出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
181~185頁
こうみてくると、
日本建国にまつわる古い<伝承>や<地名>や<人名>や<称号>が、
この一地点に集中していることを認めざるを得ない。
しかもそれは同時に、<卑弥呼>と<観世音菩薩>にも固く、
しつかりと幾重にも結びついているのである。
<観世音>は御存知の通り様々な変身がある。
<姫講>とよばれるものは中国の<娘々廟>や<慈母観音>などと
同じ女体のものであることも明らかである。
それは<神功皇后の聖母>という別号からもうかがえる。
皇后の像は常に皇子を抱き武内宿禰を従えている。
この画像と瓜二つの聖母像は、いま台湾から
東南アジア一帯に見られる。
その宗教は「天道」と呼ばれ、
<道教>と<仏教>と<儒教>とを加味したもので、
信者たちはそれを宗教とは考えず、道徳そのものとし、
厳格な菜食主義を守るが出家することはしない。
その教義内容は非常に高度のもので、
またその儀式は周礼をそのまま伝えており、
その発祥の古さがわかるが、
筆者は幸運にもその私儀に特払招待されたのである。
それは<天才><地才><人才>という官名をもった
三女性による<神託神事>であって、
殊に中心になる天才は十代はじめの少女であり、
それが自己催眠中に驚くほど高水準の託宣を行なうのである。
教団との約束でこれ以上の公表は許されないが、
それが眼のあたりに、
神功皇后や卑弥呼、壱与を見る思いのものであったことだけ
はつけ加えておこう。
ここで注意を要するのは<天道>の名である。
中国音で<天>は<チヌ>であるから、
沖縄の<チヌ>、本土の<キノ>で、<鬼の道>につながる。
沖縄では天照大神に相当する女神を「てだこ」と呼ぶ。
<テダ>は照と一致せず、語源は<天道>だ、
というのが語学界の定説である。
とすれば私達が太陽を
「お天道(てんとう)様」と呼ぶのと一致する。
また、この天道がインドを意味することも
天道(チンドウ)(=シンドウ=ヒソドウ)という
呼び方で明らかである。
またそこは仏教以前からの神仏が鎮座している別世界でもある。
<鬼道>をシャーマニズムの一種とする前に、
<シヤーマン>が何に起源するかを考えた人はいない。
幾多のシヤーマニズム研究書はいずれも現状の記録であって、
漠然たる過去にしかさかのばらない。
しかしその名は明らかにインドの沙門(シヤマン)であって、
それがヒンドウ教に由来することを物語っている。
それは様々な姿に分化してユーラシア全域に
拡がっているのである。
このことに気づかなかった、従来のシャーマニズムという分類は、
<天道>などの高度のものの存在することに無知で、
南島の<ノロ>や本州の<イチコ=イタコ>。
<オロチョン>やツングースの<シャーマン>を指し、
低度の降霊術師、口よせの類いだけを
対象としていることを意味する。
卑弥呼の鬼道を、
これらと類似したものとする従来の考え方は
根本的に間違っている。
倭人達は冒頭で見たように喪に服し、
精進を行う高度の仏教精神と習慣を備えており、
詐欺的託宣によつてゴマカされるような低いものではなかった。
一方ではヒンドウの神々を祭りながら一方では仏教を知り、
政治上には進んだ科学知識と
判断力とを宗教的雰囲気の中で効果的に使うだけの
知性をもっていた。
これは日本の神道が早くから備えていた能力であり、
真言密教や現代の天道に直接結びつく形のものであった。
これをシャーマニズムと呼ぶことができるであろうか?。
魏人は後漢代の鬼道と混同したが、
それはより高度の複合宗教「神道(シントウ)」であったのである。
「コラム:過渡期の観世音菩薩鏡」(加治木原図)
伝長野県飯田市出土の<四仏四獣鏡>の一部で
宮内庁にも千葉県出土の同画像鏡がある。
<半円方格帯>など漢魏代の特徴を備えるが、
その画像から中国製ではないとされる。
<竜虎>が大きく表現されていることから
<神仙思想>のものとするなど、
仏像と断定したものはないが仮りに
<四仏鏡>と呼ばれて来た。
しかしこれは疑いもなく仏像に属する様式を次の通り備えている。
① 蓮のうてなを象った光背をもつ。
以下菩薩像としての様式を備えている。
② 頭上の二卵型は頭上面。
③ その下に天冠台。
④ 首に三道。
⑤ 胸に条帛。
⑥ 左右に天衣を垂れ。
⑦ 二足を僅かに見せ。
⑧ 蓮肉の上に立ち。
⑨ その下に重なり合った蓮弁がある。
⑩ 左右に脇侍を従がえ。
⑪ 脇侍は火焔の光背と。
⑫獣の上に座している。等々。
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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