出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
160頁
しかし念のために、この記録は<魏人>の手になるものであり、
<倭人>とちがつて方位に暗らかったかもしれない。
と考える方のために、
当時の中国の方位知識について少しふれておこう。
孔子の<詩経>や<春秋>をよめば、
紀元前776年にさかのぼる日食記事があるが、
それらはすべて事実と一致する。
また先にも話したが今から三千五百年ばかり前の国とされる
商(殷)代の発掘品中には、
<甲骨文字>や<銅器文字>があって、
当時すでに<干支>で日時が表記されている。
<干支は方位をもとにして生れた>もので、
天周を12等分したものが<十二支>であり、
それが時間や月の6進法のもとになっていることは
周知のことである。
ことに五行説などの影響で中国では方角に深い関心をもっていた。
魏使が方位を間違うなどと想像する方がオカシいというほかない。
「図:商代の十干文字」
甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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