出典:加治木義博:言語復原史学会
邪馬臺国の言葉
コスモ出版社
181~185頁
この<鹿児島神宮>は現在は、姶良郡隼人町字宮内にある。
この本宮からかなり離れた位置に摂社「石体神社」があり、
神功皇后が祭神で安産の神様として婦人の参拝客が多いという。
ここが<鹿児島神宮の元の宮跡>であるというから、
正八幡宮はこの位置にあったわけである。
そしてここはまた<彦火火出見尊>の
<日向高千穂の官の跡>としても知られている。
<彦火火出見の尊>という名は<神武天皇>の一名でもあったことを
考えると、
この<石体>は今の字であって、
古字では<石體>と書かれたはずであるから、
この<體>は本来「體」または「醴」で
あったのではないかと考えられる。
これらはすべて「レイ」の音をもっているからである。
<レイ>にこだわるのは、
<神武天皇>も<神功皇后>も<イハレ>に深い関係があるからである。
神武天皇の称号が神倭<伊波礼>(イハレ)比毘古命(記)で、
その兄の五瀬命らと、
<高千穂の宮>で東征を計画したとあるから、
二重にこの<石礼>(イハレ)が問題なのである。
神功皇后は<磐余(イハレ)の稚桜の宮>に都して
100歳でそこで崩じたとある(紀)。
この稚桜(チオウ)の宮は<チオの宮>で、
<千穂の宮>と同じであった可能性がある。
なぜなら、今<高千穂の宮跡に祭られている>のは、
<神武天皇>でも<彦火火出見尊>でもなくて、
<神功皇后>だからである。
<オ>と<ホ>がちがうという方は、<大>という字は
<オオ>とも<オホ>とも発音されて、
別に不思議でもないという事実を考え合わせて戴きたい。
また、ここには大石が二つに割れたところ、
そこに聖なる文字が現われたという伝承があったことを、
<日蓮上人>が書き残している。
<石割れ>はすなわち<イハレ>であって、
地名と深い関係のある伝承なのである。
天尊降臨、海幸山幸、神武東征、神功皇后、応神天皇。
日本の建国を彩どる神話伝承歴史が、
すべてこの宮趾の一点に集中するばかりでなく、
新羅をはじめ三韓の故地もまたここであった。
そして<邪馬臺国>もまたここ以外にはあり得なかった。
しかし真実は埋もれて千有余年。
ただ小祠が森深いところに、ひそかに静まりかえるばかりである。
さらに<イハレ>とよまれてきた<磐余>は、
<磐>は古来<ハ>という音に用いられ、
<余>は<レ>よりも<ヨ>に用いられるが、
<ヨ>は<夜>、<陽>、<羊>などが<ヨ>と<ヤ>の
双方に発音される通り、<ヤ>と<方言化>する語であるから、
<ハヤ>という読み方の方が<イハレ>より自然である。
それは<隼人>の<ハヤ>であることは明らで、
<ハヤト>の<トは<磐余>に都すると書かれた<都>の音、
<ト>であると考えると、<隼人>とは<磐余都>に対する
当て字であったことになる
(<陽胡>(ヤコ)、<扶羊>(ハヤ)、<昆陽>(コヤ)など)。
隼人の語源については様々な説があるが、
その歴史と発音が一致する点で、
これも動かない証拠をもっているのである。
「写真:日向の高千穂の宮趾」(加治木原図)
『参考』
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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