神が海の神だとされた真相です。

だからイサナキ、イサナミとは 

「海神の王と女王」を意味する名乗りだったのです。

するとそれは豊玉姫と玉依姫の父・豊玉彦夫妻であり、

それはまた 

『大隅一の宮・正八幡縁起』の「オホヒルメ」の両親

「震旦一国の陳大王夫妻」で、すべてが一致します。


「「震旦(しんたん)国」とはどこか?」

「震旦国の陳大王」から、

さらに具体的な答えが出ないか分析してみましょう。

「陳」は沖縄の原名「チン=天」と同じで、

「震=シン」も沖縄発音では 「チン」。

二つとも、揃って「沖縄」を意味しています。

「震旦ことは「沖縄と旦」という国名です。

すると発音がこの国名にぴったり合い、

位置も『縁起』にぴったり合い、

豊玉姫伝承まで残っている島が一つだけあります。

それは鹿児島県大隅半島の沖に横たわる「種子島」です。

「震旦国」は、「チン・タニ・国」すなわち

「天・種子・国=沖縄・種子島・国」に対する

当て字のうちの一つだったのです。

種子島の南部、ロケット基地に近い南種子町茎永(くきなが)に、

豊玉彦と豊玉姫の遺跡だという伝承のある

「宝満(ほうまん)の池」と、

田の中に、こんもりと盛り上がった古墳と、

それに向かい合った鳥居と小さな桐(ほこら)しかない

「宝満神社」があります。

『宋史日本国伝』はこの島を「多執」と書いています。

『多執は「タシツ」で種子を「タシ」と読んだものだ』という説がありますが、

中国人が子を「シ」と読んだのなら種を「タ」とは読みません。

「シュ」と読みますから「多」と当て字することはありません。

多糊は始めから「タシツ」という発音に当てた文字でなければなりません。

沖縄発音では<シ>は<チ>ですからこの島の名は「タチツ」なのです。

沖縄方言では竜・辰=タツを「タチ」と発音します。

語尾の<ツ>・<チ>は助詞の「津」とおなじですから、

多執は「竜津=タチツ=竜の」国という意味の、

耳に聞いた通りの発音への当て字だったのです。

そしてこの「タシツ」に後世「タ=種・シ=子・津=ガ」と

洒落た当て字をした者があったために、

本来の国名の「竜(タツ)」が消えてしまったのです。

種子島の豊玉姫の遺跡は

「宝満の池・宝満神社」と「宝」の字がついていますし、

周辺には宝島や吐喝喇(とから)列島という地名が残っていますが、

それと豊玉姫の名も同じものなのです。

宝と豊は、どちらも「ホウ」です。

「宝津国=ホウ・ツ・マ」と「ホウ・タ・マ=豊玉」とは

少しの方言差にすぎません。

何のことかわからなくなっていた「宝満」という名詞が、

実は「豊玉」そのもので、

そこが豊玉姫の遺跡であることを立証しているのです。


「「竜宮城」は実在していた!」

昭和30年9月、台風22号が南種子町の広田海岸を襲いました。

荒れ狂った高潮が退いた跡に、

白い人骨が散乱しているのを長田茂氏が見つけました。

そこで広田遺跡調査団が組織され、

昭和32年から足掛け3年をかけて発掘調査が進められました。

その結果、そこは弥生時代中期から後期に及ぶ埋葬遺跡で、

古代中国系と、インドシナ系の二つの系統の埋葬習俗が

合流した集団墓であることがわかったと発表されました。

埋葬遺骨は百余体にのぼり、

様々な彫刻をした貝殻製の装身具類も多数見つかりました。

その中には古代中国の戦国時代に始まる

独特の文様を彫ったとされる「貝符」や、

竜の形を象(かたど)った「竜佩(はい)」。

さらに「山」の字を隷書(れいしょ)体で彫ったものが見つかって、

日本最古の文字として有名になりました。

ところが私が綿密に調査してみると、

何と! 

それまで中国の古代文様だとされていたものは実はギリシャ文字だったのです。

それは「αY=アイ=愛」というその人々の理想の信条と

「XMO=クモ・雲=クマ=高離=熊」という族名を

あらわしていました。

紀元前1世紀、

この付近には、すでにギリシャ文化と中国文化とが合流した

先進文化圏が現実に実在していたのです。

浦島(山幸彦=山上王位宮=垂仁天皇=神武天皇)が3世紀に、

そこで見たのは、まさに絵にも画けないほどの「竜宮城」。

豪華けんらんたる「海の神」の都だったのです。

そして、そこには、

紀元前から「ヤマ神」を信仰する人々がいました。

「山幸彦・山上・大和」の名詞は、間違いなく、

ここには実在していたのです。

ここで3世紀当時の種子島は、

どういう政治情勢にあったかを考えてみましょう。

<写真:広田遺跡のギリシャ文字カメオ> 

     種子島の南岸、広田遺跡から出土した貝殻製装飾品。

    そこに影られた文字はギリシャ文字で、

      (左上から)Yα=ヤ、
        XMO=クモ、
        ΦαTso=タツオー、
      (右上から)Yox=ヨク・ユク・ヤク、
          ∑PΦα=スルタ・シロタ・サルタ、
        soΦ=ソト

と読める。



『検索』

『参考』
ウワイト(倭人)ウバイド        
歴史学講座『創世』うらわ塾         

小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書


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