出典:加治木義博:言語復原史学会
『魏志倭人章』詳解1
垂仁天皇の邪馬壹国
62頁
『魏書倭人章』と『記・紀』との
官名・人名を比較するためには、本来、
<中国の古音>で書かれていた名前を、『記・紀』編者らが
(1) どう変型させてしまったか?。
(2) なぜ変型させてしまったか?。
徹底的に研究する事が最重要課題である。
だが変型してしまったものを、
(3) どうして元の名前が変型したものだと、
判定することができるか?それが先ず
大きな問題である。それには
(4) 「原型と変型との間に共通する」ものを
見つけ出すことが必要である。
原型はカールグレンの古音が教えてくれる。
卑弥呼は ピェグ ミャ ゴ
伊支馬は ヤル チェ グマ であるから、
原型のままではとても『記・紀』のなかには
見つかりそうにもないが、
『記・紀』万葉が書かれた8世紀前後の日本で、
盛んに使われていた<万葉ガナ>で読んでみると、
伊支馬=イキマ=活目。
弥馬升=ミマツ=観松。
弥馬獲支=ミマカキ=御間城。
といった調子にうまく合うことは、
先にすでにみたとおりである。
このことから分かったことは、
『記・紀』の編者たちは、
天皇たちの名を耳で聞き伝えて知っていたのではなかった、
という重大な事実である。
彼等はそれらの名を
『魏書倭人章』と同じ当て字の「文字」で知った。
だからそれを当時の知識で、
<万葉ガナ>で読んでしまったとすれば、
これで4つの謎はすべて答が出たことになる。
(1) <万葉ガナ>読みに発音を変型させて、
それに合う別の文字を当て字した。
(2) <万葉ガナ>読みしたために、変型させてしまった。
(3) 原名を万葉読みしたものと同じ読み方ができるから、
同じ原名から蛮型したものだ、
と判定できるので
(4) の「共通するもの」は、<万葉ガナ>式発音だ、
ということになる。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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